第八話 王者の器⑩
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時間は少し遡る。
十字軍討伐にむけて本格的に軍を動かす前、シーヴァは新たに作られたベルセリウスの工房を訪れた。
今更になるが、この二人は主従の関係ではない。
シーヴァにとってベルセリウスは、
「優れた魔道具を供給してくれる、得がたい協力者」
であり、逆にベルセリウスにとってのシーヴァは、
「儂の魔道具を使いこなすための道具」
である。別に片方の評価が悪いわけではない。片方の性格が悪いだけだ。
繰り返すがこの二人の関係は主従ではない。いうなればもっと個人的な協力関係、二人だけの同盟とでも言えばいいかもしれない。ゆえにベルセリウスがシーヴァにへりくだることはないし、シーヴァがそれを咎めることもなかった。
「ベルセリウス老、少しよろしいか」
「ん?シーヴァか。面倒ごとならよそに行け」
ベルセリウスはシーヴァを一瞥すると、それで興味を失ったようですぐに作業に戻った。シーヴァもそれで気を悪くした様子はなく、手ごろな椅子を見つけると勝手に座った。
「老公に一つ頼みたいことがある」
「断る」
「イスト・ヴァーレという流れの魔道具職人を探し出して連れてきてもらいたい」
「断るといっておろう」
「供に騎士を何人か付けるので、諜報員との連絡は彼らに任せておけばいい」
「………お主も大概強引じゃな………」
呆れたように嘆息しながらもベルセリウスは作業の手を止めないし、シーヴァの顔を見ようともしない。無礼極まりない対応ではあるが、シーヴァのほうも慣れたもので、勝手に茶を入れて啜っている。
「しかし、イスト・ヴァーレか………」
懐かしい名じゃ、とベルセリウスは笑った。ただその笑い方は、弱者をなぶる強者を連想させる。
「お知り合いか?」
「まあ、の。それで奴は何をやらかしたのじゃ?」
「老公はハーシェルド地下遺跡をご存知か」
「知らん」
でしょうな、とシーヴァは笑った。ベルセリウスが自分の興味分野以外に無関心なのは周知だから、これは予想どおりだ。
ポルトールの西にはラトバニアという国があり、そのさらに西にジェノダイトという国がある。そしてこのジェノダイトの北にあるのが、神聖四国が一国サンタ・ローゼンである。
ハーシェルド地下遺跡は、このジェノダイトとサンタ・ローゼンの国境近くにある。その様式などから推察するに千年近く昔の、しかも教会に関係する遺跡のようだ、ということが今までに報告されている。
この遺跡をシゼラ・ギダルティという考古学者が発掘調査していたのだが、その調査をパトロンとして支援していたのが実はシーヴァであった。彼は教会勢力との武力衝突を早い段階から想定しており、その際に口撃する、つまり教会の正統性に疑問を起こさせるための材料を探していたのである。
実際にはその材料を手にする前に十字軍遠征が始まってしまったのだが、遠征がこの一回で終わるという保障はなく、むしろ第二次十字軍遠征が行われるであろうことをシーヴァは直感していた。
そこでハーシェルド地下遺跡である。
「シゼラには資金を援助する代わりに、定期的に報告書を送らせていた」
それがある日突然、その報告書が来なくなったという。不審に思ったシーヴァは各地に潜ませておいた諜報員に命じて、ハーシェルド地下遺跡とその発掘調査隊について調べさせた。
「結果はすぐに来た。『調査隊は全滅。遺跡は全壊』だったそうだ」
「そりゃ、不自然じゃな」
興味を持ったのか、ベルセリウスが視線をよこす。
夜盗にでも襲われたのだろう、というのが近くの町の住民の意見だったが、諜報員もシーヴァもすぐに違和感を覚えた。
夜盗に襲われたということは、その目的は物取りのはずである。そうであるならば、遺跡を破壊する必要はない。ではなぜ遺跡は破壊されたのか。
「そこに見られては、知られてはまずいものがあった。ということじゃろうな」
誰にとってか。間違いなく教会にとってである。つまりシーヴァが探していた“教会の正統性を揺るがす何か”がそこにあった可能性がある。
「それで例のイスト・ヴァーレだが、一時期古代文字の解読要員として、弟子と一緒に発掘調査に参加していたらしい」
イストと弟子のニーナの二人は、調査隊が何者かに襲撃されて全滅する前に仕事を終えて旅立っている。つまりハーシェルド地下遺跡の、シーヴァが欲する情報を持っている可能性があるのは、現状ではその二人だけなのだ。
「イストに興味を持つ理由は分かった。が、なぜ儂にやらせる?」
「お知り合いなのだろう?」
ベルセリウスも元は流れの魔道具職人で、古代文字を読むことができる。あるいは何かの接点を持っているのではないかと思ったのが、今回その予想が的中した形である。
「………まあよい」
少しばかり意地悪く笑うシーヴァを無視して、ベルセリウスは立ち上がった。そして作業台の上を片付けて黒の外套を羽織る。手に持つのは、杖ではなく金属製の槌だ。
「久しぶりに、バカ弟子の顔を見てくるとするか」
そういって先代アバサ・ロット、オーヴァ・ベルセリウスは笑った。
**********
二月に入ってオルギン率いるキャラバン隊がフーリギアのベルラーシを離れ、幼馴染であるオリヴィアと別れた後もイストたち三人はまだベルラーシにいた。
理由はひどく単純だ。曰く「柔らかいベッドで眠りたい」。
キャラバン隊がベルラーシにいた一ヶ月と少しの間、イスト、ニーナ、ジルドの三人は都市の外に停めた馬車の留守番役として居残り、結果としてその間は街を近くにして野宿も同然であった。
「このまま宿屋に泊まらず旅を再開するのか」
そう考えると三人ともテンションが上がらず、とりあえず宿屋でゆっくりしよう、という結論に達したのだった。
ベルラーシの街は新年のお祭り騒ぎから脱し、かなり落ち着きを取り戻していた。外からやって来た参拝客もそれぞれ帰路につき、街の人口密度は随分と下がっている。通りに溢れていた露店も姿を消し、街は日常の装いに戻り始めていた。一時期はどこも満室だった宿屋も開き部屋が増えており、三人はそれぞれ個室を取ることができた。
「それじゃあ、とりあえず一週間ってことで」
一時期に比べれば随分と閑散とした宿屋の食堂で昼食を食べながら話し合った結果、三人は一週間程度ベルラーシの街で休息を取ることになった。イストはこの先アルテンシア半島を目指すつもりでいたのだが、十字軍遠征がこの先どう推移していくのか、それを見極めたいと思ったのだ。
もっともベルラーシの街と半島は随分と距離が離れている。伝わってくる情報は最新のものではないだろうし、また改ざんや誇張、伝え間違いなどもあるだろうから正確とは言い難い。大まかな概略しか分らないと割り切っておく必要があり、つまるところ情報収集の重要度はさほど高くない。
「シーヴァが有利か、それとも十字軍が有利か。その程度のことが分かればいいよ」
イストはそう言って呑気に禁煙用魔道具「無煙」を吹かした。結局のところのんびりしたいだけ、というのが弟子であるニーナの見立てだ。
ちなみにイストはアルテンシア同盟が生き残る未来を想定していない。十字軍に潰されるか、シーヴァと十字軍の戦いに巻き込まれて潰れるか、そのどちらかだろうと予想していた。実際にアルテンシア同盟は十字軍によって崩壊させられたわけだが、この時期少々の情報通ならば皆同じ未来を予想しえたであろう。
それはともかくとして。三人はとりあえず一週間ベルラーシの街に留まることにしたわけだが、それぞれの行動は個人主義で協調性に欠けていた。
最も規則正しい生活を送っていたのは、ジルドだろう。毎朝、まだ暗いうちに起きては街の外に出て朝稽古をしていた。宿で朝食を取ってからは街に繰り出すことが多く、日雇いの仕事などを見つけては精力的に動いているらしい。
「もっとゆっくりしていればいいのに」
イストなどはそう言って呆れたが、本人曰く「やることがないなら動いていたい性分」らしい。目的もなくダラダラと時間を過ごすのが苦痛なのだろう。
ニーナは部屋にこもっていることが多い。この前の試験で駄目出しを喰らった魔道具の作り直しをしているのだ。資料や魔法陣と睨めっこしながらどうすればより効率化できるか、頭を悩ませていることだろう。
その合間を縫いながら、「狭間の庵」の資料室からあさってきたセシリアナ・ロックウェルのレポートも読んでいる。
セシリアナは歴代アバサ・ロットの一人で、オリヴィアが連れていた黒猫の魔道人形「白」の製作者である。「白」からも分るように彼女は魔道人形の製作において優れた才を発揮し、その技術は二〇〇年を経た今の時代でも他の追随を許さない。
ニーナが興味を持っているのは魔道人形ではなく、義手や義足といった分野である。こういったものは機械的な仕掛けを含む魔道具であり、特に関節部の機構などについてニーナはセシリアナのレポートを参照していた。
もっとも「作るのは課題が優先」と師匠であるイストに釘を刺されており、今はまだ参考になると思った部分をまとめているだけだ。そもそも難しすぎて作るところまで理解が及ばない。
こうしてニーナは早く一人前の魔道具職人になるべく日々修行に励んでいるのだが、時に頭の中が湯立つというか、許容範囲を越えるというか、そういう事態が起こる。
「………もう、無理、です………」
なかばゾンビと化しつつ息抜きのために街へと繰り出していく彼女の後姿を、その場に居合わせた者たちは驚愕と戦慄と呆れの眼差しで見送るのだった。
「まだまだ甘い」
師匠は偉そうにそうのたまう。イストの見るところ、ニーナはやる気はあるがそれが空回りしているところがある。気負いすぎれば思考は硬直しやすく、いいアイディアは生まれない。弟子の思考を柔軟にするためにも何かイタズラを仕掛けてやろうか、とイストは楽しそうに笑う。
「師匠が楽しみたいだけじゃないですか!?」
弟子の心の叫びは順当に無視された。
柔軟な思考の持ち主である当のイストは、弟子をからかって遊んでいるだけではなかった。また新たな魔道具を開発すべくアイディアを探していたのである。「無煙」を吹かしながら。
彼の場合、机に向かって頭を悩ませていればアイディアを閃く、ということはほとんどない。彼が机に向かうのは、アイディアを閃いた後である。机の上でアイディアに肉付けを行ない一つの理論に仕立てていくのである。
「閃きは直感だよ。もっとも、直感は知識と経験の上に成り立つものだけど」
それが、イスト・ヴァーレという魔道具職人のモットーであった。
それはともかくとして。魔道具のアイディアすらない段階で、イストが部屋にこもっていることはほとんどない。大抵の場合、彼は街中をぶらつきながらアイディアを考える。じっとしているよりは動いていた方が閃きやすいのだ。
「おや、キャラバン隊に置いて行かれたのかい?」
特に目的地もなく通りを歩いていると、食堂の女将さんにそう声をかけられた。そこは少し前にオリヴィアとオリーブ油を売りに行った食堂で、どうやら顔を覚えていてくれたらしい。
「違うよ。あの時は雇われていただけ」
「あらまあ、それじゃあクビになっちゃったの?」
これにはイストも苦笑するしかない。護衛の必要がなくなっただけなのだが、確かにクビになったという見方もできる。
「そんなとこ」
「大変だねぇ………。今度ウチにおいでよ。安くするから」
機会があったら、とだけ答えイストはその食堂の前を通り過ぎた。通り過ぎようとした。
「まあそう言うな。ちょうど昼時じゃし、少し付き合え、バカ弟子が」
その声はイストの良く知る、(悪い意味で)忘れようとしても忘れられない声だった。