第八話 王者の器⑧
「暑いですねぇ~。まさに南の島って感じです」
「本当ですね………。日差しも強いし」
北国のアルジャークなどと比べれば遥かに強いその日差しは、ただそれだけでここが異国であることを印象付ける。ここはシラクサ。より広く言えば、シラクサという港があるローシャン島である。
アルジャークがテムサニスに宣戦布告した頃、フィリオもまた動いていた。リリーゼが戻ってきた頃から予定していたシラクサの現地視察の計画を、ついに実行したのである。ただフィリオには視察だけして戻るつもりはなかった。ヴェンツブルグからここまで、船旅で二十日以上かかっている。気楽に行ったり来たりできる場所ではない以上、今回の視察でこの地域の代表を務めているロン一族に、ある程度話を通してしまいたいと考えていた。話とは、無論シラクサをアルジャークの勢力圏に引き込むための話である。
余談になるが、「シラクサ」という言葉の定義をこの際だから広げておきたいと思う。シラクサとは本来、ローシャン島の北部に位置する港町の名前である。しかしこの先の時代、シラクサと大陸の間で船の行き来が盛んになると、「シラクサ」という名前はローシャン島とヘイロン島の二つの島をまとめた、この地方の名称としても使われるようになる。よってこの先「シラクサ」という名前は、こちらの意味でも使うことになる。どちらの意味で使っているかは、申し訳ないが文脈から判断していただきたい。
さて、今回の視察であるが、フィリオとリリーゼの二人だけというわけではない。彼らの他に後六人、総勢で八名の視察団となっている。
フィリオはまず、視察団を引き連れてシラクサの高台に居を構えているロン一族のもとへ、挨拶へ行くことにした。
一族、といっても「ロン」の姓名を名乗っているのは、ただ一家族のみである。というより、そもそもシラクサには姓名を名乗る習慣がない。ここに住んでいるシラクサ人とも言うべき人々は、ただ名前だけを名乗るのである。
ではなぜ、ロン一族がその姓名を名乗っているのかといえば、大陸の習慣に合わせたが故であった。
大陸とシラクサの間で交易が始まった頃、シラクサの人間は姓名をもっていないという理由で野蛮だの未開だの、そんなレッテルを貼られることがあった。それが特に顕著であったのが、いわゆる「上に立つ人間」の間で、だった。
政治的に下に見られた、といえば分りやすいだろうか。
そこで少なくとも対等な立場と認識してもらえるように、当時シラクサの代表格であった人物が「ロン」の姓名を名乗るようになったのだ。ちなみに「ロン」という言葉は「王」や「長」を意味するシラクサの古い言葉だ。だからシラクサの人間にとってそれは、姓名というよりは代表を示す称号としての意味合いのほうが強い。
何はともあれ、これからその“ロン”のところに挨拶に行くのである。
(いきなり出向くのは無礼と思われるかもしれませんね………)
本来であれば、事前に使者を送り挨拶に伺う日時を決めておくのが筋であろう。しかしシラクサはアルジャークから遠すぎる。まして船旅である。風や波の状態で日程などいくらでも変わってくる。
結局、いきなりお訪ねするほかない。
(ま、そのあたりは諦めてもらいましょう)
嫌な見方をすれば、アルジャークにとってシラクサは格下の相手である。多少の無礼は許容してもらうとする。交渉の席で礼を失するつもりは毛頭無いが。
シラクサの街を一望できる高台に造られたロン家の家は、これまで街中で見かけた家に比べれば確かに大きい。三階建てで、周りは兵と垣根で囲まれている。しかし、大陸で見る貴族の屋敷などと比べると、どうしても見劣りがする。
当然といえば当然である。ロン一家はシラクサの住民から取り立てた税で生活しているわけではないのだから。
シラクサにも税金は存在する。人が街や国という集団を形成して生活するために、それはどうしても必要だからだ。
集められた税金は、ロン(当主のこと)が最終的にその再分配について決定する。つまりロン家はいくらでも税金を懐にねじ込める立場な訳だが、この質素な家のたたずまいを見る限りでは、そのような不正は行っていないように見受けられた。実際、ロンは税金の再分配についてその詳細な明細書を毎年公表しており、街の商人と職人でつくる商工会などがそれをチェックしている。
ロンに選ばれた家系は、その当時代表格であっただけである。その家系が今もロンの名を名乗っているのは、いわば当時からの流れであって正当な根拠には欠ける。にもかかわらずこの一家が今もロンの名前を名乗っていられるのは、ひとえにこの清廉潔白さがシラクサの人々から評価されているからである。
ちなみにロン一家の収入源であるが、この家はローシャン島の大地主であり、それを小作人に貸すことで収入を得ている。そういう意味では名家に違いない。
「止まれ!何者だ!?」
家の前の門には二人の門番が立っている。見慣れない異国人の集団に彼らは警戒をあらわにし、手に持った昆をフィリオたちに向けた。
フィリオが彼らの警戒を煽らない位置で立ち止まると、他の視察団のメンバーもそれに習う。それからフィリオは優雅に一礼し、簡潔に用件を述べた。
「私はフィリオ・マーキス。アルジャーク帝国より使者としてまいりました。どうかガマラヤ・ロンにお取次ぎを願いたい」
**********
フィリオたちが通されたのは一階にある応接室であった。今室内には八人いるが、狭苦しさは感じない。壁際に飾られた調度品の数々はもちろんシラクサのもので、はじめて見るフィリオにはその良し悪しは判別できない。ただ素人目にも品のいい品物が飾られているように思えた。
「おや、これは………」
フィリオの目が、飾られていた調度品の一つにとまる。
「ガラス細工ですね………。綺麗………」
側に来たリリーゼも感嘆の声を漏らす。実際見事な作品だ。南国らしく鮮やかな色彩の鳥で、色の違う薄くて細かいパーツを幾つも組み合わせて作られている。見るからに繊細そうで、下手に触れば壊れてしまいそうである。
シラクサはガラスの生産で有名である。その歴史は古く、大陸でガラスの製法が発見されるよりも前から、ガラス製品を作り大陸と交易を行い莫大な利益を上げてきたという。現在では大陸でもガラスの生産は行われており、輸送に費用が掛かる分シラクサのガラスはどうしても割高になってしまい、結果として大陸との交易はかなり廃れてしまった。
「見事でしょう。それは街の工房で造られたものなのですよ」
ガラス細工を観賞していると、部屋の入り口の方から声がした。振り返ってみると、一人の壮年の男が立っている。ロン家の当主、ガマラヤ・ロンである。恰幅が良く顔は角ばっているが、優しい目元のおかげで威圧感は感じない。
「ガラスは宝石などとは違ってそれ自体を生産できますからな。枯渇する心配のない、息の長い産業になります」
「反面、どこででも生産できるため競争が激しい」
フィリオの切り返しにガマラヤは「これは手厳しい」と苦笑した。しかし気分を害した様子はなかった。
「改めまして。ロン家当主、ガマラヤ・ロンです」
「ご丁寧に。フィリオ・マーキスと申します」
ガマラヤに促されてフィリオたち視察団のメンバーはそれぞれ手近な席に着いた。雑談を交えつつ簡単な挨拶を交わした後、フィリオは持参した贈り物をガマラヤに渡した。
バロックベアの毛皮、鮮やかな染料で染められたシルクの反物、中でも紫の布は最高級品だ。その他にも緻密な装飾の施された宝剣、大粒の宝石がはめ込まれた金細工や銀細工などがある。どれもこれも一級品である。
「さて………」
持参した贈り物を一通り説明し終えると、フィリオは表情を改めた。今日は贈り物を渡すためだけに来たわけではないのだ。フィリオの雰囲気から何かを察したのか、ガマラヤも真剣な表情を見せる。
「今日お伺いしたのは、アルジャーク帝国とシラクサの未来についてお話したいと思ったからです」
「なるほど……。アルジャーク帝国とシラクサの望む未来が同じであれば、そのお話は歓迎すべきでしょうな」
両者の視線が一瞬擦れる。しかし擦れて火花が散る前にフィリオの方が視線を外した。彼は外した視線をそのまま視察団の一人に向けて目配せする。目配せされたメンバーは一通の書類を取り出し、ガマラヤに差し出した。
「そこに大まかではありますが、我々の望む未来について記してあります。一度目を通してご検討いただけませんか」
「………分りました。拝見させていただきます」
ガマラヤのその返事を聞くと、フィリオは満足したように微笑んだ。「今日はこれで失礼します」と言って立ち上がった彼を、ガマラヤは呼び止めた。
「宿はすでにお決まりですかな」
「いえ、これから探すつもりですが」
「でしたら我々がご用意しましょう」
よい宿があるので是非そちらに、とガマラヤは勧めた。連絡を付けやすくしたい、という意図だろうとフィリオは察した。面子の部分もあるのだろうが、ガマラヤの表情を見ると好意の成分のほうが多いように思える。それならば、とフィリオはその好意をありがたく頂戴しておくことにした。
案内を命じた部下たちに連れられて出て行く視察団を見送ってから、ガマラヤはさっそくフィリオが置いていった書類に目を通し始めた。
一度読み、二度読み、そしてもう一度目を通す。
バサリ、と書類を机の上に投げ出し、ガマラヤは難しい顔をして考え込んだ。
書類に記されていたアルジャークの望む未来は、総括して考えればシラクサの望むそれとほぼ一致する。受け入れがたい点やより詳細な説明を必要とする箇所は多々あるが、それは今後の交渉の中ですり合わせていけばよい。
とはいえ、一人で考えて結論を出すのは危険だ。シラクサに住む全ての人々に関係する件なのだから、様々な立場の人から意見を聞いておく必要があるだろう。まずさしあたっては………。
「ハルバナを呼んでくれ」
古くからロン家に仕えてくれている大陸で言うところの“執事”に、ガマラヤはそう命じた。
シラクサには商人や職人の意見をまとめて調整する、「商工会」という組織がある。シラクサの商人や職人のほとんどがこの組織に属しており、そのため商工会はシラクサの経済に大きな影響力を持っていた。
その商工会の長老が、ハルバナという老人なのだ。
部屋から出て行く執事を見送ると、ガマラヤは大きく息をついた。シラクサの歴史、その中で変革の時期が来たことを、ガマラヤは悟ったのだ。
**********
案内された宿はいわゆる“宿屋”ではなく、迎賓館であった。整えられた中庭は大陸のそれとは違った風情があり、異国情緒を楽しませてくれる。迎賓館には十分な部屋数があり、視察団のメンバーにはそれぞれ一人部屋があてがわれた。
荷物の整理が終わったところで、メンバーは大広間に集まった。これからの予定を話し合うためだ。
「とは言っても、シラクサ側から連絡がない限りは、我々としてはやることがありませんね」
メンバーの一人が苦笑するように言う。実際、視察団内部での交渉のための準備はすでに終わっている。現状ではやることがない。
「では情報収集をしましょう」
「情報収集、ですか?」
フィリオの提案に、怪訝な反応が返ってくる。
「本格的な交渉の前に、シラクサの経済の実態を把握しておくのもいいでしょう」
そのために商店や港、工房などをめぐり情報を集めるのだという。当然、そんなやり方で機密に類する情報が手に入るはずもなく、ようは観光半分に聞き込みをするということだろう。そのことを理解したメンバーたちは揃って苦笑を漏らした。
「あ、お土産代を経費で落としちゃ駄目ですよ?」
「そんなことをするのはフィリオさんだけです!」
リリーゼのそのツッコミに、本人以外のメンバーは深く頷くのであった。
**********
「なるほどの、これは………」
ガマラヤから手渡された書類をハルバナは机の上に戻した。そこに書かれていたのは、フィリオが言うところの「アルジャーク帝国が望む未来」であった。
「ロンのおっしゃるとおり、大筋としてはシラクサに益のある話でしょうな。商工会としても、まず損をすることはないと思いますぞ」
アルジャーク帝国が望む未来。それはシラクサを拠点として、海上交易を拡大させることだ。これはシラクサと大陸の間だけの話ではない。シラクサのさらに南にはリーオンネ諸島があり、さらに西にはサルミネア諸島がある。こういった島々と交易を行う拠点として、アルジャーク帝国はシラクサを使いたいと思っているのだ。
もっともサルミネア諸島に関しては、シラクサよりもそこから北にある大陸有数の貿易港ルミティアスのほうが近い。シラクサ―サルミネア諸島間で交易が発達するかは未知数だ。
「では、商工会は今回の話、大筋賛成ということでいいのだな?」
「そうなりますな。この先、税率などを交渉する際には、相談していただければありがたく思いますがの」
ハルバナが、というよりも商工会が今回の話に乗り気なのは当然であろう。シラクサが海上交易の拠点となれば、真っ先にその恩恵にあずかるのは商人たちだ。莫大な利益を期待できるだろう。
「とはいえ、ロンとしてはここに書かれていることを全て飲むわけにはいかないですじゃろ?」
「当然だ。アルジャークの影響力を、少なくとも政治的には排除したい」
アルジャーク帝国がシラクサの政にまで口を出してきては、甘い果実、つまり交易で手にした莫大な利益は全てアルジャークに持っていかれてしまう。それでは意味がない。
「しかし、依存したほうがいい部分もあると思いますぞ」
「………どういうことだ?」
「甘い蜜に誘われてくるのは美しい蝶だけではない、ということですかの」
シラクサが海上交易の拠点として発達し、多くの船が富を抱えてやってくるようになれば、必ずや招かれざる客も現れる。
すなわち、海賊である。
「海賊対策には、海軍力が必要じゃ。シラクサだけで対処するには、ちと荷が重いかと思いますがのぅ」
現在シラクサには軍隊と呼べそうな組織は存在しない。アルジャーク帝国の影響力を排除したいというのであれば、海賊対策も自前でやらねばならず、それには膨大な資金と時間と手間がかかることが容易に想像される。またそうやって作り上げた海軍を維持していくのは、シラクサにとって負担が大きいだろう。
そこでアルジャーク帝国の力を使え、とハルバナは言う。
「しかしな、力を貸してもらっておいて口を出すな、というのは無理だろう」
「そこはほれ、ロンの手腕の見せ所、というやつじゃろう?」
さりげなく無茶な注文をする老人にガマラヤは苦笑する。
「さて、どうしたものかな………」
鋭い目で窓の外を眺めるガマラヤの目に、しかし風景は映っていなかった。