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乱世を往く!  作者: 新月 乙夜
第八話 王者の器
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第八話 王者の器⑤

「お久しぶりです。ジルモンド陛下」

「そうですな、クロノワ殿下。………いえ、もはや“陛下”とお呼びすべきでしょうか」


 通信用魔道具「共鳴の水鏡」の向こう側に映るその男は、以前に会ったときよりも幾分やつれたようにも見えた。クロノワとジルモンドがこうして言葉を交わすのは、カレナリアで顔を合わせて以来のことである。二人の関係に大きな変化はないが、その二人を取り巻く世界においては、変化は常に起こっている。


「お国の様子はすでにお聞きになられましたか」

「………昨日、窺いました」


 ジルモンドの声は苦い。それも当たり前だろう。自分が異国の地で捕囚の身となっている間に、祖国では妻と長男夫婦が殺害され次男が王位を簒奪したのだから。しかもその新王は各地で自国を略奪している。これまで積み上げてきたものが、一気に崩れたようなものである。


 ジルモンドは、少なくとも暴君ではなかった。それどころか内政における彼の評判は高い。自らの国を痛めつけそこから搾取を繰り返したとしても、長期的に見れば得るものはなにもないとわきまえていたのである。国民を愛し労わる、というほどに力を注いでいたわけではないが、土地が荒れることのないよう治水を行い、穀物の生産量が増えるように開墾を奨励した。


 民が安定した生活を送れるということは、国にしてみれば安定した税収が入るということである。為政者の思惑は生々しいが、民にしてみれば平穏な生活を送れさえすればそれでよいのだ。


 が、それをゼノスが全て無駄にしてしまった、と言っていい。各地を襲い略奪を繰り返しているゼノスは、ジルモンドが築き上げてきた国の基盤を破壊してしまったのだ。まったく、積み上げるのには長い年月がかかるが、壊すのは一瞬である。


 ジルモンド個人としても、状況は最悪と言っていい。ゼノスが名実共にテムサニスの最有力者になり王を自認したということは、ジルモンドに国王としての価値が無くなったことを意味している。


 これまではテムサニス国王であったがゆえに、一応の身の安全は保障されていた。無論、人質として使うためである。だが今の彼に人質としての価値は存在していない。


 帰る国を失い、さらに生かされておくための理由も失いもはやいつ殺されてもおかしくはない。それが今のジルモンドの状況である。


 さらに彼と一緒に捕虜になった、十万以上のテムサニス兵にとっても状況は良くない。国王であったジルモンドでさえ見捨てられたのである。ゼノスが彼らを気にかけてくれる保障など、どこにもない。もちろん見捨てられたと決まったわけではないだろうが、それは希望よりは願望に近い気がする。


「このままにしておくおつもりですか?」

「捕らわれのこの身に、一体何ができましょう?」


 ジルモンドとて、できることならば今すぐに国に戻りたい。「馬鹿なことは止めろ」とゼノスを一喝してやりたいのだ。だが捕らわれのこの身には気をもむ以外、なにも許されてはいない。


「近く、アルジャーク帝国はテムサニスに軍を差し向けることになります」

「それは………!」


 クロノワの言葉にジルモンドは焦ったような声を漏らした。ほとんど実態を失っているとはいえ、彼はテムサニスの王である。面と向かって自分の国を侵略するといわれては、動揺を隠し切ることはできなかったようだ。様々な事態や可能性が彼の脳裏に浮かんでは消えていく。だがしかし、ジルモンドの思考はクロノワの次の言葉で一瞬にして停止することになる。


「協力していただけませんか」

「………は?」


 今、この若い皇帝はなんといった?


「これから行うテムサニス遠征に、陛下のご協力を賜りたい」


 そういってクロノワは満面の笑みを浮かべた。しかしジルモンドはその笑顔が業務用であることをすぐに直感する。そしてその直感が、彼の思考を再起動させた。


「………どういう、ことでしょうか」

「言葉通りの意味です。カレナリアで捕虜になっているテムサニス軍を率いて、遠征に参加していただきたい。ご協力いただければ、王都ヴァンナークを中心に五州を差し上げるつもりです」


 クロノワの言葉にジルモンドは、動揺はしなかった。代わりに彼の内側に沸きあがるのは怒気であった。


「一国の王を傭兵扱いし、あまつさえ我が子を討てと申されるか!」

「その通りです」


 クロノワは業務用の笑みを消し、ジルモンドの怒りの眼差しを真正面から受け止めた。はっきりと肯定の返事を返され、むしろジルモンドのほうがたじろぐ。その光景は、そのまま二人の力関係を表しているようであった。


 客観的にみれば、この申し出はジルモンドにとって利のある話である。


 この状況でゼノスがテムサニス王の称号を名乗るということは、彼がジルモンドを見捨てたとみてまず間違いない。新テムサニス王が旧テムサニス王のためにアルジャークと交渉を行うことはまずありえず、そうなればジルモンドは祖国に戻ることもかなわず、このまま死ぬまで捕囚の身分である。しかもその捕囚の身分すら危ういもので、この先状況が変化すればいつ殺されてもおかしくはない。ほとんど身から出た錆とはいえ、辛い状況であろう。


 しかし遠征に協力すれば祖国に戻ることができ、しかもわずか五州とはいえ自分の手元に残る。今状況下で考えれば、むしろ僥倖であるとさえ言える。


 無論、クロノワにはクロノワの思惑があろう。国を荒らしている新王ゼノスをテムサニスの民が快く思っているはずがなく、そこに内政では評価が高かったジルモンドが現れれば民は遠征軍を歓迎するだろう。侵略者ではなく解放者として受け入れてもらえるのだ。その上ジルモンドが王旗を掲げて先頭に立てば、新王軍の兵士たちは戸惑いその士気は下がるだろう。


 しかしジルモンドが協力しなければしないで、アルジャークには単独でも遠征を成し遂げるだけの力がある。アルジャークの版図は今や二八三州。テムサニスの版図は六六州であるから、その国力差は四倍以上である。ましてテムサニスは今混乱の最中にあり、大きな隙を見せていると言っていい。


「もし協力はしない、と言ったらどうなさいますか………?」

「その時はアルジャークだけで遠征を行うことになります」


 クロノワの返答は予想通りのものであった。アルジャーク単独でも遠征を決行できるのだから、遠征協力の打診はむしろクロノワの譲歩であるともいえる。そのことを承知しているジルモンドは苦慮の色を浮かべた。


 先ほど彼は「我が子を討てと言うのか」と吼えた。しかしその我が子であるところのゼノスは簒奪者である。そう考えれば、ゼノスを討つことに否やはない。王位や帝位に関して肉親が争うという事例は歴史書の中に数多く記録されており、そのことを知っているジルモンドは息子を討つことにそれほどの忌諱は感じない。


「誰かがやらねばならぬのなら、私がやる」


 ジルモンドの心情を言葉にして表現すれば、これが一番近いであろう。実態を失ったとはいえ彼はテムサニスの王である。王としては国と民に対して責任があり、父親としては子供に対して責任がある。その責任を果たした上で手元に五州が残るのであれば、それはやはり僥倖というべきだろう。


 では何が彼の決断を妨げているのかといえば、それは“矜持”であった。


 繰り返しになるが、今の彼は捕囚の身である。戦いに敗れ最大限の屈辱を味わっているといっていい。より具体的に言えば軟禁されている身の上で、軍を指揮して国を取り戻すどころか自身の自由さえままならない。


 そんな彼にクロノワは協力を要請し、あまつさえ報酬さえ出すという。


 そもそも捕虜にしたテムサニス軍の力を使いたいなら、ジルモンドを人質にして言うことを聞かせればいいのだ。そうすれば五州を支払うまでもなくテムサニスは丸ごとアルジャークのものになる。いや、それ以前にテムサニス軍を使う必要性さえ希薄だ。アルジャークには単独でも遠征を成功させるだけの力があるのだから。


 だから、今回の申し出はクロノワの一方的な譲歩、いやもはや善意とさえ言っていい。情けをかけられた、と言い換えることもできるだろう。そしてそれを受けるということは、ジルモンドにしてみればクロノワに縋ることを意味している。


 一国の王が、隣国の皇帝に縋るのである。それはもはや膝を屈することと同義だ。受けたが最後、ジルモンドはもはやクロノワと対等の関係にはなれないであろう。


 国を追われた王が隣国の皇帝に助けを求めるのであれば、まだ面子は保てる。その協力に対して対価を支払う側であるからだ。しかし今回は報酬を支払うのもクロノワの方である。


 もはや面子も何もあったものではない。


 ジルモンドの王としての矜持はクロノワの提案を必死になって拒否している。膝を屈し誇りを捨てたったの五州だ。それでいいのかと問いかけてくる。


 一方で頭の別の部分にある打算はこう囁く。こままでは全てを失い無念のうちに死ぬことになる。ここで協力して五州を得ることと矜持を貫き身ひとつで果てること。後の歴史家たちは、どちらの選択を愚かとするだろうか。


 ジルモンドの中で天秤が揺れている。その天秤が徐々に傾いていくのを、クロノワは何も言わずに見ていた。


**********


「これで良かったのでしょうか………」


 ジルモンドは結局、クロノワの申し出を受け入れることになった。その結果を聞いたラシアートは、少し不安げな表情を見せた。


「確かにジルモンド陛下が陣頭に立たれれば、単独でやるよりも遠征は早期に終結できるでしょうが………」


 代わりに帝国内に自治領という一種の治外法権が存在することになる。自治によって治めているといえば独立都市ヴェンツブルグもそうだが、五州分の領地と一都市では規模と影響力が段違いである。


 ここ最近で急激に版図を拡大させたアルジャーク帝国は、今脱皮の時期にあるといえる。脱皮を終え、国家としての成熟を深めてから自治領が生まれるのであれば、ラシアートも不安に思うことはない。


 しかし今は国の体制を急ぎ整えている最中である。混乱の五歩ほど手前にいるこの状況で国史史上初めての自治領ができれば、事態は自分の能力を超えるのではないかとラシアートは懸念していた。


 時間はかかるかもしれないが、遠征自体はアルジャーク軍単独でもやり遂げることができる。ならばわざわざジルモンドを担ぎ出す必要はなかったのではないだろうか。


「領土拡大が最大の目的ではありませんから」


 クロノワの最大の目的は、大陸東部で最大の貿易港カルフィスクを手に入れることである。カルフィスクは港であるから当然海、しかも南側の海に面している。つまりアルジャークがカルフィスクを手に入れるためには、テムサニスの国を南北に横断しなければならず、それは完全な併合を意味していた。


 極端なことを言えば、クロノワはカルフィスクを手に入れるついでにテムサニスも併合するつもりなのである。いや、テムサニスを併合しなければカルフィスクが手に入らないから遠征をする、といったほうが正確かもしれない。


 しかし、そうやって手に入れたカルフィスクが灰燼に帰した瓦礫の山では、なんの意味もない。クロノワが欲しいのはカルフィスクという港であって、カルフィスクという名前を持った土地ではないのだ。


 戦いが長引けば、それだけテムサニスの国土は荒廃する。町々は焼かれ、農地は荒れるだろう。最南部にあるカルフィスクは主戦場からは遠いが、影響をまぬがれるという保証はない。クロノワにはその港を焼く気など毛頭ないが、ゼノスはどうか判断が付かない。まともな為政者ならば自国の町を焼くなどという愚行は決してしないと信頼できるが、少なくとも今現在ゼノスがやっていることはまともではない。


 短期決着が望ましい。クロノワの頭がそう結論をはじき出すまで、そう時間はかからなかった。


 ではどうやって短期決着を実現させるのか。そこでクロノワが目をつけたのが、テムサニス国王ジルモンドであったのだ。


 ジルモンドが王旗を掲げてテムサニスに帰還すれば、ゼノスとしては捨て置けまい。ゼノスにとって彼は自分の王位を脅かす最大の敵だ。必ず排除しようと動く。


 またゼノスが前線に出てくる可能性も高くなる。

 テムサニスの王旗を掲げる手にと相対せば、新王軍の兵士たちが戸惑うのは目に見えている。その混乱と士気の低下を防ぐためには、ゼノス自身が王旗を掲げて前線に出てくるしかない。


「我の掲げる王旗こそ正当なり」

 と主張するしかないのだ。


 そしてゼノスが前線に出てきさえすれば、彼を討ち取ることも容易になるだろう。そしてゼノスさえ討ち取ればこの戦いは終わる。クロノワの望む短期決着である。


 簡単に言えば、クロノワはゼノスを誘き出すためにジルモンドという“餌”を用意したのである。


「まあ、短期決着は私としても望むものですが………」


 どの道、クロノワとジルモンドの間で話がついた以上、この件は確定事項である。泥沼化による戦費拡大を避けられるならば、それでよしとしてもいいだろう。


「どうかしましたか」

「いえ、何でもありません」


 そう言いつつもラシアートは苦笑を浮かべている。それは教師が生徒に向けるような苦笑であった。


(変わられたな………)


 以前のクロノワは自分の欲望を表に出すことなど決してなかった。悪く言えば、ここまで能動的に動くことはなかった。


(とりあえずは良い変化だな………)


 無私無欲の世捨て人に、国は動かせぬ。欲をもつ身だからこそ理想を目指すのだ、とラシアートは思っている。


 しかしやっかいなのはその欲望の制御が利かなくなったときだ。制御できない欲望は、それを抱く者と彼に連なる全てのものを破滅に叩き込むだろう。


(そうさせないために、私たちがいる)


 自分の仕える若き主君は、諫言を受け入れるだけの器を持っている。ラシアートはその評価に、訂正の必要を感じていない。


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