第八話 王者の器②
イセリアと初めて出会ったのがいつのことだったのか、ゼノスははっきりとは覚えていない。ただ記憶の海を探れば、全てが曖昧な景色の中にまだ幼いイセリアの姿をはっきりと思い出すことができる。
一目惚れ、ではなかったと思う。一目惚れをするには、出会ったときゼノス自身まだ幼すぎた。愛だの恋だの、単語と知るのはもう少し先で、実感として知るのはさらに先のことだった。
気が付いたら好きになっていた、としか言いようがない。男心をくすぐるあの可憐な容姿。白く細い手足。鳥のさえずりのように美しい声。その全てに惹かれた。イセリアが視界に入れば、背景の全てが色あせただ彼女だけが輝いて見えた。
しかしゼノスが自分の気持ちに気づいた時、同時にその恋が決して実ることはないと分ってしまった。なぜならイセリアは兄であるフェレンスの婚約者だったのだから。また王妃であるエルセベートがなにかに感づいたのか、ゼノスがイセリアに近づくことを露骨に嫌うようになり、彼がイセリアと話をする機会は急速に減っていった。
兄のフェレンスは軟弱な男である。少なくともゼノスはそう思っている。身体的な精強さに関してもそうだが、なによりもその思考が軟弱なのだ。
ゼノスの独断と偏見だが、フェレンスの基本的な思考はいわゆる「事なかれ主義」で、今の激動の時代にはそぐわない。いや、そぐわないどことか有害ですらある、とゼノスは考えていた。
心身ともに王者としてもイセリアの夫としてもふさわしくない男。それがゼノスのフェレンスに対する評価だった。
しかし現実はどうか。フェレンスは第一王子として第一位の王位継承権を持っており、イセリアとはすでに夫婦の関係になっている。
ゼノスは自分がフェレンスに劣っているとは思わぬ。むしろ優れていると自負している。にもかかわらずフェレンスは王座とイセリアと、この二つを苦労することもなく手に入れたのだ。その生まれながらの血筋によって!
あるいはフェレンスとイセリアが不仲であれば、ゼノスも溜飲を下げることができたのかもしれない。しかし噂に聞こえてくる二人の仲は極めて良好で、それがゼノスの心をかきむしった。
花街に女を買いに行くたび、気づけばイセリアに似た女ばかりを指名していた。だがそんな偽者を抱いても満足はできない。虚しさが募るだけだ。フェレンスは温かい閨房の中で本物のイセリアと睦みあっているというのに。
「なぜだ!?」
とゼノスは叫びたかった。なぜ俺ではない。王座を受け継ぐのも、イセリアを手に入れるのも、なぜ俺ではなくあの軟弱な兄なのだ。生まれが全てを決める。フェレンスが世襲で全てを手に入れるならば、それならば俺は………。
奪って、手に入れるしかないではないか。
それは野心という名の怪物のささやきだ。その怪物の身動きを封じているのは理性の鎖だが、その鎖はいつ千切れるかも分らぬ脆いものだ。
ゼノスは機会を窺い続けた。そんな最中、クロノワ・アルジャークの名前を聞いたのだ。
彼の名前と置かれていた境遇を聞き、ゼノスは一つの感想を抱いた。
「自分と似ている」
先に生まれた兄が全てを手に入れ、その母に虐げられ、自分の才能とは別のところに起因する理由によって日陰者にあまんじなければならない。クロノワ・アルジャークがおかれていた環境はゼノスのそれと良く似ていた。
そんな彼がついに大きな手柄を立てた。いや、世間一般では彼の兄であるレヴィナスの影に隠れてあまり評価されていないが、それでも日陰者には考えられない功績を立て、それに見合う地位を手に入れたのだ。
先を越されてしまった、と思わないでもない。しかし福音でもある。
「クロノワ・アルジャークにできて、この俺にできぬ道理はない」
才でクロノワに劣るとは思わぬ。同じ日陰者であったクロノワにできたならば、ゼノスにだってできるはずである。
何の因果か、ゼノスがのし上がる絶好のチャンスはクロノワ・アルジャークによってもたらされた。カレナリアに親征したジルモンドを彼が捕らえてしまったのだ。時を同じくしてアルジャーク帝国国内では政変が起こり、クロノワは遠征軍の大部分を率いて北へと戻った。
テムサニスに残ったのは、国王不在という非常事態だけである。しかしこの非常事態こそが、ゼノスには千載一遇の機会に思えた。
国王ジルモンドはカレナリアで囚われの身だ。後は兄であり第一王子のフェレンスと王妃エルセベートさえ消してしまえば、ゼノスと王座を隔てるものは何もない。
さらに都合のいいことにカベルネス候とウスベヌ伯という味方も見つけた。ただゼノスはこの二人を心の底から信頼しているわけではない。カベルネス候はルーウェン公のライバルで、この機会にフェレンスを担ぐ彼に対抗すべくゼノスに味方しているのだろうし、ウスベヌ伯はもっと生々しい利益の計算に基づいてゼノスに味方しているはずだ。極端な言い方をすれば二人とも当座の目的が一致しているから味方してくれているだけで、この先どうなるかは分らない。
彼らには彼らの思惑があり、そのためにゼノスが持つ唯一の価値あるもの、つまり王家の血を利用しようとしているのだろうが、ゼノスにはゼノスの思惑がありそのために彼らを利用しているのだからお互いさまであろう。
奪え。奪ってしまえ。早く早く早く………。
野心という名の怪物は囁き続ける。水面下での駆け引きと準備はすでに終わっている。後は王手をかけるだけ。
「玉座と、イセリアをこの手に」
理性の鎖が、はじけた。
**********
腹違いの兄を殺し、義理の母を殺した。彼らの返り血を浴び、しかし後悔の念は一切ない。むしろここ十年来感じたことのない充足をゼノスは覚えていた。
(思いのほか上手くいったな………)
あるいはフェレンスとエルセベートのどちらか一方は取り逃がしてしまうかもしれぬと覚悟もしていたのだが、結果は知ってのとおりである。
(ここから先は私事、かも知れぬな)
だからといってそれが重要ではない、ということはゼノスにとってありえない。公人も私人もただ等しく彼自身である。
今回のクーデターの表の目的、つまりゼノスがカベルネス候やウスベヌ伯と共有している目的は王座の、ひいてはこの国の実権の奪取である。が、ゼノスにはもう一つ裏の目的とも言うべきものがあった。それは、
「イセリアも手に入れること」
である。
イセリアを手に入れることは、ゼノスにとっては必須事項であった。玉座に座りその傍らに彼女をはべらせることができて初めて、ゼノスは己の野心を満足させることが出来るのである。
公にあっては一国の王としてこの激動の時代を制し、私にあっては恋し焦がれた女と閨房を暖める。それは男子にとって一つの理想形だ。そしてゼノスはその理想を妥協する気はなかった。
だからこそルーウェン公が領地に帰るまで計画の決行を待ったのだ。カベルネス候が言ったとおり、フェレンスの警護はルーウェン公が直々に担当しており、その警備は厳重であった。そこで公爵が領地に帰るまで決行を送らせ、フェレンスの警備に隙を作ってからクーデターを実行した。
確実にフェレンスとエルセベートの両者を亡き者にしておきたいカベルネス候とウスベヌ伯もそれを支持した。この後内戦が起こることはほぼ確実で、ならばゼノスのほかに正当性を主張しうるこの二人は確実に殺しておきたかったのだ。しかしゼノスにはもう一つ別の思惑もあった。
仮にルーウェン公が王都にいる状態で、つまりフェレンスの警備が厳重な状態でクーデターを決行しても、彼を殺すことはできたであろう。エルセベートは取り逃がしたかも知れぬ。しかしフェレンスを殺すことは十分に可能であった。
が、ゼノスはそうはしなかった。ルーウェン公が王都にいれば、当然彼の命も狙うことになる。彼が死んでしまえば、彼の娘であるイセリアは人質としての価値を失うことになる。もちろんルーウェン公には他にも子供や血縁者がいるから、彼らに対する人質として使うこともできる。しかしフェレンスの妻というイセリアの立場は、ただそれだけでカベルネス候やウスベヌ伯に警戒を抱かせるに足るものなのだ。
ルーウェン公という巨魁がいるからこそ、イセリアの人質としての価値は大きくそして重くなるのである。国内を掌握していない現状でルーウェン公が死んでしまえば、イセリアも殺しておくべきだという意見は強くなるだろう。
だからゼノスはルーウェン公が領地に帰るまで計画の決行を待った。イセリアに人質という価値を持たせるために。イセリアを手に入れるために。
ゼノスはイセリアとフェレンスが暮らしている一画に足を踏み入れた。彼がここに足を運ぶのはこれが始めてである。
その一画はすでに制圧が完了しているのか、静まり返っていた。ところどころに立っている兵士たちも、返り血で汚れた衣服をまとうゼノスがここにいることには何も言わず、かえって敬礼をよこしてくる。
歩を進めていくと、他よりも大きな扉を持つ部屋が見えてきた。その前には二人の兵士が立っている。どうやらあの部屋にイセリアがいるようだ。ゼノスが無言でその部屋に近づくと、兵士たちが扉を開けた。
「ゼノス………!貴方は………!」
ゼノスが部屋に入ってくると、イセリアは憎悪に満ちた目で彼を睨み付けた。その突き刺すかのような視線に、ゼノスは勝者にのみ許される余裕に満ちた冷笑で応じた。
部屋の中にいた兵たちを下がらせる。部屋の扉が閉まると、その閉ざされた空間の中にゼノスとイセリアの二人だけが残された。
「兄上なら死にましたよ。私が殺しました」
「………!」
その言葉を聞いた瞬間、イセリアの目は大きく見開かれた。そして徐々に顔から血の気が引いていき、口元に添えられて手が震え始めた。返り血で汚れたゼノスの衣服を見たときからその結末は頭の片隅にあったのだろうが、面と向かって、しかも殺した張本人から聞かされればその衝撃はいかほどであろうか。イセリアの目から大粒の涙が零れ落ちた。しかしそれでもイセリアは俯かなかった。
「なぜ………こんなことを………!」
涙を流しながらも、イセリアの目に宿る憎悪の光に衰えはない。いや、むしろより強くなったといえる。彼女は射殺さんばかりに睨みつけるが、しかしゼノスが怯むことはなく、むしろ彼は喉の奥を鳴らして笑った。
「なぜ?俺が望むものを手に入れるには、こうするしかなかったからだ」
イセリアの顎を右手でつかみ、その反抗的な目をむしろ挑むようにして覗き込みゼノスは獰猛な笑みを浮かべた。慇懃な言葉遣いはもはや止め、日陰者の第二王子という望まぬ仮面を自分の手で叩き割る。
イセリアとゼノスは互いに息がかかりそうな距離で睨み合った。先に視線をそらしたのはイセリアのほうだった。
「放しなさい!汚らわしい!」
ゼノスの手を払いのけ、部屋の奥、隣室に通じる扉のほうへ逃れる。しかし隣室へ逃げ込むことはせず、胸の前で手を組んでゼノスを睨みつけた。
「思っていた以上に気が強いな。ますます気に入った」
その言葉に、イセリアは今までとは別の種類の身の危険を感じた。憎い仇でしかなかったゼノスが男であること、そして自分が女であることを思い出したのだ。
イセリアの憎悪に、恐怖が混じる。そして自覚してしまった恐怖は、あっという間に広がり彼女の体温を下げた。
手が震え、膝が笑う。イセリアの目から憎悪が駆逐され、変わりに恐怖が彼女を縛るのを見て、ゼノスは獰猛に笑った。
「わ、わたしはフェレンス様の妻ですっ!あ、貴方の思い通りになんてなりません!」
「ではその強情をいつまで張り続けられるか、体に聞いてみるとしよう」
今度こそ背中に冷たいものを感じ、イセリアは扉を開けて隣室に逃げ込んだ。逃げ込んだのは普段彼女がフェレンスと夜を共にしていた寝室である。窓には分厚い遮光のカーテンが付けられており、昼間だというのに室内は薄暗い。
イセリアは必死に逃げたが、しかし突然腕をつかまれて寝台の上に投げ飛ばされた。投げ飛ばした張本人、ゼノスが嫌な笑みを顔に貼り付けて近づいてくるのを見て、イセリアは寝台の上で後ずさる。手じかにあった枕を、思わず抱きしめる。
(フェレンス様………!)
抱きしめた枕から、フェレンスの香りがした。その香りが恐怖に支配されたイセリアの思考を、一部とはいえ解放する。
(そうよ、ここは………!)
この寝台は、イセリアとフェレンスが愛を育んできた場所だ。その大切な場所を、ゼノスに汚されるというのか。
(それくらいな、いっそ………!)
ゼノスの手がイセリアを寝台の上に押し倒す。倒れた彼女の上にゼノスはまたがり、乱暴にその衣服を破きその白い肌をむき出しにした。
(貴方なんかの思い通りにはならない!)
イセリアは心の中で叫び、そして………。
そして、舌を噛み切った。
**********
破いた服の下から、イセリアの控えめな双丘がこぼれ出る。この双丘にはじめて触れたのが自分ではなくフェレンスであるということに殺意に近い憎悪を覚えるが、その本人はすでに自分が殺したことを思い出すとすぐに沈静化した。
イセリアは相変わらずこちらを睨みつけてくる。その反抗的な目に、ゼノスは嗜虐心をくすぐられる。
ふと、イセリアが目をつぶった。観念したのかと思ったが、その一瞬後に様子がおかしいことに気づく。
イセリアの口から、赤いものが一筋流れ落ち、枕に赤いしみを作った。
「なっ!?」
驚いたゼノスは後ろに飛びのいた。自由になったはずのイセリアは、しかし肌を隠すことも起き上がって彼を睨み付けることもしない。否、できない、といったほうが正しいだろう。
「なぜだ!?」
ゼノスは叫ぶ。勝者となれば全てを手に入れられるのではなかったのか。なぜそこまでして自分を拒むのか。自分よりも兄のほうがいいというのか。
「なぜだ!?」
手に入れたかったもの、手に入れるはずだったものは、彼の手から零れ落ちそして砕けてしまった。もう手に入れることはできない。永遠に。
なぜならばイセリアは舌を噛み切って死んでしまったのだから。
**********
その日、テムサニスの王都ヴァンナークでクーデターが決行された。クーデターの首謀者は第二王子ゼノス・テムサニスで、国内の有力貴族であるカベルネス候やウスベヌ伯といった者たちが協力していた。
ゼノスはまず兄であるフェレンスとその妻イセリア、そして義理の母である王妃エルセベートを殺害し、血筋の上での政敵を排除した。
城内を制圧したゼノスは、次に王都ヴァンナークにいるルーウェン公の派閥の貴族たちを襲撃し、当主に限れば全て殺害した。こうしてクーデターの第一段階はほぼ完全に成功し、ゼノスを担ぐ一派は王都ヴァンナークを掌握したのであった。
クーデターの次の日、ゼノスは略式ではあるが戴冠式を行い、テムサニスの国王を名乗った。ただカレナリアの地で捕まっているとはいえジルモンドはいまだ健在で、彼はいまだ退位を表明してはいない。この時のテムサニスの状況を、後の歴史書の言葉を借りて言い表せば、
「一つの国に王二人」
となる。ただ先ほども述べたとおり、その内の一人は異国の地で捕囚の身分であり、一つしかない玉座に座るのは、やはりただ一人の王であった。
さて、ゼノスは玉座に座ったわけであるが、それは国内を掌握した、という意味ではなかった。王都ヴァンナークで起こったことを知ると、ルーウェン公はすぐさま自身の派閥を率いてゼノスに反旗を翻した。
彼にしてみれば娘であるイセリアと、彼女が嫁いだフェレンスを殺されたのだ。黙っていることなどできはしない。それにルーウェン公が何もしなくても、ゼノスは彼を討伐しようとするだろう。ならば兵を挙げ迎え撃つしか、ルーウェン公が生き残る術はない。
とはいえ相手は王族である。王族に向かって兵を挙げるというのは、貴族にとっては体裁が悪い。そして体裁が悪いということは、兵の士気が上がりにくいということを意味していた。敵が王族を旗頭として掲げるならば、こちらも王族の一人を旗頭とするのが最もよい。だが、それはもはや叶わぬ。
苦肉の策として掲げた口上は次のようなものであった。
「ジルモンド陛下が崩御も退位もしておられない以上、第二王子ゼノスの戴冠は不当であり簒奪にあたる。正統な国王陛下がお戻りになられるまで国を守るのが、臣下たる者の努めである」
主張していることの中身は正当なのだろうが、捕囚の身に甘んじている国王を引っ張り出さねばならないとは、情けない体たらくである。ルーウェン公としても本来であれば、フェレンスを旗頭にして戦い勝った後は第一王子の義父として国政に影響力を強める、というのが最善のシナリオであったろうに。
さて、ゼノスの方はルーウェン公が兵を挙げるのを悠長に待ってはいなかった。ルーウェン公が兵を挙げることなど最初から織り込み済みで、彼の出方を伺う必要などない。王都ヴァンナークを掌握したのであれば、次にやるべきは最大の敵であるルーウェン公の討伐である。
クーデターを起こす前、ゼノスはカレナリアへの再度の出兵を主張していた。そして彼に同調するカベルネス候やウスベヌ伯といった貴族たちは、その名目で兵をすでに用意していた。
こうしてカレナリア出兵のための軍はルーウェン公爵討伐のための軍に早変わりし、その矛先を国内へと向けたのである。その数、およそ五五〇〇〇。
ルーウェン公の領地へ向かうにあたり、ゼノスは城に保管されていた王旗を持ち出した。かつてカレナリアに進攻したジルモンドが掲げていた王旗まったく同じそれであり、予備として保管されていたものである。
「王のいる所に王旗あり」
というのが原則であるから、王旗を掲げることにより、ゼノスは自分が正統な王であることを国内に宣伝しようとしたのである。
ルーウェン公もまた同じ派閥の貴族たちと協力して兵を集めた。その数およそ三万。別の名目でとはいえ早い段階で兵を集めてあり、後は動かすだけだったゼノスの側と同じ数をそれえるのはやはり難しい。むしろこの短期間によくぞ三万も集めたと評価すべきであろう。
余談であるが、この先ゼノスの軍を新王軍。ルーウェン公爵の軍を公爵軍とそれぞれ呼称する。
新王軍と公爵軍の戦端が開かれたのは、ルーウェン公の領地内にあるカートルム平原でのことだった。
結果から言えば新王軍の勝利だった。数の差以上に、指揮官の士気が勝敗を分けた戦いになった。
新王軍の総司令官は当然のことながらゼノスである。彼は国内を平定し、名実共にテムサニスの王になろうというのだから、彼自身の士気は高い。
カベルネス候やウスベヌ伯といった貴族たちも同様である。これまで国内で最有力の貴族といえば、やはり第一王子に娘を嫁がせていたルーウェン公であった。だがこの戦いに勝てばその構図を一変させることができる。権力と富を追い求めるのが貴族の習性なのだろうが、その本能に身を任せた彼らの士気も高かった。
対して士気が上がりきらないのがルーウェン公である。彼はこの戦いに勝った後の国のあり方と、その中での自分の立ち位置を想像できなかったのである。フェレンスとイセリアが生きていた時は、王の外戚として権力を振るうという目標があった。それは目新しい手法ではまったくないがそれだけに確実で、彼に確固たる権力を約束していた。しかしその両者を失ってしまったルーウェン公は、同時に未来に対する想像力までも失ってしまったようであった。
「自分がこの国を盗る」
この状況下でそう意気込むことができない辺り、彼の器の限界だったのかもしれない。なんにせよ確かなことは、ルーウェン公はこの戦いの後の権力構造を描ききれていなかったということである。
公爵軍に参加しているほかの貴族たちも同じような状況であった。確かにルーウェン公は彼らの派閥の盟主であり、最有力者である。しかし彼は王族ではない。彼は貴族でしかなく、その意味では自分たちと同じ立場なのだ。
「この戦いに勝った後、ルーウェン公は王として振舞うつもりではなかろうか」
そんな疑念が彼らの心の中に渦巻いていた。それはルーウェン公が戦いの後の権力構造を描ききれていなかったことも関係していたのだろう。
もし彼らが生粋の武官であったなら、戦いの後のことは取り敢えず置いておき、勝つことに意識を集中できたかもしれない。しかし彼らの多くは文官肌であった。彼らにとって戦いは道具でしかなく、重要なのはその後のことなのだ。戦場が命のやり取りをする場所だということさえ、忘れてしまっていた者もいたのかもしれない。
ともかく一方の指揮官の士気は高く他方は低い、という構図になった。そして指揮官の士気というのは兵士たちの士気に直結する。誰だって迷いを見せる指揮官の下では戦いたくないのだから。
新王軍はさんざんに公爵軍を喰いちぎり敗走させた。ルーウェン公もこの戦いで戦死している。
そして戦いの後に始まったのは、地味だが重要な戦後処理、ではなく勝者により粛清と略奪であった。
ゼノスは敵になったルーウェン公の派閥の貴族たちを許しはしなかった。最初の一戦で趨勢を決すると、そのまま軍を進め敵対した貴族たちの領地に乗りこみ、そして潰していった。ご丁寧に一家ずつ、である。
潰した家に妙齢の令嬢がいると、ゼノスはその令嬢を閨房に放り込んだ。いや、令嬢の寝室に乗り込んだ、と言ったほうが正しいだろう。イセリアを失った喪失を埋めようとしていたのかもしれない。
相手をさんざんに辱めて犯した後、ゼノスの胸に湧き上がってくるのは、しかし憎しみであった。なまじイセリアを重ねて抱いているから、どうしても彼女の死に様を思い出してしまうのである。
自分のものにならずに死を選んだイセリア。そして偽者を抱かねばならない自分。憎悪と嫌悪が入り混じり、ゼノスは寝台の上で肌を上気させ気を失っている令嬢の首に手をかけた。
そんなことが何度も続いた。新王軍は王の精神状態がいまだ不安定で、その不安定さは軍規の緩みに直結し、各地で略奪が行われた。
新王軍が今いる場所はルーウェン公の派閥の貴族たちの領地である。つまり他人の土地であり、敵の土地である。貴族という生き物は元来、自分の土地以外はどうでもいいようで彼らはそこにあった富を根こそぎ奪っていった。
内戦は終わった。しかし新秩序はいまだ築かれず、むしろ混迷が深まっている。なにしろ勝者が自らの手で混乱を助長しているのである。それは言い繕うことのできない、大きな隙であった。