第八話 王者の器 プロローグ
というわけで第八話です。
話のおもな舞台は、南方遠征でやり残したテムサニス、になるはず………。
器を作るときには
形よりも大きさに注意すべきだ
大きくしすぎて穴が開いては
目も当てられない
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第八話 王者の器
大陸暦1564年の暮れから大陸暦1565年の年明けにかけて、エルヴィヨン大陸は激動したと言っていい。
この頃版図を急速に拡大させたアルジャーク帝国においては、皇帝ベルトロワの死とそれに伴う後継者問題が内戦にまで発達し、ついにクロノワ・アルジャークただ一人が残った。
またアルテンシア半島においては、年の暮れ以前から続いていたシーヴァ・オズワルド率いる反乱軍の勢力拡大と、十字軍による遠征が重なり多大な流血がなされた。そして第一次十字軍遠征の失敗によってアルテンシア半島がシーヴァによって統一されたのもこの頃である。
クロノワとシーヴァ。アルジャークとアルテンシア。この先、大陸の中央部で出会うこの二つの勢力が地盤を磐石なものにし、勢いが付き始めたのがこの頃であるわけだがそのせいかこの時期、他の国のことは忘れられがちである。
特にこの先クロノワにとって非常に重要な貿易港となるカルフィスクを有しているテムサニスにおいても、この時期には政変があった。この政変はアルジャークの勢力拡大にも関わってくるから、その意味で非常に重要である。
時は大陸暦1564年。テムサニス国王ジルモンド・テムサニスがアルジャーク領となったカレナリアに親征しそこで捕虜となってしまい、そして事態が膠着したところから物語を始めるとしよう。
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テムサニス国王ジルモンドが隣国(であった)カレナリアにおいてアルジャーク軍の捕虜となった、という報はすぐにテムサニス王宮にも届いた。当然、王宮内は騒然としたが、その一方で混乱することはなかった。状況は確かに危機的だが、やることは決まっているからだ。
捕虜になったということは、ジルモンドが今すぐに殺される可能性は低いということだ。となればこの先は彼の身柄(と一緒に捕虜になっている十万以上の兵士たち)をかけての交渉が待っているはずで、騒然とした空気が一応収まると王宮内はそちらに向けて意識を集中し始めた。
が、それなのに、アルジャーク側にまったく動きがない。
ジルモンドを捕虜としその身柄を押さえたのはアルジャークである。ならば、そのアルジャーク側から、
「返して欲しければこれこれを差し出せ」
と通達が来るはずである。それなのにその通達が待てども待てども来ない。その不気味な沈黙に、テムサニスの王宮内には言い様のない不安が渦巻き始めていた。
とはいえ、判明してしまえばその理由はひどく単純なものであった。つまりアルジャーク国内における政変と、そこから発展した内戦である。
たしかにカレナリアには優秀な文官たちが残り政治をまわしており、そのおかげで大きな混乱は起きていない。しかしそんな彼らからしてもジルモンド・テムサニスという一国の王は、扱いに困る、手に余る存在なのだ。
加えて彼らは「テムサニス全てを併合する」という当初の計画を知っている。まさかそんな大それた交渉を自分たちだけで行うわけには行かないし、さりとて中途半端な対価で返してやるわけにもいかない。
そもそもジルモンドの身柄は、遠征軍の総司令官であったクロノワの直接の管轄であろう。その時点で彼らの好き勝手にはできない。彼らにできることは、テムサニスからの探りをいなしながらカレナリアを大過なく収めることだけである。
が、それでは収まりが付かないのがテムサニスである。テムサニスは現在、国王不在という異常事態だ。今はまだ大きな問題は起こっていないが、この状況が長く続けばそれこそ政変から内戦へと発展していくかもしれない。
そもそも現状はこの異常事態を解消すべく人々が協力しているからこそ、大きな混乱が起きていないのだ。異常事態を異常と感じなくなったら、一時の緊張が解けてしまったら、事態は最悪の方向に転がっていくに違いない。
いや、あるいはその綻びは、もうすでにできてしまったのかもしれない。
「今一度カレナリアに出兵すべきです!」
会議の席でそう声を張り上げたのは、テムサニス王国第二王子ゼノス・テムサニスであった。彼の瞳には野心の色がちらついている。
「アルジャーク帝国は政変の混乱の中にあります。遠征軍の大部分は北へと引き返し、今カレナリアは手薄。この千載一遇の好機を逃すことが、はたしてテムサニスの国益に繋がりましょうか!?」
ゼノスの論は一定の説得力を持っている。隙を見つければそこに食らい付くのが乱世の習い。政変や内戦など、そのような隙を見せるほうが悪いのだ。
「ゼノス、カレナリアには父上が捕らえられているのだよ?」
やんちゃな弟を宥めるように穏やかに発言したのは、ゼノスの腹違いの兄にしてこの国の第一王子フェレンス・テムサニスであった。弟に比べれば線が細く、内向的といわれそうな人である。
「今カレナリアに出兵すれば、アルジャークは間違いなく父上の首に刃を当ててこちらを脅迫してくるだろう。そうなれば軍は撤退せざるを得ない。最悪の場合、まとめて捕虜にされる事だって考えられる」
「カレナリア領内に進攻し、戦略的優位を築いてから交渉を行えばよいのです。受身の待ちの姿勢では払わなくてもよい代償まで払うことになってしまいます!」
「それは楽観が過ぎるよ。僕たちに計画と見通しがあるように、彼らにだってそれがあるのだから」
兄弟の視線が空中でこすれ不可視の火花が散る。一方の視線は挑戦的で、他方の視線はそれをかわすことなく受け止めている。
「………いずれにせよ、アルジャークの内紛はいまだに泥沼というほどの混乱は見せていません。今我々が介入すれば、共通の敵を与えてしまうことになる。ここはしばらく様子見に徹するのが得策かと」
会議を見守っていた有力貴族の一人であるルーウェン公爵がそう発言する。出兵は時期尚早だと思っていた一部の貴族たちは、その発言に口々に賛同した。
「父上が行っていた政務は僕が代行する。それでしばらく混乱は起きないはずだ。アルジャークの政変については、情報収集を密にして注視していくとしよう」
結局、フェレンスのその発言がそのまま会議の結論になった。つまりは現状維持ということだ。
第一王子にして次の国王と目されているフェレンスがジルモンドの政務を代行するというのは、ある意味では当たり前のことだ。また隣国の政変について神経を尖らせ情報を集めるもの、これまた当たり前のことである。
「無難なところに落ち着いた」
それが会議出席者の大半の意見だろう。
(リスクを負いたくないだけではないか………!)
ゼノスは心の中でそう吐き捨てた。下手に動けば、ともすれば国王ジルモンドの死の責任を取らされるかもしれない。ここにいた連中のほとんどはそれを嫌っており、その最たる例が兄のフェレンスだ。少なくともゼノスはそう思っている。
「捕らわれの王など、見捨てればよいのだ」
口に出したことはない。しかしそれがゼノスの考えだった。ジルモンドを助けようとする限りあらゆる主導権は敵側にあり、こちらはいいように動きを制限される。
ならばいっそ見捨ててしまえばよい。
慢心し隙を見せたその喉仏に喰らいつけばよいのだ。ジルモンドは殺され、その首が送られてくるかもしれない。が、それがどうしたというのだ。その死を兵の戦意向上ために利用するまでだ。
(なんだ、いっそ死んでくれたほうが役に立つじゃないか)
一人残った会議室で、ゼノスは暗い笑い声をもらした。
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「お疲れですか………?」
心配そうなその声で、宙を見つめていたフェレンスは視線を正面に戻した。手ずから紅茶をいれ、こちらを心配そうに見つめている女性と目が合う。
イセリア・テムサニス。
フェレンスの妻だ。ルーウェン公爵の娘で、客観的立場から見れば政略結婚なのだが、二人の間にある実情はもっと暖かで心休まるものだ。幼い頃から婚約が決まっており、お互いに顔を見知っていたというのも大きな要因だろう。
フェレンスの贔屓目かもしれないが、イセリアは美人だ。国を挙げての盛大な結婚式が行われたのは互いに十代の時で、その頃の彼女は「可憐」という言葉がなによりも良く似合う少女だったが、二十歳を過ぎた今は女性としての成熟も備え、そばにいれば心地よい安心感に包まれる。
どう考えても、凡庸な自分にはもったいない女性だ。フェレンスとしてはそう思う。
「どうかされましたか?」
「いや、政務の代行がなかなかの激務で、ね………」
まさか考えていたことをそのまま口にできるはずもなく、フェレンスは罪のない嘘をついた。いや、まったくの嘘ではない。政務の代行は本当に激務なのだから。
「お疲れの原因は本当にそれだけですか?」
「どういうことだい?」
「………今日の会議で、激しくやり合われた、と聞いておりますが………」
眉間に可愛らしくシワを寄せ、言葉を濁しながらイセリアは紅茶に口をつけた。誰と、とは彼女は言わなかったが、言いたいことは大体分る。
「ゼノスだって、ちゃんとこの国のことを考えているよ」
「………あの方は、………苦手です………」
まさか「嫌いです」というわけにもいかず、イセリアは言葉を選んだ。拗ねたように紅茶を啜るイセリアに、フェレンスは苦笑するしかない。
フェレンスとイセリアが幼馴染(世間一般のそれとは大分事情が異なるけれど)だが、それと同じようにゼノスとイセリアも幼い頃から互いを見知っている。ただフェレンスの母である王妃エルセベートがゼノスのことを快く思っていなかったから、二人の接点は薄い。その辺りが、イセリアがゼノスに苦手意識を持つ原因だろう。
(仲良くして欲しいものだけど)
フェレンスの妻であるイセリアは、ゼノスにとっては義理の姉にあたる。この先、王室の家族として関わる機会も増えるはずで、色々と仲良くして欲しいというのがフェレンスの望みだった。
「ところでフェレンス様」
「ん?どうしたんだい?」
考え事をしているうちに、さっきまで正面にいたはずのイセリアはなぜかフェレンスの隣に移動してきて、ストンと腰を下ろした。
「陛下の政務を代行なさることも大切なお仕事ですが、王太子としてはお世継ぎを作ることも大切ではありませんか?」
突然の言葉にフェレンスは目を丸くしてイセリアを見つめてしまった。彼女のほうもやはり恥ずかしいのか頬に朱がさしている。そのことに気づくと、フェレンスは声を上げて笑ってしまった。さらに顔を赤くしてむくれるイセリアは妙に子供っぽい。
ひとしきり笑い終えると、フェレンスは妻を腕の中で抱きすくめた。
「お手柔らかに」
側室を持つことなど、フェレンスには考えられない。あるいは彼が王座についていれば、テムサニス史上で一番の愛妻家として名前を遺していたかも知れぬ。
そう、王座についていれば。