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乱世を往く!  作者: 新月 乙夜
第七話 夢を想えば
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第七話 夢を想えば⑭

「あの、師匠、ちょっといいですか?」


 意を決したように、ニーナがイストに話しかけた。

 二人がいるのはガタガタと揺れる馬車の中である。この馬車の中には二人しかおらず、御者はジルドがやってくれているため、キャラバン隊のメンバーに話を聞かれることはない。


「ん?どした?」


 煙管型禁煙用魔道具「無煙」を吹かしながら、心ここにあらずといった感じでぼんやりとしていたイストは、弟子に呼ばれると視線を水平に戻した。


「ヴァイスのことなんですけど………」

「あの黒猫がどうかしたか」

「魔道人形、なんですよね………?」


 聞けば一人で資料を読んでいるときに話しかけられたという。「すっごい渋い声」と驚いたら、「………やっぱりアバサ・ロットの弟子だにゃ」と呆れられたとか。


「よかったな、変人認定だ」

「全然よくないですよぉ!?」


 わたしは一般人で常識人ですっ、と力一杯主張する弟子を、イストは「無煙」を吹かしながら、恐らくは意図的に無視し話を進める。


「それで?興味が湧いたってか?」

「あ、いや、その………、魔道人形じゃなくて、義足とか義手のほうに………」


 それで魔道人形「(ヴァイス)」を参考にしたいらしい。しかしニーナは言いにくそうだった。現状彼女には課題が与えられており、それを放り出して新しい魔道具に現をぬかすのは、やはり良くないと自覚しているのかもしれない。が、新しいことに興味を持つのが悪いことだと、イストは思わない。


「製作者の名前はセシリアナ・ロックウェル。『(ヴァイス)』だけじゃなくて別の魔道具の資料も残ってるだろから、今度資料室をあさってみろ」

「いいんですか!?」


 ニーナが目を輝かせる。今なら「三回まわってワン!」とか言われてもやりそうだ。


「いいよ。ただし作るのは課題が優先」


 課題は適当に出しているわけではない。弟子となった者が着実に知識と技術そして着眼点を増していけるように、その順番は歴代のアバサ・ロットたちによって少しずつ修正されながら今日まで受け継がれているのである。


 師匠のお墨付きが出て喜ぶニーナに苦笑してから、イストは再び「無煙」を吹かし、宙を眺める。


「あの………」

「ん?まだなんかあるのか?」

「いえ、さっきからずっとそうしてますけど………、悩み事ですか?」


 そう言われイストは悩んでいたのだろうかと考え、そして悩んでいたかもしれない、と結論を下した。とはいえ大きな問題ではない、と自分では思っている。だが言葉にして出せば考えもまとまるかもしれない。


「なんていうか、オリヴィアにやる魔道具のことでな………」

「思いつかないって事ですか?」

「いや、義眼にしようとは思ってる。けどな~」


 イストは魔道具職人である。よって火傷の痕を治すことはできない。だが火傷の痕を隠すような魔道具ならば作ることができる。それこそ綺麗な素肌と眼球があるように見せかける、そんな魔道具だって作れる。


 しかし、そんなものになんの価値がある?


 隠すだけなら今と同じである。隠したならば隠し続けなければならない。いくら精巧に隠し火傷などしなかったかのように見せかけても、それは隠しているだけ、見せかけているだけだ。出合う全ての人を騙せたとしても、自分は決して騙せない。オリヴィアはいつか醜い素顔がバレてしまうではないだろうかと、怯え続けるだろう。精巧に隠していた分、バレた時の周囲の反応は大きく、それだけ大きく彼女の心をえぐるだろう。


 そんな魔道具を贈ったところで意味はない。少なくともイスト・ヴァーレという魔道具職人はそう考えている。


 そうなると、作るべき魔道具は義眼くらいしか残っていない。つまり義眼という選択は、消去法の末に残ったものでしかないのだ。


「でもな~、普通に義眼作っても多分使ってくれないんだよ」


 義眼を使うということは、火傷の痕をさらすということである。火傷の痕を人に見られる。それはオリヴィアが最も恐れていることだ。どれだけ便利な魔道具であっても、そんな精神的苦痛を背負い込んでまで義眼を使うことはないだろう。


 だが贈った魔道具をまったく使ってもらえないのは、魔道具職人としては悲しいものがある。


 義眼を作っても使ってもらえない公算が大きく、だから言って他にいいアイディアが浮かぶわけでもない。さてどうしたものか、というのがイストの悩みであった。


「相手が必要としている物を作ってやれないのは、やっぱ魔道具職人としては悔しいよな………」


 誰にともなくイストは呟く。

 キャラバン隊がフーリギアのベルラーシに着いたのは、その二日後のことであった。


**********


 ベルラーシは予想通り大変な賑わいを見せていた。通りにごった返している旅行者のほとんどは、この都市の中心部にある教会で新年のお参りのために来た参拝客であり、その参拝客を目当てにした商人たちもこの都市を訪れている。かく言うオルギン率いるキャラバン隊も、そんな商人の一団のひとつだ。


 オルギンはまず街の広場で露店を開く許可を貰い、そこを街の中での商売の拠点にした。また街の外にはキャラバン隊の馬車をまとめておき、そこにも露店を開く。街の中はスペースが限られており、思うように商品を並べられないのだ。同じ事を考えているのか、幾つのも露店が待ちの外に出されており、お祭り騒ぎの様相を呈していた。もっとも新年の祝いはまごうことなくお祭りであるが。


 ただ馬車を都市の外に置くのは、露店を開くためではない。むしろ馬車を都市の外に置かねばならないからついでに露店も開く、というのが正しいかもしれない。


 今、ベルラーシには多くの参拝客が訪れている。当然、宿屋はどこもかしこも一杯で空きなどない。仮にあったとしても、街の中に馬車を何台もつないでおくのは、その分場所代も多く取られるしはっきり言って邪魔だ。ならば街の外においておくのが一番簡単でいい。何人か留守番役を決めなければならないが、それも持ち回りにすれば不公平にはならない。


 イストたち三人は、今回この留守番役を買って出た。今はまだ護衛として雇われている身分。この留守番役も仕事の範疇であろう。無論、留守番役は三人だけではないが、それでも街の宿屋に泊まれる人数が三人増えるわけで、柔らかいベッドが恋しいメンバーには福音だったようだ。


 ただイストには別の思惑もある。人目が少なくなれば、それだけアバサ・ロットの工房である「狭間の庵」にこもって魔道具を作りやすくなる。さすがに籠もりっぱなしというわけにはいかないだろうが、イストとニーナが交互に使う分には、それほど怪しまれずにすむだろう。


 新年が近づくにつれ、ベルラーシも熱気を帯びていく。お祭り気分にあてられた人々の財布の紐は予想通り緩くなっている様子で、帳簿を付けるオリヴィアもホクホク顔だ。彼女は今回留守番組なのだが、留守番役が必要なのは主に夜で、昼間は街の中に開いた露店の商品の補充や御用伺いに奔走していると言う。


「イスト今暇?暇よね?ちょっと手伝って」


 御用伺いから戻ってきたらしいオリヴィアは、馬車の陰で「無煙」を吹かしていた(決してサボっていたわけではない)イストをひっ捕まえ、強引に自分の仕事を手伝わせた。なんでも何軒かの食堂や宿屋からオリーブオイルの注文を受けてきたので、これから量り売りに行くのだという。


 小さめの馬車の荷台を空にし、量り升を用意する。あとはオリーブオイルの入った大樽を乗せればよいのだが、これは男の大人でさえも一人で持ち運びできるような代物ではない。当然、女性のオリヴィアでは動かすこともままならない。


「イスト、お願い」

「おいおい、一人でやれっていうのかよ」

「出来るでしょ?」


 あっさりとそう言われイストは肩をすくめた。確かにやってやれないことはない。それを見越してオリヴィアはイストを引きずってきたのだろう。その人選たるや見事である。


(人を使うのが上手いねぇ………)


 使われる側のイストとしては苦笑するしかない。

 苦笑しながらもイストは「光彩の杖」に魔力を込める。するとオリーブオイルの入った大樽の上に魔法陣が描かれ、大樽が宙に浮く。イストはさらに宙に浮いた大樽の下にも魔法陣を描き、大樽を安定させてから動かし、オリヴィアが用意した馬車の荷台に移動させた。


 物体を宙に浮かす術式は魔力の消費が激しく、長時間は使えない。しかし今回のように短時間ならば大きな問題はない。もっとも疲れるからやりたくないというのがイストの言い分である。


「男が泣き言いわない」


 そういってオリヴィアはイストの背中を叩き、馬車の御者席に座り手綱を取った。仕事は終わったとばかりに再び「無煙」を吹かそうとするイストに、オリヴィアは無情にも(イストの主観)宣言する。


「何やってるの?早く乗って」

「オレも行くのかよ………」

「護衛でしょ?可憐な乙女が暴徒に襲われないよう、しっかり肉体労働してね」

「………建前と本音が混じってるぞ」


 あら失礼、とオリヴィアは屈託なく笑った。こうやって笑ったり「可憐な乙女」と自己申告したりするあたり、なかなかいい性格をしている。


 イストは再び肩をすくめ、オリヴィアの隣に座った。最後の抵抗のつもりか、「無煙」は吹かしっぱなしだ。


 そんなイストの様子に、オリヴィアは本人に気づかれないよう小さく笑ってから、馬車を出した。


 そんな二人の様子を、クリフが悔しそうに見送っていた。


**********


「これで全部か」

「そうね。お疲れさま」


 全ての食堂や宿屋を回りオリーブオイルの量り売りを終えると、時刻はすでにお昼を大きく過ぎていた。参拝客が多いこの時期、料理に欠かせないオリーブオイルの需要は多いらしく、あらかじめ御用伺いで注文をとってきたところ以外からも声がかかる盛況ぶりであった。


 可憐な乙女が暴徒に襲われる、などということはもちろんなく商売は順調に進んだ。満タンだった大樽も、油はほとんどなくなり随分と軽くなっている。皮袋の中には銀貨がジャラジャラと詰まっており、オリヴィアも満足そうだ。


 そして一仕事終われば腹が減る。仕事を優先したため二人とも昼食は食べておらず、一度意識してしまうと空腹は声高に自己主張を繰り返す。


「どこかの店にでも入るか?」

「………馬車があるとお店には入りにくいわね。露店で買って済ませましょう」


 食堂に入るならば、一度街を出て馬車を置いてくる必要がある。だが今は二人ともそんな手間をかける気にはなれなかった。幸い露天の中には参拝客目当てに食べ物を売る店もある。軽く食べて空腹を満たそう、という話になった。


「じゃあ、オレが買ってくるから、教会前の広場で待っていてくれ」


 店に入るわけではないのだから、別に馬車で移動しながら食べてもいいのだが、一仕事終えた後だしできることなら落ち着いて食べたい。道路の真ん中に馬車を止めておくわけにもいかないから、二人は教会前の広場で食べることにした。


 オリヴィアは頷いて了承を伝えてから、銀貨を何枚か取り出しイストに渡した。どうやらこれは経費になるようだ。


 人ごみの中にまぎれていくイストを見送ってから、オリヴィアは広場を目指して馬車を出した。御者席に座っているオリヴィアは、いつもよりも視線が高い。普通に歩けばごった返す人々の頭か背中くらいしか見えないだろうが、今は道が広場にまで続いていることをしっかりと確認できた。


 広場に着くと、そこでも数多くの露店が開かれている。オリヴィアは他の商人たちの邪魔にならないよう、馬車を広場の隅っこに止めた。御者席からおりて、馬車を引いてくれていた馬の首を撫でながら、「ご苦労様」と声をかけてやる。すると馬のほうも嬉しそうにして、顔をオリヴィアのほうに摺り寄せてくるのだった。


 そうやって馬の首筋を撫でてやっていると、人々のざわめきがオリヴィアの耳に入った。視線を巡らせて原因を探ると、教会の門が開き中から一団が出てくるところであった。その集団の中心には一人の女性がおり、彼女がその集団の主要人物であることをうかがわせた。


「ララ・ルー・クライン様だ」


 そんな声が、オリヴィアの耳にも届く。

 ララ・ルー・クライン。確か、今の神子であるマリア・クラインの養女であり、後継者と目されている人物であったはずだ。視察巡礼の旅に出ているとは聞いていたが、ベルラーシで見かけるとは思っても見なかった。


 いや、良く考えればそれほど珍しいことでもないかもしれない。新年が近づくと、ここベルラーシに多くの参拝客が訪れることは彼女も知っているはずで、ならば視察巡礼の途中、新年めがけてこの都市を訪れても不思議はない。


 ララ・ルーを視線で追っていけば、参拝客らしい人々に笑顔で話しかけている。彼女の年齢は十七、八のはずだが、童顔のせいかもっと幼く見える。


(教会………。神子様、かぁ………)


 オリヴィアは教会に対してあまりいい印象を持っていない。それは、


「神様がいるならもっとマシな世界を作ってくれよ」

 という漠然とした不満ではなく、自身の体験に基づく不快感が原因であった。


 右手をまくると、そこには蝶をあしらった腕輪がある。孤児院にいた頃は、これを持っていればそのうちにお母さんが迎えに来てくれる、とそう思っていた。今はもう、そんな夢はみていない。


(これは過去。わたしの、過去)

 今はそう考えている。


「あの、少しよろしいでしょうか?」


 声をかけられ我に返ると、目の前にいたのはララ・ルー・クラインその人であった。


**********


 本来、ララ・ルー・クラインの視察巡礼の旅において、フーリギアのベルラーシを訪れる予定はなかった。計画では神聖四国の西部を巡る予定で、国境を越えるつもりはなかったのだ。


 だがララ・ルーが近くに来ていることを知った、ベルラーシで教会を管理している聖職者に「是非おいでください」と招待を受けたのだ。時期的に見て、新年のお参りをする参拝客に顔を見せてやって欲しい、ということなのだろう。


 予定してはいないことだったが、ベルラーシは神聖四国の境にも近く、また新年になると多くの参拝客がそこの教会にお参りをすることを知っていたララ・ルーは、予定を変更してこの都市に来たのである。


 教会を管理している聖職者の話によると、毎年この時期になるとベルラーシの人口はいつもの二倍以上に膨れ上がるという。実際街の多くの人で賑わっており、露店もたくさん開かれている。あとでこっそり出歩いてみよう、とララ・ルーが画策していた。


 だがその前にお仕事である。お仕事と言っても特別なことをするわけではない。精々参拝客と話をするくらいだ。とはいえ神子の後継者であるララ・ルーは、ただそこにいることに意味がある。神子の代理という彼女の立場は、それだけで教会の神秘性を体現しており、多くの参拝者は「ご尊顔を拝する」ことができれば満足なのである。


 この扱いに、ララ・ルーとしてはこそばゆいものを感じざるを得ない。彼らがありがたがっているのは神子であるマリア・クラインであり、自分はいわばその“影”にすぎないとわきまえているからだ。それでも敬愛する義母が、こうして人々に慕われているのを見るのは嬉しい。また同時に義母の評判を落とさぬよう、いっそう精進しようと思うのである。


 この日は午前中に一度教会前の広場に出て信者の方々とふれあい、遅めの昼食を食べて少し休憩してから、もう一度広場に顔を出した。ララ・ルーの周りは護衛の人たちが固めている。最初の頃は仰々しくて嫌だったけど、「大切な御身ですので」と色々な人に説得され、彼女は今では半分諦めていた。ただそのうち隙を見つけて出し抜き、一人歩きを楽しむつもりでいる。


 ララ・ルーが広場に顔を出すと、すぐに信者たちが寄ってくる。ララ・ルーは手を握ったりしながら、彼ら一人ひとりに声をかけていく。


 だからソレが目に入ったのは、本当に偶然だった。


 広場の隅に一台の馬車が止まっており、その馬車に一人の女性が寄りかかっていた。髪の毛は蜂蜜色で、あいにくと瞳の色は見えない。ただ髪の毛で右目の部分を隠しているのが特徴的だった。


 その女性が、右腕にはめた腕輪を眺めている。遠目に見ただけだが、それでもララ・ルーはその腕輪に見覚えがあった。


(あれは、お義母さまの………?)


 その女性がつけている腕輪は、マリアが持っている蝶をあしらった腕輪に良く似ていた。いや、似ているように見えた。


 マリアの腕輪について、そのいわれはララ・ルーも知っている。先代の神子でありマリアの恋人であったヨハネスとお揃いの腕輪であり、今彼女が持っているのはそのヨハネスの腕輪であるという。


 ではもともとマリアが持っていた腕輪は今どこにあるのか。それはごく自然に抱く疑問だろう。しかしララ・ルーは、その疑問を直接マリアに聞くことができずにいた。


 断片的な情報なら、噂話として彼女の耳にも入ってきている。マリアが実子を死産したときに一緒に墓に入れたとも聞くし、あるいは孤児院に預けたときに持たせた、とも聞いている。しかしどちらが正しいのか、あるいは両方とも間違っているのか、ララ・ルーは確かめることができなかった。


 実子。実の、子供。


 その言葉はララ・ルーの胸を締め付ける。もちろんララ・ルーは義母であるマリアのことが大好きだ。恩義を感じているし、いつか恩返しをしたいとも思っている。そして義母も自分のことを愛してくれていると、確信している。


 だけど、それでも。ララ・ルーが養女であるという、実の子ではないという事実は、消えはしない。


 その子はどうなったのか。生きているのか、それとも死んでしまったのか。生きているならどうしてマリアと一緒にいないのか。もしかして自分は………。


 自分は、その子の身代わりなのだろうか。


 養女であるという負い目。幸せであるという、マリアの実の子を差し置いて幸せになってしまったという、負い目。それはララ・ルーの心の中に小さな、しかし暗い影を落としている。


 だからララ・ルーは今まで「マリアの実の子供」に関する話題は避けてきた。しかしここベルラーシで、そこにつながるかもしれない腕輪を見つけてしまったのだ。


 勘違いで済ませることもできた。しかしララ・ルーは済ませなかった。マリアの持っている腕輪は彼女も見慣れている。遠くからでもそれと見分ける自信はあった。


 その、蝶をあしらった腕輪に良く似た腕輪を見つけたのだ。しかもはじめて。


 心臓の鼓動が早くなる。


 ララ・ルーはマリアの実子に対して負い目を感じている。つまり名前も知らないその子に負い目を感じるほど、気にしているのだ。


 足がその腕輪を持っている女性のほうに向く。なぜわざわざ近づいていくのだろう。今まで触れたくないと避けていたのに。


 考え事でもしているのか、随分近づいてもその女性は気づく様子がない。

 今なら引き返せる。


「あの、少しよろしいでしょうか?」


 声をかける。声をかけて、しまった。


**********


 感傷に浸っているところに突然ララ・ルー・クラインに声をかけられ、オリヴィアは一瞬だけだが放心した。だがその一瞬あとには万人受けする営業用の笑顔を作る。教会のことは好きになれないし、積極的に関わるつもりもない。しかしその感情をこの場で表に出すほど、オリヴィアは子供ではなかった。


「はい、何でしょうか」


 オリヴィアがそう応じると、ララ・ルーは一瞬戸惑うような素振りを見せてから言葉を続けた。


「わたしはララ・ルー・クラインといいます」

「存じております。オリヴィア・ノームといいます」

「素敵な腕輪ですね。少し見せていただいてもよろしいでしょうか?」

「え、ええ、かまいません」


 そういってオリヴィアは腕輪を外し、ララ・ルーに手渡した。ララ・ルーは受け取った

腕輪を一通り眺めると、一瞬気難しげな表情を浮かべたが、すぐにもとの笑顔に戻った。しかし彼女の胸のうちは表情ほど穏やかではない。


(これは確かにお義母さまと同じ………。でもだからと言って………)


 その腕輪には蝶をあしらった絵柄が掘り込まれていた。見慣れた、マリアの腕輪と同じ絵柄である。だからといってこのオリヴィアという女性と義母マリアになにかしらの関係があると決め付けるのは早計であろう。


「これは、どこでお求めになったのですか?」

「さて、それは………。物心付いたときから持っていましたが、自分で買ったものではないので………」


 嘘はついていない。しかし全ての事情を説明する気にはなれなかった。全てを説明しようと思えば自分が孤児で、その上生活していた孤児院が盗賊に襲われてほぼ全滅した、などということも言わなければいけないだろう。それを説明したときの人々の反応に、オリヴィアは大概飽きていた。


 そうですか、とララ・ルーは呟き腕輪をオリヴィアに返した。さらに何か言おうとしたとき、横から男の声が割り込んだ。


「悪い。待たせたか」

「イスト………」


 どこかほっとしたように、オリヴィアがその男の名を呼んだ。

 イスト、と呼ばれた男は整った目鼻立ちをしていたが、かといって取り立てて美形というわけでもなかった。だが、その目は強い力を秘めているようにララ・ルーには感じられ、それが容姿以上に彼の存在に生気を与えていた。食べ物でも買ってきたのか、いい匂いのする袋を抱えている。


「貴様、無礼であろう!」


 話しに割り込んできたそのイストという男に対し、護衛の一人が怒りの声を上げた。ただ彼にひるんだ様子はなく、オリヴィアに何ごとかと視線で問いかける。


「ララ・ルー・クライン様よ」

「ああ、なるほど………」


 イストは納得した様子を見せたが、かといって慌てることはなかった。それどころかこんなことを言い出した。


「一つ聞いてみたいことがあったんだけど、いいか?」


 言葉遣いを改めない彼に対し憤りの声を上げる護衛を制し、ララ・ルーは「いいですよ」と答えて先を促した。話を遮られたことに憤りは感じたが、それ以上にほっとする気持ちのほうが強かった。これ以上藪をつついては、蛇よりやっかいな何かが出てきそうな気がしていた。


(触れたいけど、触れたくない。矛盾していますね………)


 イストというこの男のおかげで、今回は触れなくてもいいほうに話が流れてしまった。そして一度流れてしまった話を蒸し返す気力は、ララ・ルーにはなかった。


 腕輪のことはとりあえず頭の片隅に追いやり、ララ・ルーはイストの問いかけのほうに意識を集中した。


「何の罪もない子供たちが盗賊に襲われ、そして殺された。なぜそんなことが起こる?」


 その問いかけにオリヴィアは息を呑んだ。必要最低限の、いやもしかしたら必要最低限未満の言葉だが、彼女はイストが何をいわんとしているのか分ったのだ。つまりあの夜の、孤児院が盗賊に襲われた夜の説明を求めているのだ。そしてその答えは、かつてオリヴィアが求めたものでもある。そして恐らくはイストも。


「それは神々が小さな天使たちをお求めになったのです。その子供たちは、今は神々の御許で幸せに暮らしていますよ」


 慣れた調子でララ・ルーはそう答え、目を閉じて冥福を祈った。この手の問いかけは過去に何度もされてきた。そしてそのたびにこう答え、相手はそれで満足してくれた。教会ではそう教えられていたし、実際彼女自身その教えを疑ったことはなかった。


「そうかい。それはよかった」


 イストのその言葉で、ララ・ルーは目を開けた。しかし、イストの目を見てララ・ルーは凍りつく。


「じゃ、そろそろ行くか」


 イストはそういって顔色を悪くしているオリヴィアを促し、馬車の御者席に乗せた。それから彼はララ・ルーに軽く一礼し、馬を引いてその場を後にした。


 二人が去ったあとも、ララ・ルーは凍り付いてしばらく動けなかった。


(なんで………?どうして………!?)


 つい先ほどのララ・ルーを見るイストの目。あの目は冷たい軽蔑の目だった。


**********


 オリーブオイルの量り売りに行ったオリヴィアとイストの二人が、キャラバン隊の本隊に戻ってきたのはお昼を大きく過ぎた頃のことだった。昼食は露店で買って済ませたらしく、馬車の荷台には空の袋がまとめられていた。


 帰ってきた二人の、というよりオリヴィアの異変に、クリフはすぐに気が付いた。いつも明るい彼女が、今は意気消沈したように肩を落としている。


 イストと喧嘩でもしたのかと思ったが、どうも様子が違う。むしろイストは気落ちしたオリヴィアを気遣う様子を見せ、今はお茶の用意をしていた。


 お茶を差し出したイストに、オリヴィアが微笑みかける。その光景を見て、クリフの胸は痛んだ。自分にはできないことをいとも自然にやってしまうイストのことが、憎らしくて羨ましくて、そして妬ましい。


 クリフの視線の先で、二人がお茶を飲んでいる。特に会話をしている様子はないが、二人の間には独特で穏やかな空気が流れていて、クリフはそんな二人の間に入ることはできなかった。


**********


 オリヴィアがララ・ルーと出会い、そしてイストが過去を問いかけたその日の晩、彼はキャラバン隊の馬車から少し離れたところに座り込み酒を飲んでいた。季節は冬の盛り。空に雲はなく、星は剣のように冷たい光を放ち、地上に残ったなけなしの熱を奪っていく。イストのそばには「マグマ石」が煌々と熱と光を放ち、極寒の世界に対抗していた。


「わたしにも一杯もらえるかしら」


 近づいてきた足音に目をやると、オリヴィアが立っていた。そして彼女は返事をもらう前にイストの隣に座り込んだ。


「寒くないのか?」


 イストは魔道具である「旅人の外套(エルロンマント)」を羽織っている。この外套は温度調節と雨・風除けをする魔道具だから、これを一枚羽織っていれば中は薄着でも随分と温かい。が、オリヴィアのほうはそうはいかないはずだ。


「大丈夫。一杯着込んできたから」


 そう答えるオリヴィアに、イストは杯をわたし「魔法瓶」に入れられたお酒をついでやる。


「あら、温かいお酒なんだ」


 杯に注がれたお酒が湯気を立てているのを見て、オリヴィアが少し驚く。このエルヴィヨン大陸にはお酒を暖めて飲む習慣はあまりないから、当然といえば当然だ。


「コッチで仕入れたスモモのお酒だ。買ったときに、この季節なら暖めて飲むといいって店員さんが教えてくれたんだ」

「………忙しくてもお酒の補給は欠かさないのね」


 たいして飲めないくせに、とオリヴィアが少し呆れたように言う。イストがお酒好きであることは、この二ヶ月近く一緒に旅をして彼女も知っている。同時に彼が“うわばみ”とか“ザル”などと称されるような、酒豪でないことも知っている。下戸というほど弱くはないのだが、飲んだら飲んだだけ酔うタチだ。一度酒好きの隊員の飲み比べに付き合って潰され、もどしたのも知っている。ちなみにオリヴィアは大体止める側だ。放っておくと商品にまで手を出すのだ、奴らは。


 オリヴィアは、それほどお酒は好きではない。甘い食中酒を嗜む程度だ。それが、この日の夜はアルコールを求めた。


 原因は分っている。昼間の、ララ・ルーのあの言葉だ。


「………悪かったな」

「なんでイストが謝るのよ」

「なんとなく、な………」


 会話はそこで途切れた。二人とも言葉は交わさず、ただ冬の星空を眺めながらスモモのお酒で体を温める。


「ねぇ」


 沈黙が気まずくなったわけではないだろうが、先に口を開いたのはオリヴィアのほうだった。視線は夜空のほうに向いている。


「あの質問、前にもしたことがあるの?」


 それは疑問というよりも確認だった。確証はないが確信はある。矛盾してはいるが、オリヴィアは疑っていない。


「ん?まあね。ていうか、そっちも?」

「………前に一度、ね」


 そして同じ答えを頂戴したのだという。きっと、教会の方でも良くされる質問で、答えがマニュアル化されているのだろう。


「アレはないよな………」

「そうね………」


 あれは何も知らない人間の慰め方だ。いや、慰めにすらなっていない。生き残ってしまった当事者にしてみれば、傷口に塩をすり込まれるのと同じだ。ああやってしたり顔の聖職者に慰められた(・・・・・)あと、イストは、そして恐らくはオリヴィアも、神々とやらを呪ったものである。


 そうやって二人が話していると、新たな足音が近づいてきた。そして足音の主は、躊躇いがちに二人に声をかけた。


「あの………!」

「………こんなところに一人できていいのか?」


 イストが呆れたように足音の主にそう声をかけた。足音の主は、ララ・ルー・クラインその人であった。昼間のような護衛はつけておらず、ただ一人でここまで、つまり街の外まで来たようである。


「抜け出してきました」


 そう答えるララ・ルーに、イストは「お転婆だねぇ」と呆れる。ただその言葉には若干の棘が含まれていた。


「それで、何のようだ?」


 イストにそう問われると、ララ・ルーは一瞬言いにくそうに目を伏せたが、すぐに意を決したように目を上げイストの視線を真っ直ぐ受け止めた。


「昼間、気分を害してしまったようでしたので………」

「わざわざ謝りに来たの?」


 オリヴィアも呆れ気味だ。しかしララ・ルーはそれを否定した。


「いえ、その理由を伺いに」


 その言葉を聞くと、イストは「へぇ」と小さく呟き目を鋭く細めた。酔っ払っているわけではないが、アルコールのせいか目が据わっている。


「同じような質問は、これまでも何度かされたことがあります。そして同じような答えを返してきました」


 今回と同じように。しかしその答えを聞いたイストは、目に蔑みを宿した。それを見て、傷つけてしまったと直感したという。もしかしたら、これまで質問に来た人たちも傷つけてしまっていたのではないかと思うと、いてもたってもいられなくなった。


「教えて頂けませんか。何が、悪かったのでしょうか?」

「………あの時、自分がなんて答えたか覚えてるか?」


 杯を傾けながらイストはララ・ルーに問うた。ただ視線は彼女から外し、夜の寒空を見上げている。


 あの時、イストは次のように問い、そしてララ・ルーはこう答えた。

『何の罪もない子供たちが盗賊に襲われ、そして殺された。なぜそんなことが起こる?』

『それは神々が小さな天使たちをお求めになったのです。その子供たちは、今は神々の御許で幸せに暮らしていますよ』


「はい。覚えています。ですが………」


 その答えにまずいところがあったとは、どうしても思えないのだ。実際教会ではこう教えられてきたし、幸せになっているのだから慰めにもなると思うのだが。


 しかし、ララ・ルーのそんな主張は、イストの次の言葉で木っ端微塵に砕かれることになる。


「それじゃまるで神々が子供たちを殺したみたいじゃないか」


 イストの言葉はむしろ淡々としている。しかしララ・ルーは殴られたかのような衝撃を受けた。


 神々が小さな天使たちを求めた。それはつまり神々が子供たちの死を望んだ、子供たちを殺した、と解釈することができる。自分たちの都合で子供を殺して召し上げる。その行為に慈悲深さを感じる人はいないだろう。


「それは………!」


 ララ・ルーは反論しようとするが、言葉は出てこない。言葉をさがす彼女を無視して、イストは続ける。


「しかも盗賊に襲わせて、だ」


 恐怖、絶望、激痛。そんなものをありったけかき集めたかのような殺し方だ。神様ならもっとマシで楽な死に方をさせてやれよ、とイストは努めて独り言の調子で呟いた。そうしないと、罵声を浴びせてしまいそうなのだ。


「………っ」


 ララ・ルーはもはや何もいえなくなり、下唇を噛んで俯いた。オリヴィアは何も言わない。杯を両手で持ち、何かを考えているのか黙り込んでいる。イストはもう一度杯を傾けお酒を喉に流し込むと、視線をララ・ルーのほうに戻した。


「なあ、なんでなんだ?なんで、あいつらは死ななきゃいけなかったんだ?」


 ララ・ルーを見つめるイストの瞳は、真っ直ぐで、また澄んでいた。この夜の星空のように。真っ直ぐではあるがその光は鋭く、澄んではいるが寒々としていて温かみはない。問うだけで、何も期待はしていない目だった。


 ララ・ルーは答えることができなかった。イストが再び夜空に視線を上げると、彼女は一つ頭を下げ、逃げるようにしてその場を去っていった。





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