第七話 夢を想えば⑬
時間は少し遡る。
季節は冬の真っ盛り。あと二週間もすれば新年を迎える。
「新年は商機よ!」
力強く拳を握り、オリヴィアはそう力説した。なんでもお祝い気分で人々の財布の紐はゆるくなっており、さらに少々高くとも珍しいものが好まれるから、各地の特産品を売買している行商人にとって新年は絶好の商機なのだとか。
「仕入れたオリーブオイルって珍しいものじゃないよな?」
「そうだけど、一年を通して使うものだし、いつでもどこでも需要はあるわ」
それに新年のご馳走には欠かせないものよ、とオリヴィアは解説した。またキャラバン隊の商品はなにもオリーブオイルだけではない。
キャラバン隊を率いているオルギンは、儲け最優先の人物ではなかったが、それでも商人の性として売り上げは多いほうが嬉しい。そこで新年めがけて少し大きめの都市を目指し、キャラバン隊の進路をサンタ・ローゼンの西に位置する国、フーリギアに向けた。
フーリギアの版図は四三州。小国であり、神聖四国と教会の威光を笠に、というよりほとんど属国の立場を受け入れることによって、国を維持していた。そのせいか、教会の信者が多い国でもある。
オルギン率いるキャラバン隊が目指しているのは、フーリギアの中でもサンタ・ローゼンとの国境に近い、つまり国土の中では東側に位置しているベルラーシという都市だ。この都市は幾つかの巡礼道が交差する場所になっており、都市の中心には大きな教会が建てられている。
この時期ならば、教会の本拠地であるアナトテ山には距離的に行けない人々が新年の御参りに来ているはずで、年初めの商売にはちょうどいいといえる。
「ここからなら、新年の一週間くらい前にはつけるんじゃないかしら」
広げた地図を前にして、オリヴィアがそういった。その概算にイストも頷く。このキャラバン隊と一緒に行動してすでに一ヶ月以上。一日にどの程度の距離進めるのかは、もう感覚として分っている。
キャラバン隊とのこれまでの旅路は、とりあえずは順調であった。“とりあえず”と付くのは、小さな問題は幾つも起こっているが、そのつどきちんと解決され大問題には至らなかったからである。
イストとジルドの仕事、つまり護衛の領分に限定してみれば、これまで野盗崩れや狼の群れ、バロックベアなどに襲われた。ただオルギンも言っていた通りキャラバン隊のメンバーだって戦えないわけではない。魔道具を持っていた野盗崩れは荷が重かったかもしれないが、獣程度なら彼らだけでも問題はなかっただろう。
無論、魔導士二人の、というより主にジルドの敵ではない。バロックベアの時などは、三百キロはあろうかという大物だったのだが、オルギンに言わせると「随分余裕があるように見えた」らしく、「なるべく傷を付けずに仕留めてくれ」と注文を受けた。
「毛皮が欲しい」
ということらしい。もちろん商品として、だ。ついでに言えばバロックベアの爪もなかなかいい値段で売れる。襲われているのになんとも緊張感のないオルギンの注文に、イストは肩をすくめジルドは苦笑を浮かべたが、二人はその要望にこたえた。
バロックベアは大きな爪を振り回すが、ジルドは一定の間合いを保ちながら全てそれをかわしていく。そして相手が噛み付こうとしてきたところで一気に間合いを詰め、大きく開いた口に「光崩しの魔剣」を突き刺し、そして貫通させた。バロックベアはそれでもすぐには絶命に至らず、その爪でジルドの体をかき裂こうとしたが、その爪が彼の体に届くことはなかった。イストが展開した防御用の魔法陣が、バロックベアの爪を防いでいたのだ。
ジルドが刀を抜いて下がると、バロックベアは仰向けに倒れこみ、そして立ち上がることはなかった。ちなみにその日は熊鍋をおいしく頂いた。貴重なお肉を捨てていくなんてもったいないことはできないのだ。
こうしてイストとジルドは護衛としての仕事をこなしていたのだが、もちろん毎日毎日何かに襲撃されることなどありはしない。何もない日はキャラバン隊とメンバーや弟子であるニーナなどと一緒に雑用をこなしたりしているのだが、それも終わってしまうと本格的に仕事がない。そんなときはこうしてオリヴィアとお茶を飲みながら話をするか、新しい魔道具のアイディアをまとめたりして、イストはこのごろの毎日を過ごしていた。
「十字軍遠征の情報は何かないか?」
少し温くなってしまったお茶を啜りながら、イストはオリヴィアに尋ねる。これまで旅をしてきたからか(今も旅の真っ最中だが)、この手の情報はどうしても気になる。
「確かなことは分らないけれど、小耳に挟んだ情報をつなぎ合わせると、どうもゼーデンブルグ要塞が落ちたみたいね」
オリヴィアのその言葉にイストは、へぇ、と呟いて小さな驚きを示した。
ゼーデンブルグ要塞はアルテンシア半島の入り口を守る大要塞で、常時十万の兵を駐在させ、大量の兵糧を抱え込んでいる。
余談になるが、何もない平時に十万の兵を常時駐在させておくのは、財政的にもかなりきついものがある。アルテンシア同盟にはさらにもう一つ、パルスブルグ要塞もあったから兵の数は倍の二十万である。
同盟にしてみればこれらの戦力は正規軍に当たるわけで、半島の規模からすればむしろ少ないともいえる。だが、それぞれの領主たちが警備隊(ほとんど私兵だが)を抱えている状態で、さらに二十万の兵を常備しておくことに無駄を感じる者もいただろう。
当然、同盟内部には軍縮をとなえる領主もいたはずで、にもかかわらず発足以来ずっと要塞駐在軍の数を減らさなかったという事実は、アルテンシア半島の民に植え付けられた恐怖がいかに深刻であったかを物語っている。
閑話休題。話を元に戻そう。そのゼーデンブルグ要塞が落ちたという。
「十字軍側の被害は?」
ゼーデンブルグ要塞は噂に聞こえた大要塞である。それを落としたとなれば、十字軍側にも相当な被害が出ているとイストは思ったのだが、オリヴィアの答えは意外なものだった。
「それが、十字軍に被害はほとんど出ていないらしいのよ」
そんな馬鹿な、と言おうとしてイストはその言葉を飲み込んだ。別の可能性が頭をよぎったからである。
「シーヴァ・オズワルド、か………」
シーヴァ・オズワルド率いる反乱軍討伐のために要塞の軍を動かした、と考えれば一応筋は通る。要塞駐在軍がまとめて神隠しにあっただとか、戦いもせずに逃げたなどと考えるよりはよほど説得力があるだろう。
「そうね………。詳しい情報は分らないからなんとも言えないけど、それが一番可能性が高いと思うわ」
オリヴィアと推測が一致してイストは満足そうに頷いた。腕利きの商人とは情報の分析にも優れているもので、オリヴィアのそれもなかなかのものなのだ。
オリヴィアも嬉しそうに微笑みながら膝の上にのせた黒猫、ヴァイスの背を撫でる。あれ以来、この黒猫が喋るところをイストは見ていない。もしかしたら、マスターと決めたオリヴィアにも内緒にしているのかもしれない。ちなみにヴァイスが「ニャー」と泣くときはあの渋い声ではなく、普通の可愛らしい猫の鳴き声だった。
ピクリと耳を動かし目を開けたヴァイスが、オリヴィアの膝の上から飛び降り背伸びをする。それからそのままどこかへ向かって歩いていってしまった。
「相変わらず気まぐれね」
ご自慢のシッポをゆらゆらと揺らしながら歩く黒猫の後姿を見ながら、オリヴィアは苦笑をもらした。ただ、置いていってしまうかも、といった心配はしていない様子だ。
「気まぐれは、猫にしてみれば美徳じゃないのか」
「それもそうね」
そして、二人は少し笑った。
それにしても、とイストは思う。猫の姿をしてはいるがヴァイスは本来猫ではなく、猫型の魔道人形、突き詰めて言えば魔道具である。にもかかわらず、イストでさえそれと言われなければ、本物の猫と勘違いしてしまいそうな精巧さである。
(アレか?厳重に被せられた猫のおかげか?)
セシリアナ・ロックウェルの、歴代のアバサ・ロットの技術力の高さに、改めて脱帽するイストであった。
**********
男女の笑い声にニーナが顔を上げてみると、そこには師匠であるイストとオリヴィア(本人から呼び捨てでいいといわれている)の姿があった。
イストとオリヴィアの関係、そして過去に何があったのか、ニーナは簡単にだが話を聞いている。淡々と語る師匠の話を聞いて、なぜか泣いてしまったのを覚えている。今でも悪夢を見ると言われ、今まで気が付かなかった自分が情けなくなった。
「優しい子ね」
そういって頭を撫でてくれたオリヴィアは、強い人だとニーナは思う。彼女の顔に残る火傷のあとのことは、話の流れの中で出てきた。自分のほうが辛いはずなのに、こうして慰めてくれる彼女はとても強いと思う。
二人はまだ話しをしている。仲のいい様子だし、また楽しそうでもある。
ニーナが思うに、二人はなかなかお似合いだと思う。
かつて同じ孤児院にいて、盗賊の襲撃を生き残り、互いに死んだと思っていた二人が十年の月日を経て再会する。なかなかに運命を感じる物語ではないか。
くっついちゃえばいいのに、とそこまで安直に考えているわけではない。が、変人の師匠はともかくとしても、オリヴィアはそろそろ幸せになっていい頃ではないだろうか。いや、なって欲しいとニーナは思っている。イストと一緒になることで彼女が幸せになれるならば、ニーナとしては暗躍することもやぶさかではない。
(ただ師匠にバレたらどんな目にあうか………)
呆れられて怒られるくらいならまだいい。きっとあの師匠のことだから、こちらの暗躍を逆手にとってろくでもない仕返しをしてくれるに違いない。
「うん。修行に専念しよう」
二人を恋人にすべく暗躍する計画は半瞬の迷いもなく切り捨て、ニーナは手元の資料に視線を落とした。もとよりこちらが“本業”だ。暗躍計画には心惹かれるが、本業をなおざりにしてはいけないだろう。
(別に師匠の報復が怖いわけではなく………)
そんな言い訳がましいことを頭の隅で考えてから、ニーナは資料に目を通していく。プーリアの村で読んでいたものとは別の資料だ。あれはキャラバン隊が村を出発する前に、レポートをまとめ作品を完成させることができた。最後の査定も今回は一発合格で、ニーナは出発とほぼ同時に新しい課題を始めたのだった。
ただ、少し問題があった。キャラバン隊と行動するようになって、移動の際には馬車に乗っているのだが、当然馬車は揺れる。そんな馬車に乗りながら資料を読んでいると、酔うのだ。
(アレは気持ち悪かった………)
そんなニーナを見かねて、ではなくニーナがイストに泣きついて用意してもらった魔道具が「バランスクッション」である。この魔道具は中に空気が入っているような感じで、馬車がどれだけ揺れても、このクッションがすべてそれを吸収してくれ、座っている人間には振動が伝わらないのである。
(おかげで随分読めましたねぇ~)
徒歩での旅ならば歩きながら読むことはできない。が、馬車に揺られている間中読めるならば、随分と時間が有効活用できる。三十センチはあった資料の山は、今の時点で半分くらい読破している。
至って順調。ニーナは進み具合にそう自己評価をつけた。これは師匠であるイストからの悪戯が減ったおかげだ、とニーナは思っている。
プーリアの村に居たとき、ニーナは「形状記憶ジェル」を入れておいたビンの中身が、イストによってオリーブオイルにすり替えられていることに気づかずにそのまま髪の毛につけてしまったことがある。そのせいで髪の毛がベタベタのツヤツヤになってしまった。まったく、あのバカ師匠は女の子の髪の毛を一体なんだと思っているのだ。
師匠は「使う前に気づけよ」と言っていたが、それではまるで中身をよく見ず頭にかけたわたしが悪いみたいではないか。
厳重に抗議した次の日、今度は良く確かめてから使ったのだが、今度は何の効果もないただのジェルにすり替えられていた。それを知らずに使ったのもだから、次の日寝癖を直そうと魔力をこめても全然直らない。そのうえ、意地になって魔力を込めているところを師匠に見られて爆笑された。
それが、キャラバン隊と一緒に旅をするようになってから、一度も悪戯を仕掛けられていない!
「ああ、平穏って素晴らしい………!」
この平穏がオリヴィアといるおかげなのだとしたら、やっぱりくっ付いちゃえばいいのに、と思ってしまうニーナであった。
**********
ニーナの他にもう一人、イストとオリヴィアが楽しそうに談笑する様子を見ている人物がいた。
彼の名はコンクリフト・クルクマス。キャラバン隊のメンバーからはクリフの愛称で呼ばれている。彼は楽しそうに笑うオリヴィアの表情を見ると、悔しそうに視線をそらしうつむいた。
クリフはもともと農家の生まれだ。決して、楽な生活ではなかった。そしてそれ以上に、先の見えすぎる生活だった。土にまみれ、日照りと雨を心配する。土と空ばかりに気にして、そのうち自分が人間であることさえ忘れてしまいそうだった。いずれ嫁を貰い、そしてこのまま土にまみれて生き、そして死んでいく。そんな未来が、いやそんな未来しか思い描けなかった。
絶望した。先の知れた自分の人生に。
三年前、オルギンに頼み込んでキャラバン隊に加えてもらったのは、商人になって自分の店を持ちたいという夢があったから、ではない。実家を継いで農業を続け、先の知れた人生を歩くのが嫌だっただけだ。家は弟が継ぐだろう。
そして出会ったのが、オリヴィアだった。
一目惚れ、だった。
蜂蜜色の髪の毛も、青い瞳も、別に珍しいものではない。けれども彼女のそれはやっぱり特別で、今でもその考えは変わらない。笑いかけてくれたその笑顔に見とれて、それを気取られるのが恥ずかしくて、邪険にしてしまったのを後悔している。右目を髪の毛で隠していたが、その頃は深くは考えておらず、気が付けばその下にあるであろう素顔を想像していた。
最初に邪険にしてしまったせいか、オリヴィアとはなかなか会話ができなかった。いや、オリヴィアは話しかけてきてくれるのだが、どうしてもつっけんどんな対応になってしまう。そんな時、彼女は決まって苦笑を浮かべて離れていくのだ。その背中を見送りながら、話しかけてもらえて嬉しいのに邪険にしてしまったことに後悔する。そんなことの繰り返しだった。
(あそこで話しているのが、なんでオレじゃないんだよ………!)
つい先ほどの光景、イストとかいう護衛とオリヴィアが楽しそうに話していた光景を思い出して、嫉妬する。
イストは、ヤツはオリヴィアの右目のことを知っている。にもかかわらずああやって話ができる。自分は、そのことを知ってますます気まずくなってしまったというのに。
オリヴィアの右目のこと、そこに広がる火傷のあとのことを知ってしまったのは、ほとんど偶然だった。彼女が顔を洗っているところに出くわしたのである。正直な話、オリヴィアしか見ていなかったから、タオルの上におかれた眼帯には気づかなかった。
そしてオリヴィアが顔を上げ髪の毛をはらったその瞬間、クリフは右目とその周りに広がる醜い火傷のあとを見てしまったのである。
それは衝撃的な光景だった。オリヴィアは綺麗な人である。そんな彼女の顔に残る火傷のあとは、その凄惨さがいっそう際立っているように見えた。
オリヴィアに声をかけることもできず、かといってそれを見続ける勇気もなく、クリフはその場から逃げ出した。
初めて見てしまったその素顔は、当然のことながら想像していたものとは違う。自分が何も知らず、勝手な幻想を抱いていただけだと思い知らされ愕然とした。
ただ、それで恋が冷めてしまったのかといえば、そんなことはない。傷ついているはずだと思うと、支えてあげたいと思うようになった。
もっと彼女のことを知らなければならないと思い、キャラバン隊のわりと初期からいるメンバーにそれとなく話を聞いてみた。そしたら、物凄い形相で睨まれた。
「興味本位で首突っ込んでいい話じゃねぇんだぞ!」
それでも食い下がったら、今度は殴られた。
「聞きたいんなら嬢ちゃん本人から聞け。聞く覚悟もねぇ奴が首突っ込むんじゃねぇ!」
まったくその通りだろう。しかし、かといって本人に聞くことなどできなかった。それができる勇気があるなら、あの時逃げ出しはしなかった。
殴られた頬を擦りながら、すごすごと退散する。そして、そこで出会ってしまったのだ。オリヴィアと。
「どうしたの?」
「あ、いや、その………」
クリフ本人はいつも通りに対応しているつもりだった。しかしいぶかしむオリヴィアの様子を見て、それが失敗していたことに気づく。
そして、オリヴィアが何かに思い至ったのか目を見開く。そして、彼女の表情は強張っていった。
バレた、と直感した。オリヴィアの右目の火傷痕を見てしまったことに気づかれた、と彼女の表情で分ってしまった。
血の気が引く。何か言おうとするが、上手く言葉が出てこない。そのせいでさらに焦り、挙動不審になっていく。それを見たオリヴィアが確信を深めたのが分った。
悪循環。
「ごめん。わたし、ちょっと用事思い出したから………!」
そういって顔を俯かせ、オリヴィアは逃げるようにして足早に去っていく。それがいっそありがたかった。だけど、一瞬後には“ありがたい”なんて思ってしまった自分に嫌気がさす。
なぜ何も言えなかったのか。なぜ手を伸ばさなかったのか。なぜ追いかけていかないのか。
なぜ、なぜ、なぜ?
それから、オリヴィアとはさらにぎこちなくなってしまった。簡単な事務連絡程度にしか、言葉も交わさない。
それでもオリヴィアの夢をみる。だけど夢の中の彼女の顔は、想像していた、火傷痕のない顔だ。その夢を見るたび、自分はありのままのオリヴィアを受け入れられていないのだと、激しい自己嫌悪に陥る。
嫌われてしまったかもしれない。
そう思うと、自分から話しかけることもできない。謝ることもできず、オリヴィアのとの関係はいっこうに改善されないまま、初めて出会ってからもう三年が経ってしまった。
オリーブオイルを仕入れるためプーリアの村に来たとき、キャラバン隊の隊長オルギンはそこで護衛二人と雑用を一人雇った。護衛の名前はイスト・ヴァーレとジルド・レイド。雑用の名前はニーナ・ミザリだという。
二人の護衛の腕は確かだと思う。クリフも男手として武器を持って戦うことが何度かあったが、二人が前に出て戦ってくれると随分楽だし危険も減った。
三人とも気のいい連中で、すぐにキャラバン隊とも馴染んだ。ただ三人、特にイストがオリヴィアと仲良くなったのは、クリフにとって大問題であった。しかもイストはクリフがつまずいた障害を、いとも簡単に乗り越えてしまったのだ。
その時オリヴィアは、やはりあの時と同じ様に顔を洗っていた。イストはそこに近づいていき、彼女にタオルを手渡したのだ。そしてそのタオルを受け取ったとき、オリヴィアは笑顔だった。
衝撃的だった。火傷痕のことをクリフに知られたときにはあんなにも動揺したというのに、イストには火傷痕そのものを見られても何も気にしていないのだ。そしてイストのほうも、彼女の顔に広がる火傷の痕を気にしている様子はない。まるでそんなものは何の問題でもないかのように、二人はごく普通にしていた。
(なんでアイツにはできて、俺にはできないんだよ………)
差を思い知らされた気がした。自分の器の矮小さを思い知らされた気がした。
イストはオリヴィアの幼馴染だという。つまり彼女の過去を知っている。自分だってソレさえ知っていれば、と思う一方で面と向かって聞く勇気はない。
自分の臨む位置にいるイストの事が、憎らしくて羨ましくて妬ましい。そして遠くから眺めていることしかできない自分が、嫌いだった。
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先ほどからこちらを見ていた男が、誰かに呼ばれたのかその場を去っていく。イストの視線に気づいてオリヴィアも同じほうを見た。
「クリフ、ね………」
オリヴィアが少し悲しそうにその名前を呟く。聞けば火傷のあとをどこかで見られたらしい。
「見られたとしてもそれは私の不注意だろうし、何かあるわけじゃないわ。ただ、お互いぎごちなくなっちゃってね………」
以来、距離が開いたままだという。
「嫌われちゃったかな………」
その言葉は、クリフには届かなかった。