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乱世を往く!  作者: 新月 乙夜
第七話 夢を想えば
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第七話 夢を想えば⑪


 大陸暦1564年11月7日、ついに十字軍はアルテンシア半島に向けて進軍を開始した。本来であるならばもう少し早く進軍を開始できたのだが、枢密院内で「神子の祝福」をどうするかという問題について意見がまとまらず、この時期にまでずれ込んでしまった。ただ、十字軍は複数の国が兵を出し合っている連合軍である。その内部をまとめ上げるのに多少の時間が必要であったことも事実である。


 七人の枢機卿の中で、十字軍に対し神子の祝福を与えることに最後まで反対したのは、テオヌジオ・ベツァイただ一人であった。


「血生臭い戦争に神聖な神子の祝福を与えるなど、言語道断である!」


 そういってテオヌジオは最後まで抵抗した。ちなみに彼と同じく十字軍遠征に反対であったカリュージス・ヴァーカリーは決を棄権した。本心では反対していたのかもしれないが、教会が旗振りをしている遠征に神子の祝福が与えられないとなると、教会として格好がつかない部分があるのも事実なのだ。


 ただ、彼ら以外の五人の枢機卿の思惑はもっと生々しい。


 まず神子から祝福が与えられれば、十字軍兵士の士気は大きく上がるだろう。兵の士気というのは戦力に直結するから、遠征を成功させる上で神子の祝福はどうしてもほしいお墨付きであると言えた。


 また祝福が与えられれば、アルテンシア半島に至る道中、住民たちからの協力を得ることが容易になるだろう。“神子の祝福”を受けた軍であるというただその一点をもって、彼らは十字軍に最大限協力してくれるであろう。祝福を受けた十字軍に協力しないということは、そのまま教会への敵対を意味しているのだから。


 以上のように、神子の祝福は遠征を成功させ、また教会の威光を広めるためには、必須事項であるように思えた。そして十字軍遠征が成功すれば、教会だけでなく彼らの懐にも巨額の金が舞い込むのだ。


(そこまで上手くいけばよいが………)


 決議が強行され、枢密院の堕落を嘆くテオヌジオの隣で、カリュージスはそう嘆息した。ただ彼の嘆息の理由は、テオヌジオのように宗教的なものではなく、純粋に政治的な懸念によるものであった。


 神子の祝福が十字軍に与えられるということは、アルテンシア半島で行われるであろう十字軍による略奪や暴行にもお墨付きが与えられることになる。勝てばそれらの行為が問題になることはない。


 しかしもし負ければ?

 仮に十字軍が負けたとすれば、敵は彼らが行ったそれらの残虐な行為の責任と代償を求めるであろう。


 誰に対してか。

 教会に対し、そして究極的には神子に対してである。しかも十字軍をアルテンシア半島からたたき出した戦力を背後に控えさせて迫ってくるのだ。


 もしそんなことになれば、事態がどう転がろうとも教会の発言力は大きく低下する。そして自前の国土と臣民を持たない教会にとって、発言力の低下は組織の存亡そのものに関わる問題なのだ。


 十字軍遠征の失敗と共に、教会の組織事態が弱体化、あるいは崩壊さえする。そんな最悪のシナリオが、カリュージスの頭の中に居座っていた。


 無論、負けることを前提に遠征を計画する愚か者はいない。今回の十字軍遠征だってそれなりの勝算があってのことだ。


 今、アルテンシア半島は混乱の渦中にある。アルテンシア同盟とそれに反旗を翻したシーヴァ・オズワルドが、半島の覇権をかけて争っているのだ。これは同盟ができて以降初めての内輪もめであり、千載一遇のチャンスに思えた。


 これが純軍事的にみてどれほどの好機なのか、それはカリュージスには分らない。分らないが、各国が軍を出した、という事実はある。教会が旗振りをした以上、兵を出さないわけにはいかなかったという事情はあるだろうが、それにしても三二万の大軍である。専門家の目からみても大きな好機なのだろう、と慮ることはできる。


(両者まとめて叩き潰せるならば、だが)


 カリュージスがアルテンシア同盟に脅威を感じることはない。所詮は腐りきった組織。むしろ、よくぞ革新の種を残しておいた、と褒めるべきであろう。それはつまり組織の自浄作用がかろうじて働いていたということなのだから。もっとも今はその“自浄作用”が組織を殺そうとしているわけだが。


 問題はその革新の種、シーヴァ・オズワルドのほうである。


 彼と彼の軍は強い。決起から一年も経たないうちに半島の半分近くを切り取ってしまった。とくに最初の二、三ヶ月は異常な速度であった。その速度を軍隊という組織だけで実現することはほぼ不可能であるということは、軍事に疎いカリュージスでも容易に想像がつく。


 つまりは、住民たちの協力があったのだ。そう、熱狂的な協力が。

 住民たちは同盟や領主たちに三行半を突きつけただけではない。彼らはシーヴァ・オズワルドという革新の可能性を、ずっと待っていたのである。そして彼が物事を素早く行えるよう、積極的に協力していったのだ。


 今、シーヴァの周りには変革と新たな秩序を求める人々が集まっている。古く腐り果てた旧体制を淘汰し、新しい国を作ろうと邁進しているのである。彼らを支える想いは強く、彼らを突き動かすエネルギーは凄まじい。思い描いた夢を実現するために、彼らは己が命をかけている。


 大仰な言い方をすれば、アルテンシア半島では今まさに新たな歴史が生まれようとしている。古き時代の幕引きと新たな時代の幕開けを、人々は人力で行おうともがいているのである。


(こういう相手が、一番厄介だな)


 夢や理想を追いかける人間は強い。そしてそういった人々が集まって作る集団はもっと強い。いくつもの苦難を乗り越えてきたから自信があるし、新たな問題が立ち塞がっても気後れすることなくぶつかっていける。


 一言でいってしまえば、勢いがある。今シーヴァ・オズワルドが率いているのは、そういう集団であり組織であり国なのだ。


(翻って我が身を鑑みれば………)


 一方我が身、教会はどうか。腐りもはや腐臭さえ放っているではないか。失った聖銀(ミスリル)による収入、つまり遊ぶ金をまかなうために十字軍を派遣しようと言うのだ。無用な装飾を蹴り飛ばし要点だけを抽出して皮肉のスパイスを利かせれば、教会が強盗行為を主導している、ということになる。


 どう考えても、全うで健全な組織のすることではない。いや、歴史書を紐解いても、これほどの末期症状を見せた組織は他にないのではないだろうか。


 先ほど、アルテンシア同盟はかろうじて最後の自浄作用が働いた、とカリュージスは評した。それでは自浄作用さえ働かない教会は一体何なのであろう。


(負ける、か………)


 若く理想に燃え力にあふれたシーヴァの軍と欲望だけで結びつく十字軍。その勝敗は、やはり明らかなように思えてならないカリュージスであった。


**********


 話を十字軍の動きに戻そう。

 大陸暦1564年11月7日、七人の枢機卿の一人グラシアス・ボルカは興奮していた。彼の目の前には、総勢およそ三二万の十字軍兵士たちが整然と隊列を揃え居並んでいる。グラシアスは懐から七つの封がされた巻物を取り出してそれを開き、そこに記されている「神子の祝福」を高らかに読み上げ始めた。


 神子の祝福、といってもその内容は神子が考えたものではない。内容そのものは担当の者がそれらしい言葉を並べて作り上げた、当たり障りのない文章だ。文章そのものに意味はない。なければ体裁が整わないから用意した、といってしまえばその程度のものだ。


 内容としては、以下のようになる。

 曰く「アルテンシア半島の異教徒たちを、神々の祝福のもとに改宗させるべし」


 まさか本音をそのまま書き記し、「略奪と暴行に励むべし」などと書くわけにも行かないから、内容としては常識的なものであろう。


 ただ、繰り返すがその内容に意味はない。本当に意味があるのは巻物の最後に記された、神子マリア・クラインのサインと印、ただそれだけである。


 巻物を読み上げている最中も、グラシアスの興奮は冷めることがない。いや、むしろ気分は高揚していき、快感にも似た延髄の痺れを感じている。言い知れぬ万能感が、今彼を満たしていた。


 本来この役は神子であるマリア・クライン本人が行うのが一番良い。しかし彼女は神殿から、御霊送りの祭壇から離れることができない。ならばその代理としては、後継者と目されている養女のララ・ルー・クラインが最もふさわしい。しかし彼女は今、視察巡礼のたびの真っ最中である。


 今思えば、これはこうなる事を見越したマリアがララ・ルーを十字軍遠征に関わらせないために打った策であろう。神子マリアは枢密院の決定に決して異議を唱えないが、だからといって恭順しているわけでもないのだ。


(もっとも、私としては好都合であったわけだが………)


 巻物で隠され兵士たちからは見えない口元を、グラシアスはニヤリと歪ませた。

 教会の呼びかけに応じて集まった兵士の数は総勢およそ三二万。これだけの戦力があれば、アルテンシア半島の制圧など簡単なようにグラシアスには思われた。完全制圧までともすれば半年、いやさらに半分の三ヶ月もかからないかもしれない。


(ヴァーカリーの若造はシーヴァなどという野良犬を警戒しているらしいが、恐れるに足らぬわ………!)


 十字軍遠征は成功する。ここに集った兵士たちを見てグラシアスは確信を新たにした。そして十字軍に神子の代理として祝福を与えた者として、彼の名は歴史に刻まれるであろう。さらにここで目立っておけば、遠征終了後に懐に舞い込む金額は跳ね上がり、さらに枢密院での発言力も増す。


 祝福を読み終えたグラシアスは、その巻物を兵士たちに向かって掲げる。その瞬間、三二万の兵士たちが一斉に歓声を上げた。


 十字軍遠征の始まりである。


 余談であるが、後の数多くの歴史家たちが、この遠征に関し決定的な不備であると指摘する点がある。それは兵糧の不足である。十字軍には短期間のうちに三十万を越える兵が集まったが、逆に言えば短期間であったがために三二万の兵を養うだけの兵糧が確保できなかったのである。


 その点は、十字軍上層部も把握していた。そこで彼らが取り決めた、兵糧に関する方針を記した資料が後の世にも残っている。そこには、


「兵糧の不足分は、原則として現地調達を基本とする」


 とある。「現地調達」と言葉を選べば確かに聞こえは悪くない。しかし総勢三十万を越える侵略者に、住民たちが協力的な態度で食料を供給してくれるはずはない。すなわちここで言う「現地調達」とは「略奪」と同義である。


 ここから分ることは、十字軍にとって略奪を行うことは織り込み済みで確定事項だった、ということである。無論、略奪には暴行がつきものだ。つまり十字軍遠征とは計画の最初からアルテンシア半島の非戦闘員を、無辜の民を食いものにすることを目的としていたのである。


 十字軍が行く。目的地はアルテンシア半島。表向きには異教徒を改宗させるために。




あれ!?十字軍がアルテンシア半島に着かなかった!


つ、つぎこそは………!

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