乱戦
廃工場は、音を飲み込む場所だった。
天井は高く、壁は剥き出しで、足音が遅れて返ってくる。外から見れば、もう使われていない建物に過ぎない。だが、中に入ると、ここで何が起きても不思議じゃないと判る。
殴るのも、壊すのも、消すのも。どれも許されてしまいそうな空間だった。
二条は約束通り、古賀雪眞の名を冠した骨董品を差し出した。鑑定書も付けた。
それでも終わらせるつもりはなく、更にもう一品を並べた。
これ以上、この男と関わる理由はない。二品。無料。これで手打ち。そう計算していた。
品を受け取る手つきは雑だった。視線は鋭く、最初から値踏みなどしていない。
次の瞬間、視界が横に跳ねた。頬に衝撃が走り、遅れて熱が広がる。床が近付き、膝が僅かに鳴った。
殴られる予兆はなかった。驚く暇もなく、ただ一発。それで済ませるつもりだったのだと、体が理解する。
二品も渡したのに。
その考えが浮かんだ瞬間、違和感が走った。それは怒りではなかった。
計算が通じていない。
殴られた事よりも、渡した物の価値が、この場では意味を持たなかった事。
理屈も、善意も、手打ちの意思も、最初から考慮されていなかった。この男は端から、一発殴るつもりだった。
それだけの話だった。そう理解した時、体が先に動いた。
拳が伸び、硬い感触が返ってくる。
骨か、歯か、どちらか分からない。音だけがやけに乾いていた。
客に手を上げた事はなかった。その線は守ってきた筈だった。今、それを越えたという自覚よりも先に、次の衝撃が来る。
殴り返されたのだと判るまでに、一拍遅れる。
廃工場の中で、殴り合いは始まった。
逃げ場はない。助けを呼んでも届かない。床に転がっても、誰も気に留めない。一発で終わる筈だった暴力は、均衡を失った。
どちらが先に殴ったかは、もう意味を持たない。唯、ここに二人居るという事実だけが残る。
息が荒れ、視界が狭くなる。それでも止まらない。止める理由が、もうどこにもなかった。
殴りながら、二条は遅れて思った。
これは、取引じゃない。処理でもない。唯の衝突だ。
終わらせる為に来た筈だった。二品で縁を切るつもりだった。その判断が、完全に破綻した事だけは、はっきりと解った。
殴り合いがどれくらい続いたのかは判らない。長かった、という感覚だけが残っている。
気付いた時には、男の気配はもうなかった。廃工場の中に居るのは、自分だけだった。
二条は床に大の字になり、天井を見上げる。剥き出しの梁が、滲んで見えた。
口の中に鉄の味が広がる。唾を飲み込むと、喉がひりついた。
(あーあ……)
胸の上下に合わせて、息が漏れる。
(龍臣君には、申し訳無いなぁ)




