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後手
あの夜の事を、思い出そうとすると順番が狂う。 怒鳴り声が先だったのか、走る足音が先だったのか、それとも── 唯、見覚えのある背中が視界に入った、それだけだったのか。
何かしら理由があった筈だ、と、後から考える。
だが実際は、考える前に体が動いていた。 逃げている人間の走り方だった。追われ慣れている。 それでも、今回は少しだけ、間が悪い。
「……チッ」 声に出したのか、胸の中だけだったのかは分からない。唯、見てしまった以上、見なかった事には出来なかった。
物陰に引き寄せた時、抵抗は一瞬だけだった。すぐに静かになる。
その拍子に、息が触れる程近くなる。 早すぎる心臓の音が、妙にはっきり伝わってきた。
──ああ、と思った。 これは、強がってるだけだ。俺は何も言わなかった。訊くつもりもなかった。 その方がいい、と、判断したからじゃない。訊いてしまったら、戻れなくなる気がしただけだ。
──守りたいわけじゃない。 信じてもいない。 唯、ここで切ったら── 何かが、二度と戻らない気がした。




