踏込
吾妻は適当に喪中と理由をつけて京都に行っていた為、久しぶりの出勤だった。
「もぉ、玖礼居なくて淋しかったぁ」
甘えた声で女が体を寄せる。
「そうだぞ、玖礼。姫を淋しがらせやがって」
「俺達も淋しかったんだからな」
軽口が飛び交う。その隙間で、吾妻は二条の部屋へ向かう決意を固めた。
◆
本来、押すつもりはなかった筈のインターホンを、結局押していた。
こんな時間に誰だ、と煙草を咥えたまま思う。モニターに映った顔を見て、息が止まった。
「あれ、仕事終わりにどうしたの?」
二条は煙草を片手に、ドアから顔を出す。
「アンタ、俺だからいいけど、半裸で出て来るなよ」
手当ての途中らしい包帯を引き摺り、無防備な肌を晒している。吾妻は一瞬、言葉を失った。
「服に血付いたら嫌だし。てか、家あがってってよ。立ち話もなんだしさ。あ、床に灰皿と鋏置きっぱなしだから気を付けてね」
包帯を引き摺ったまま台所へ向かい、グラスに酒を注ぐ。ソファに座る吾妻の前にそれを置いた。
「龍臣君が、うちに来るの珍しいね」
「アンタが珍しく店の横に居なかったからな」
「龍臣君もしかして俺が居るかもって期待した? 残念ながら今日は商談してきてから、記事書くのにずっと引き籠もってたんだよね」
傷の手当て中だからか、二条の表情は静かだった。
鎖骨の下から胸へ、赤黒く盛り上がった裂傷が斜めに走る。十日以上経っている筈なのに、まだ新しい肉の色が生々しい。
腕を上げると、傷が筋肉に沿って引き攣れ、喉奥で低い息が漏れた。
片手で前髪をカチューシャで上げ、指先に保湿クリームを取る。眉の途切れた部分から頬へ、そっと滑らせる。瞼が反射的に伏せられる。
赤い線を押さえた瞬間、頬の奥で筋肉が静かに強張った。
「引き籠もりとか出来なさそうなタイプかと思ったわ」
「龍臣君と出会ってからは外出てばっかだけど、俺意外と引き籠もりだよ」
酒の入ったグラスを持ち、吾妻の隣に腰を下ろす。
その距離で、吾妻は漸く本来の目的を思い出した。
「これで帳消しだ」足元の紙袋を差し出す。「俺は迷惑かけられた憶えはねぇからな」
「えー、龍臣君、自分の為に使ってくれれば良かったのに」
そう言いながら、視線が僅かに揺れる。
「これで充分だ」
吾妻はジャケットの内ポケットに手を滑り込ませ、煙草を取り出す。それは、二条が吸っている銘柄だった。
二条は紙袋の中を確認する。既にビニールが破られた煙草がワンカートン。だが一箱だけ違う銘柄が混ざっている。吾妻の銘柄だ。そして、吾妻の好みの酒が二本。
「次は呼べよ」
怒鳴らない。静かな声だった。




