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嘘と煙の仮面舞踏会  作者: 男鹿七海
31/43

空白

 隣の部屋──二条の自宅が何日間か静寂に包まれるのは、たまにあった。

 長くて一週間。だが、一週間以上不在なのは、多分初めてではないだろうか、と、吾妻は感じた。

 メッセージも何一つ送られてくる気配がない。“帰りは遅いのか”と送ろうかと、画面をなぞる指が止まる。

 普段はショートメッセージを全て無視していたが、今回に限っては何故か確認していた。

 九日前、二条から“京都に行って来るね”とだけ送られてきていた。しかも、少し言い合いをした日の後だ。

 今日か明日には帰って来るだろうと思ったが、妙に落ち着かない。

 それは、二条の元へ行った方が良い気がしたからだろうか。


 ◆


「ねぇ、これお気に入りの外套だからさ、弁償してくれねぇかな。こないだクリーニングに出したばっかだってのに、また血ィついてるし、肩の部分なんて切れてんだけど」

 二条は相手を睨みつけながら文句を垂れた。

「伊達クン、まだそんな余裕あるんやなぁ。せやけどな、長引かせてるのは自分やで」

「(ほらな。やっぱりお前だろ)だから電話で何度も言っただろ!俺は正しい情報しか言ってねぇって。俺を何度殴ろうが、云う事はもうない。それとも組長さんに売った書に文句でもあった?」二条は嘲笑いながら続ける。「長引かせてでも、俺の口をどうしても塞ぎたい奴が居るのは確かだけどな」

「どういう意味や、それ」

 男は血が滴るナイフを、口を開こうとした二条の喉元に突き付けた。刃先が皮膚に触れ、軽く圧がかかる。もう一押しで声帯を傷つける距離だった。血が外套の襟を濡らす。

(こんな事されたって俺は死なない)

「静かにしぃや、伊達クン」

 ナイフを持った男は足元に落ちていたヒビが入ったスマートフォンを拾い、中身を確認する。

「おい、外見張っときや」

「はい」

 ナイフを手元で遊ばせながら、男は部下に指示を出した。「最新のメールも無し。通話履歴は俺が最後、と」

「追加で金、出してくれるなら──」

 二条が余計な事を言うのではと、こめかみが勢いよく殴られた。

「誰が殴れ言うたんや。俺、そんな乱暴せえ言うたか?」

 ナイフを持った男が、二条を殴った男の胸倉を掴む。

「──それが答えだ」

「テメェそれ以上喋ったら、ぶっ殺すぞ!」


 ──嵌められてるのは俺か、それとも。


 二条が解放されたのは、軟禁されてから十日目の夕方だった。

 縄が解かれ、外套の袖には皺が寄っている。廃工場の真ん中で大の字になり、天井を見つめながら息を吐く。

(同じ内容の依頼で、こうなるとはなぁ。ヤクザ面倒臭ぇ)

 目を閉じたら、そのまま開かない気がした。来るな、と思ったが、今は動く気になれなかった。

 頭上に影が落ちる。幻かと思い、反応が遅れた。

「え、幻…?桃源郷行き…?」

 視界が血でぼやける目を擦る。

「こんな所で寝てたら風邪引くぞ」

「…龍臣君だ(又こんな姿…)」

 体を反転させ、吾妻を見上げる。

「もしかして旅行?」

「そんなとこだな」

 吾妻は呆れ気味に鼻で笑い、袖口で二条の顔の血を拭った。

 頬から眉毛にかけての切り傷、肩から胸への傷、鼻血、殴られた痣、乾いた血。

 外套は血や土埃で汚れている。二条は何か言いかけ、タクシーに乗る事を拒んだ。

「黙れ」

 二条は、吾妻に無理やりタクシーに押し込まれる。

 吾妻の声は、二条の怪我のせいではなかった。


 ◆


 三日後。二条は吾妻と京都を旅行していた。

 左目は眼帯で覆われ、喉には絆創膏、頬等には殴られた痣が目立つ。服で隠れているが、右肩から胸にかけて包帯が巻かれていた。

 そこに一本の電話。書を購入した柏木組長からだった。

 二条は隠れ家的なカフェに呼び出された。

「何ですか。俺等今旅行中なんですけど。商談なら別日でお願いします」

「そりゃ悪い事をした。今日は先日の件で呼び出した」

「ああ。薬を密かに隠してた奴が柏木組に居たのは本当でしょう?俺の十日間を犠牲にしたお陰で」

 二条は腕を組み、ソファの背もたれによしかかる。「俺は売人であって情報屋じゃない。金さえ払ってくれれば仕事はする。だが、今回みたいなのは勘弁してほしいもんですね。裏切り者のせいで、俺のお気に入りの外套は台無しだし、お陰で死にかけた」

 丁寧に縫われた外套の肩口を指し、遠回しに弁償を要求する。

(十日も消息がなかったくせに、上着の心配かよ)

 吾妻はその軽さに、何故か腹が立った。

「伊達君。こちらを受け取って欲しい」

 部下からアタッシュケースを受け取り、テーブルに置く。中身は札束が詰まっていた。

「裏切り者を炙り出した追加料金。そして、その上着の弁償代だ」

「…。」二条は暫し考える。予想よりはるかに多い額。

 札束の匂いが、まだ乾いていない血の匂いを思い出させる。

 十日分の命が、紙の束に換算された。安いのか、高いのか、分からない。これで十日分の命は清算らしい。


 ──俺の命って、こんな匂いしてたっけ。


「そうですか。では、又何かあれば。ご贔屓に」二条は会釈し席を立った。

 吾妻は「金で済ませるな」と言いかけたが、軽く頭を下げて二条の後を追う。

 アタッシュケースを見つめる吾妻の奥歯が軋んだ。




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