介入
営業終わりの店前は、夜の匂いが濃い。
ネオンの残光と、アルコールの混じった空気。酔い切れない客達の声が、まだ通りに残っている。
「玖礼君、ねぇ、アフター行こ? 今日ならいいでしょ?」
吾妻の腕に、細い指が絡む。艶のあるネイルが、スーツの袖に食い込んでいた。
「今日はもう上がりなんで。また今度、な?」
営業用の笑み。角度も声も、完璧だ。
「また今度っていつよ。今がいいの」
しつこい。こういう手合いは、強く切れば拗れる。柔らかくかわすのが最善だ。
「明日も出勤なんで。機嫌悪い顔見せたくないでしょ」
冗談めかす。客は唇を尖らせ、更に距離を詰める。
その時。視線が、別の温度を捉えた。
通りの向こう。コンビニ袋を提げた男が立っている。仕事終わりであろう二条宗親がこちらを見ている。
吾妻と、腕に絡む客を、交互に。
「ちょっと、何見てんのよ」
客が二条に気付く。対して二条は一歩近付く。
いつもの胡散臭い笑みを浮かべて。
「お姉さん、そのへんで勘弁してあげて?」軽い声に柔らかい物腰で、二人の間に立つ。
「何よアンタ」
客が睨み返す。ネイルの指が、吾妻の頬へ伸びる。その瞬間、笑みが消えた。温度のない目が、真っ直ぐに向けられる。
前髪の隙間から覗く左眉の傷は影に沈み、隠れていない左目の脇の裂傷と、口の端の傷痕だけが、街灯を鈍く反射した。
「触んな」
声が低い。怒鳴りもしないが、抑揚もない。傷跡の残る目は、何も映していない。唯、排除する声。
「お兄さんが迷惑してんだろ」
空気が止まる。客の指が止まり、ゆっくり離れる。視線を泳がせ、小さく舌打ちをして背を向けた。
「……感じ悪」
吐き捨てるように言い、去っていく。
二条は何も追わない。唯、吾妻から視線を外す。
「……アンタ、何やってんだ」
吾妻の声は普段より低かった。
「たまたま通り掛かっただけだよ」
二条は普段の軽い調子に戻る。だが、目は笑っていない。
「余計な事すんな」
「してねぇよ。迷惑してたろ」
一瞬だけ視線が合うも、吾妻は何も言わない。代わりに煙草を咥え、火を点けた。
「帰るぞ」
それだけ言って歩き出す。
二条は少し遅れて隣に並んだ。
◆
ベランダに出ると、冷たい風が頬を撫でた。
吾妻は手すりに寄り、煙草を吸う。
少し遅れて、隣の窓が開いた。二条は何も言わないまま、手すりに背中を預け、両肘を掛ける。顎を僅かに引き、夜空を見上げながら煙を、上へ。沈黙が落ちる。
遠くで車の走る音。吾妻が、視線を横に滑らせた。
「二条、お前女にあんな声出すんだな」
二条は答えない代わりに、煙をゆっくり吐く。
「普段は出さないよ」
風が煙をさらっていく。
「龍臣君だからだろ」
さらりと言いのけた。軽くも、重くもない。
吾妻は目を細める。煙草を一吸いし、灰を落とす。
「……そうかよ」
短い返答。それ以上、何も続かない。視線は合わない。触れもしない。
煙が夜空に溶けていった。




