沈黙
夜の風は思ったより冷たく、二条はサングラスの奥で瞬きをした。絆創膏が剥がれないよう、目の周りの筋肉を無意識に固める癖が残っている。
吾妻はいつも通り、少し離れた位置を歩いていた。
近すぎず、遠すぎず。肩が触れない距離。 無意識に距離を測ってしまっている──。
歩幅も変わらない。振り返る事もない。
「二条」
呼び方も、声量も、何一つ変わらなかった。
二条は一瞬だけ口角を上げる。サングラス越しでも分かる、胡散臭い笑顔。
「龍臣君」
軽い調子。いつもの調子。それだけで、吾妻が“何も言わない”と決めている事が分かった。気付いていないわけがない。 気付かないふりをする程鈍くもない。
──ああ、そう来たか。
悪くない、と二条は思った。
少なくとも、追及されるよりは。ヤクザ達とは、もう切れている。正式な情報を渡した。 嘘も、誤魔化しもない。それで終わりだ。約束は守られた。
次はない。その「次」を、吾妻に渡さずに済んだだけで、十分だ。
顔の奥がじんと痛む。殴られた腹も、まだ重たい。背後から腕を取られ、肩が不自然に吊り上げられた感触が、ふいに蘇る。逃げ場のない角度。殴る事も、振りほどく事も出来ない状態。
──折角の男前が台無しだなぁ。
あの嫌な笑い方、顎に触れていたナイフの冷たさを思い出して、二条は内心舌打ちをした。 吾妻の背中を見た瞬間の安心感──。
──傷があろうと、俺は男前だ。
あの時、そう言えた自分は嫌いじゃない。だからこそ、詐欺師をやめる気もなかった。
命の危機だった。無関係の人間を巻き込んだ。今回が初めてで、最後にした方がいいのかもしれない。
──それでも、愉しんでいるのかもしれない。騙す事も、逃げ切る事も、綱渡りみたいなこの感覚も。それを失ってまで、生き延びたいと思えない。
「何か飲むか?」
吾妻が、何でもない調子で言う。
「いいね。奢り?」
「自分で払え」
「冷たいなぁ」
軽口は成立する。会話は壊れていない。壊れていないまま、元には戻れないだけだ。
コンビニの明かりが近付く。ガラスに映った自分の姿を、二条はちらりと確認した。サングラス。絆創膏。ギリギリ隠しきれていない。
吾妻は、それを見ている筈だった。でも、見ていない。少なくとも、触れない。それがどれほどの覚悟かを、二条は理解していた。
吾妻は、無関係でい続ける為に沈黙を選んだ。
二条は、巻き込んだ責任を清算する為に口を閉ざした。同じ沈黙でも、立っている場所は違う。
「龍臣君」
店に入る前、二条はもう一度名前を呼んだ。
「ん」
「……いや、何でもない」
本当に、何でもない。言ってしまえば、線がずれる。それだけは、避けたかった。
自動ドアが開き、明るい光が二人を包む。その中で吾妻は、いつも通りの顔で歩き出す。二条は、その背中を一歩遅れて追った。
この距離が、もう二度と縮まらない事を知りながら。




