隠匿
二条が服を見に行こうと言ったのは、昼過ぎだった。
吾妻は買い替える機会を逃し続けていたから、悪くないと思った。特別な理由はない。唯の消耗品を補充するだけの話だ。
店を出て、喫煙所へ向かう途中だった。
「──き」「伊達伊吹」
背後から、低い声がした。一度で終わらなかった。人混みの中で、もう一度、同じ名前が呼ばれた。吾妻は足を止めなかったが、二条の歩幅が乱れるのが判った。
「……何だよ、それ」
吾妻が言うより早く、二条の腕を誰かが掴もうとした。 外した拍子に、男の顔が見えた。近すぎる距離。人相が悪い、で、済む類じゃない。
二条が短く息を吸った。「走って」 言い訳も説明もなかった。 吾妻は考える前に走っていた。
人の流れを外れ、角を曲がり、裏通りに入る。背後で足音が増える。
「アンタ本当マジで、こないだといい何やらかしたんだよ!」
「巻き込んでごめん! 今は走って! お詫びはするから!」
吾妻は舌打ちをした。詫びなんて要らない。唯、おかしい。先日も同じだった。仕事終わりに見かけた、追われていた二条。今日も、知らない名前で呼ばれている。 (訊けば分かる)そう思った瞬間、続けて気付く。(解ったところで、どうする)
──今ならまだ、二条を置いていける。
路地を抜けると、見慣れた裏口が見えた。吾妻の職場だ。
一瞬、選択肢が頭を過る。追い出す。知らないふりをする。ここで切る。どれも出来た。
そして、鍵を出す指が一瞬止まる。吾妻は裏口の鍵を開けた。
「入れ」それだけ言った。店内はまだ準備前で人が居ない。
吾妻は二条の袋を放り、買ったばかりの服を取り出した。「着替えろ。顔、貸せ」
「龍臣君……」
「いいから」 化粧箱を開く。仕事用の手付きで、二条の輪郭をなぞる。眉を潰し、影を落とす。二条宗親の顔を、伊達伊吹でもない別人にする。(助けてるんじゃない)吾妻は分かっていた。(無かった事にしないだけだ)
──それでも、痕跡は残ると知っている。
暫くして、裏口の外が静かになった。二条は何も言わなかった。言える立場じゃないのも判っているのだろう。
「今夜だけだ」
吾妻はそう告げた。二条は深く頭を下げた。
──その夜は、何事もなく終わった。
◆
数日後。吾妻は仕事終わりに、コンビニで煙草を買った。
「ああ」 背後から声がした。「この前」
振り返ると、あの時の男が立っていた。距離は近くない。唯、視線が合う。
「……」 吾妻は何も言わなかった。
「伊達伊吹と一緒だったな」 それだけ言って、男は去った。
吾妻は煙草に火を点けなかった。箱を握り潰して、ポケットに仕舞う。 逃げたら“確定”する。何も言わない方が安全。何も起きていない。それでも、もう前と同じ顔では、店に立てないと分かっていた。




