誤算
『続いてのニュースです。強盗殺人の罪で指名手配とされていた柳由岐弥容疑者の身柄を、今朝未明、都内で確保したと──』
テレビの音声に、二条は一瞬だけ手を止めた。リモコンに伸ばしかけていた指が、宙で止まる。
画面に映る男の顔。昨夜、向かいに座っていた男。バーの鈍い照明の下で、酒を飲み、笑っていた顔だ。指名手配犯。その言葉が、遅れて頭に落ちてくる。
強盗殺人。前科。逃亡。ニュースとしては分かりやすい。
危険人物。捕まって当然。昨夜の出来事に、筋が通っただけだ。
──本当に、そうか。
二条は小さく息を吐き、煙草を取り出す。火を点け、一口吸う。
安堵はない。助かった、という感覚もない。計算が外れた。それは確かだが、気に入らないのはそこじゃない。
商談。数字。約束。どれも、成立していなかった。相手が指名手配犯だったからではない。相手が危険だったからでもない。あの場で、自分は引けた。ナイフが出る前に。視線が定まらなかった時点で。噛み合っていないと感じた、その瞬間に。
(いつもなら、引いていた)
煙を吐き出す。それでも席を立たなかった。それが、事実だ。理由を探そうとして、思考が止まる。仕事だから。慣れているから。金になるから。
どれも、しっくりこない。煙草を灰皿に置き、すぐにもう一本を咥える。指先が、僅かばかりに苛立っている。思い出すのは、刃でも数字でもない。
──視線だ。
バーの薄暗がり。カウンター席。仕事の匂いのない男。ホスト。唯の客。吾妻龍臣。一瞬、目が合った。それだけだ、何も言われていない。何もされていない。
評価も、期待も、理解もなかった。唯、そこに居ただけの視線。それなのに、二条は、あの場で一段、踏み込んだ。
本来なら切らない札を切った。危険が大きすぎると分かっていながら。
(何故だ)
答えは出ない。出そうとする事自体が、苛立ちを生む。吾妻は部外者だ。仕事を知らない。裏も、金も、命の重さも分かっていない。だからこそ、余計に始末が悪い。
もし、同業者だったら。もし、牽制や期待の視線だったら。理由は、仕事の中に置けた。
だが、あれは違う。仕事をしている自分を、仕事として見られていなかった。
唯の客。唯の人間。その位置に、無意識に引きずり下ろされた気がした。
背筋に、微かな震えが残る。二条は眉間に皺を寄せ、煙を吐き出す。半分も吸っていない煙草を、灰皿に押し付けた。
仕事の失敗だ。そう言い切れば楽だが、それだけでは足りない。失敗した理由を、仕事の外に置いてしまいそうになる。
それが、どうしても気に入らなかった。
「……クソ」
吐き捨てるように言い、二条は立ち上がる。テレビの音量を落とし、画面から背を向けた。
──もう、関わる必要はない。
そう決めなければ、次に同じ場面、同じ選択をしてしまいそうだった。
◆
同じニュースを、吾妻も見ていた。
朝のワイドショー。
コーヒーを飲みながら、何気なく流しているだけだ。
画面に映る男に、特別な感情はない。名前も、昨夜の事も、深くは覚えていない。危ない人物だったらしい。それだけの話だ。
吾妻はテレビを消し、カップを流しに置く。昨夜のバー。客として座り、酒を飲んだ。二条宗親という男が、どんな仕事をしているのかも知らない。
知る必要もない。唯、何故か、ほんの一瞬、視線が合った事だけが、妙に記憶に残っていた。
意味なんてない。理由もない。吾妻はそれを深く考えず、クローゼットの扉を閉める。
──もう、関わる必要はない。




