第4話:隠された研究室
クロックワークが去り、一人残されたアイリス。
父の死と研究の謎を追うため、彼女はついに、封印していた父の書斎へと足を踏み入れます。
クロックワークが去った後も、工房の中には彼の冷たい気配が纏わりついているようだった。まるで、まだどこかからあの青い義眼が見ているような、嫌な感覚。アイリスはしばらくの間、茫然と立ち尽くしていた。父の研究は危険だというクロックワークの言葉。ギルドの脅迫。そして、父の死に関する胡散臭い態度。何もかもが、彼女の心を掻き乱していた。
(お父さんが、危険な研究なんてするはずない……でも……)
父は確かに晩年、何かに取り憑かれたように研究に没頭していた。時折、書斎に籠り、やつれた顔で出てくることもあった。あの頃の父は、一体何を研究していたのだろう? ギルドに隠さなければならないような、何かを。
アイリスは、工房の奥にある、父の書斎へと続くドアを見つめた。
父が亡くなってから三年、彼女はこのドアを開けたことがなかった。父の個人的な空間に踏み込むのが怖かったし、何より、父の不在を改めて突きつけられるのが辛かったからだ。父の匂いが残る部屋で、一人になるのが耐えられなかった。
しかし、今は違う。父の研究の真実を知らなければならない。そして、それをギルドから守らなければ。クロックワークの言葉は脅しだったが、同時に警告でもあった。悠長にしている時間はない。
アイリスは意を決して、書斎のドアノブに手をかけた。埃っぽい金属の感触。ギィ、と軋んだ音を立てて、重い扉が開く。
中へ足を踏み入れると、埃と、古い紙と、インクと、そして微かなオイルの匂いが鼻をついた。父が生きていた頃の匂いだ。記憶の底にあった香りに、一瞬、胸が締め付けられる。
壁一面を埋め尽くす本棚には、工学書や物理学の専門書に混じって、古代史や神話、哲学に関する本まで並んでいる。父の幅広い興味関心を物語っていた。
部屋の中央には大きな木の机があり、その上には設計図や計算式が書きなぐられた紙が散乱し、インク瓶や使い古された工具が無造作に置かれていた。まるで、昨日まで父がここで作業をしていたかのようだ。父の研究への情熱と、その混沌とした思考が、そのまま凍結されたような空間だった。
アイリスは机の上に残された研究ノートを手に取った。父の几帳面なようでいて、熱がこもると踊るような筆跡。パラパラとめくると、複雑な数式や回路図と共に、走り書きのようなメモが目に飛び込んでくる。
『感情の波動パターン…周波数による分類…』
『エーテライト共鳴増幅…限界値は?』
『精霊との意識同期…エレナの音楽がヒントになるかもしれない…』
母の名前。父は、母の能力を研究の参考にしていたのだろうか? アイリスの知らない両親の関係性がそこにはあった。ノートをめくる指先が微かに震える。父がこの文字を書いていた時のことを想像すると、胸が詰まる。
ノートを読み進めるうちに、アイリスの心は揺れた。父の研究は、確かに従来の精霊技術とは一線を画す、未知の領域に踏み込んでいるように思えた。だが、そこにクロックワークが言うような危険な意図は感じられない。むしろ、精霊という存在への深い敬意と、何か新しい可能性を切り開こうとする純粋な探求心が見て取れた。
(やっぱり、お父さんは間違ってなんかない…!)
アイリスは確信を深めた。そして、ギルドからこの研究を守る決意を新たにした。
その時、ふと本棚の一角に目が留まった。
他の部分と比べて、わずかに埃の積もり方が薄いような気がする。まるで、最近誰かが触れたかのように。
「あれ……?」
よく見ると、本棚の一部が壁から微妙に浮いているようにも見えた。試しにそっと触れてみると、軽く動いた。
(まさか、こんな仕掛けが……?)
父は時々、悪戯っぽいところがあった。子供の頃の記憶が蘇る。未知への恐怖と好奇心が入り混じり、アイリスの胸は高鳴った。真実への扉が、今、開かれようとしているのかもしれない。
アイリスは期待と不安を胸に、その部分に手をかけた。そっと力を込めて引いてみると、本棚の一部が音もなく横にスライドした。
現れたのは、壁に埋め込まれた小さな、押しボタン式のスイッチだった。
ゴクリと唾を飲み込み、アイリスはそのスイッチを押した。
低い駆動音が響き、本棚の横の壁の一部が、まるで隠し扉のように静かに内側へと開いた。
扉の向こうには、暗く冷たい空気が漂う、下へと続く螺旋階段が現れた。
工房の地下に、こんな空間があったなんて。
(隠し研究室……?)
父は、ここで、一体何を隠していたのだろう? ギルドにも知られたくない、本当の研究を?
アイリスは工房から携帯用の精霊ランプを取り、震える手でスイッチを入れた。青白い光が、暗い階段の入り口を照らし出す。
未知への好奇心と、同時に言いようのない恐怖を感じながら、アイリスはランプを掲げ、暗い螺旋階段へと、一歩、また一歩と足を踏み入れていった。ランプの光が落とす自分の影が、壁で不気味に揺れていた。
隠し部屋への入り口!