第11話:地下水路への脱出
父が遺した古い地図…そこに示された秘密の通路とは。
「こっちよ!」
アイリスは叫び、工房の隅にある、大きな工作機械の陰へと走った。そこは普段、ガラクタ同然の資材置き場になっている場所だ。彼女は床の一部を覆っている厚い鉄板に手をかけ、渾身の力を込めて引き上げた。
ゴゴゴ…という重い音と共に、鉄板がずれ、その下に暗い穴が現れた。下へと続く、古びた鉄梯子が見える。埃と、微かに黴の匂いが漂ってくる。
「隠し通路…!?」
ソルは驚きの声を上げた。炎の体が驚愕に揺らめく。
「お父さんが、昔、念のためにって作ってたみたい…!」
アイリスは息を切らしながら答えた。書斎を調べた際、古い地図の束を見つけていたのだ。その中に、この工房の地下構造らしきものが描かれた奇妙な一枚があったことを思い出したのだ。まさか、本当に使えるとは。
「本当にあるなんて思わなかったけど!」
追手の精霊保安官たちが、煙幕の中から体勢を立て直し、こちらへ迫ってくる。「目標を確保しろ!」という怒声が聞こえる。残された時間は少ない。
「ソル、援護をお願い!」
「任せろ!」
ソルは最後の力を振り絞るように、工房全体を覆うほどの巨大な炎の壁を作り出した。灼熱の壁が、保安官たちの前進を阻む。壁に当たった冷却ガスが、シューシューと虚しい音を立てて蒸発していく。
「今のうちに!」
アイリスは穴の中に飛び込み、錆びた鉄梯子を素早く下り始めた。ひんやりとした、湿った空気が肌を刺す。ソルもそれに続く。彼の炎が、暗い通路をわずかに照らし出す。
二人が下に降りるのを確認し、アイリスは壁に取り付けられた古びたレバーを引いた。重い音を立てて、隠し扉が自動的に閉まり、上からの追跡を一時的に断ち切る。
梯子の下は、暗く、湿った通路だった。鼻をつくのは、黴と汚水の匂い。どうやら、ここはレムリアの地下に網の目のように張り巡らされた古い下水道網の一部らしい。足元には、ちょろちょろと汚れた水が流れている。
「うぇ…最悪の場所ね…」
アイリスは顔をしかめたが、今は贅沢を言っていられない。一時的に追手を撒けたことに、わずかな安堵感を覚える。
しかし、その安堵も束の間だった。
「フン、こんな場所に逃げ込むとはな。お前の父も、存外用意周到だったというわけか」
ソルが皮肉っぽく言う。
「私のせいじゃないわよ! あなたがあんな派手に暴れるから!」
アイリスも言い返す。恐怖と緊張で張り詰めていた神経が、少し緩んだ反動かもしれない。
「何だと? 我が解放されたのは、お前の父が杜撰な封印を施したせいだろうが!」
「それを言うなら、そもそも父さんと契約したあなたにも責任があるでしょ!」
互いへの不満と責任転嫁が、狭く汚れた地下水路の中でぶつかり合う。しかし、その口論も長くは続かなかった。
「……静かにしろ、小娘」
ソルが、鋭く制した。彼の炎が、警戒するように揺らめく。
「追手の気配がする」
耳を澄ますと、確かに遠くから、複数の足音と、犬の低い唸り声のようなものが聞こえてくる。そして、カサカサ、チチチ…という、小さな機械が動くような音も。
「精霊探知犬に、小型の探索ドローンか…! しつこい奴らめ!」
ギルドは、地下水路にまで追跡の手を伸ばしてきたのだ。彼らの執念は、アイリスの想像を超えていた。
アイリスは焦りながら、ポケットからくしゃくしゃになった古い地図を取り出した。父が残したレムリアの地下地図。精霊ランプの頼りない光で照らし、必死で現在地と逃げ道を探す。
「こっちよ! この先に、古い貯水槽があるはず…! そこなら隠れられるかも…!」
アイリスは地図を頼りに、水路の分岐点を進んでいく。汚水が跳ねるのも構わず、足を速める。
しかし、たどり着いた先は、地図に示された場所とは異なり、冷たい石の壁が行く手を阻んでいた。苔むした、湿った壁。
行き止まり? 地図が間違っていたのか?
背後からは、追手の足音と、犬の荒い息遣いが確実に近づいてくるのが聞こえる。ランプの光が、迫る影を壁に映し出している。
絶体絶命。
アイリスは壁に手をつき、息を呑んだ。荒い呼吸が、狭い通路に響く。
(ここまで、なの……?)
ピンチ!




