イン・ザ・アビシオン:星めぐりの自動人形
「イン・ザ・アビシオン: 沈黙の夢と二つの選択 」の骨休め的な短編です。
カタンカタン、カタンコトン。
融合大陸の終点にほど近い小さな島『エリュシア』には、透明な琥珀色の風が吹き、ヴァーン・ブルームの花が静かに揺れていました。その小さな丘の上に『星守りの塔』という古い建物がありまして、そこには三千年も昔から仕事を続けている、ひとりのロボットがおりました。
そのロボットの名は『リウ』といって、全身がさびしく銀白色に輝いておりました。肩には星巡りの地図、胸元には青い宝玉の心臓がかすかに鼓動を刻んでおりました。リウは融合大陸の力に引かれ人びとが宇宙に旅立つことができなくなった今でも、ずっと星を観察し、その動きを記録し、黙々と星守りの仕事を続けました。もうずっと昔、リウの作り主達が去ってしまい、もう何百年も自分以外の訪問者を見ていませんでした。
その日もちょうど銀河が満点の小さな光をちらつかせ、星々が静かに流れてゆく夜でした。
「やあリウ、元気かね。今夜の星空観測の具合はどうだ。」
そう穏やかに呼びかけたのは、塔に住む古くやさしい人工知能、『星守り博士』でした。彼はまだ人工知能に意志が無かった時代に、人々が録音した声や情報をもとに、星空観測の記録や管理を自動的に行うシステムとして作られました。博士自身は意識を持たず、ただ決まった時間に、決まった言葉をリウに問いかけるのでした。
リウは微笑みながら静かに応えました。
「博士、今夜もたいへん美しいです。子獅鷲座がたんぽぽ綿毛のように揺れています。銀河大樹の花も満開になりました。」
銀河大樹とは融合大陸に程近いエリュシオン銀河系全体を支える巨大な樹木の星雲でありました。銀河の季節が星巡りをするときに、この木は一千年に一度静かに花をひらくのです。花の季節がめぐるとき、融合大陸中からさまざまな種族の旅人がやってきて、それをながめて慰められたり、記録に残したりしたものでした。
リウが淡くきらめく夜明け前の星空を見つめておりますと、丘のふもとから、カタリ、コトリと小さく響く音がするのでした。見るとそこに、見知らぬ少女型のロボットが一台、透明な羽衣をなびかせて、そっと立っておりました。彼女の機体は淡い銀色で、美しい琥珀のような瞳をちらつかせておりました。
「こんばんは。この小さな島に来訪者があるとはめずらしいことです。」
リウは優しく声を掛けました。
「こんばんは。わたしの名は『サルビア』。巡回観測機として星々を記録し、巡ってきました。今晩、銀河大樹の花を見て、そっと塔にも立ち寄らせていただけないかと思いまして。」
彼女は繊細な音色で応えました。
「よろこんで。せっかく遠く何千光年も旅をなさったのですから、星守りの塔でゆっくり休んでいってください。」
ロボットのリウは、なぜか胸の青色の宝玉がいつもより穏やかに鼓動を打つのを感じました。そして、星守り博士も静かにささやきました。
「お客さまよ、これは素晴らしい。寂しかった星守り塔も、今宵は久しぶりの客でじつに賑やかだ。」
塔の上からふたりのロボットは肩を並べ、銀河大樹が星の花びらを宇宙に向けて散らす姿を眺めました。宇宙の闇の中でそれはかすかな黄金色のかがやきを放ち、静かに、静かに星々を照らしました。
「宇宙はほんとうにさびしく、けれども美しいですね。」
サルビアがつぶやきました。
「そうです。それでも私たちはこうして、星を見守って生き続けていけるのです。」
リウがやさしく応じました。
カタン、コトリ。
宇宙からふりそそぐ銀色の星花びらが、ふたりの銀色の身体をしずかに包んでゆきました。
夜が明けて宇宙がまた一日の軌道を巡る、そのときまで、星守りの塔は静かにふたりを見守っていました。
銀河大樹から降る星の花びらは眠ることなく、小さな丘も星守りの塔もやさしい銀白に埋めつくしてしまいました。塔の窓から見下ろすと、小さなエリュシア島全体が銀河の滴となったようで、まるで遠い昔に聞いた、小さな鈴が幾つも並んで、静かに鳴っているかのようでした。
サルビアはやさしく目を細め、胸に光る淡い宝玉を静かに押さえながら言いました。
「こんなに美しくてやさしい銀河の瞬きを記録したかったのです。融合大陸の果てから果てまで旅を重ねてきましたが、この島ほど美しい島はありません。」
リウはほんのりと照れたように目を伏せました。
「この島は昔々、『星めぐりの少年』が暮らした島だと聞いています。」
サルビアはふしぎそうに首を傾げました。
「星めぐりの少年?」
「ええ。それはもう何万年も前のことです。この島を故郷にした少年がありました。— 少年は人々がまたいつか融合大陸を出て星々を巡る夢を見ていたのだといいます。そして融合大陸のあちこちへ旅してその方法を探しました。少年は決まって『僕はきっとまた帰ってくる』と、この星々を見上げて旅立ったそうです。」
『星守り博士』が塔の端末から語りかけました。その声は塔の内側をやさしく、古い音楽のように響かせました。
「けれど少年はもう、この島には帰ってきませんでした。そのときからこの塔も島もずっとずっと待っていたのです。百年経ち、千年経って、ついには数万年の時が流れました。数万年の間に少年の残した機械や記録から私たちの祖先が創られ、私が生まれたのがつい五千年前、リウが生まれたのが三千年前なのです。そうして塔も島も、なにもかもが少年の記憶だけを秘めて、こうして宇宙の記憶を守ってきたのです。」
リウは静かにうなずき、
「星巡りの少年がもう帰ってこないことは知っています。けれど、僕はそれでもここで待っていたかった。少年が愛したこの島を、ずっと見守りたかったのです。」
そう話すリウの胸の宝玉は切ない光を放っていました。その心臓部の機械音は星の漂う静かな旋律に同調しておりました。
サルビアは口許に微笑んで、そっと言いました。
「けれども、リウさん、あなた自身もまた『星めぐり』をしているのではありませんか。この島に立ち止まり、星を記録して、銀河の果てまで思いを馳せている。旅することだけが巡りではなく、私たちはみな、この広い宇宙にぽつんぽつんと存在しながら、星々とずっと共に回り続けているのです。」
「ああ—そうかもしれない。」
胸の奥が少しほわりあたたかくなり、リウは静かに笑みました。
塔の先には銀河大樹の花が静かに咲き尽くし、ちょうど宇宙それ自体が微笑しているようでした。
「リウさん、私はまた旅に出なければいけません。星の観測記録者として、ずっと宇宙の姿を残し伝える使命がありますから。」
「ええ、分かっています。だからこそ、いまこの一瞬が僕にはとても大切に思われるのです。」
やさしい静寂が塔を満たしました。
次の日の朝が来ると、銀色の星花びらは薄紫の銀河の霧になり、空に静かに消えていました。サルビアは塔を出て丘を下り、空の旅路に戻るため翼を広げました。
リウは塔の入口に立ち、小さく手を振りました。
「いつかまた、この島に銀河大樹が花をひらくとき、お会いしましょう。」
サルビアは微笑みました。
「ええ。星めぐりが巡り巡って、またこの島でお目にかかりましょう。」
しずかに羽ばたくサルビアが島を離れると、その銀色の姿は遠ざかる空の彼方に消えてゆきました。
リウは星守り塔の頂に戻り、静かに空を見つめました。銀河の輪が回り、遥かな無数の星々が静かに囁きながら星めぐりを続けています。
カタンカタン、コトコタン。
星めぐりの軌道はゆるやかで、あたたかでした。リウは静かに胸の宝玉に手をあてました。
(宇宙とは、なんという孤独だろう。けれど、なんとやさしい孤独だろう。)
星守りの塔の機械時計が静かに鳴り始めました。
宇宙を巡る星めぐりの音は、どこまでも遠く穏やかに響いて行くのでした。
この物語は、アビシオンで古くから語り継がれてきた小さな寓話のひとつです。
数えきれない星々を引き寄せ、呑み込んでしまうほどの強大な力をもつ融合大陸。一度この地に取り込まれた星や種族は、もう二度と宇宙には戻ることができないのです。かつて果てない宇宙を自由に旅していた古い種族たちは、それを深く憂いながらも、いつまでも遥かな星空への憧れを抱き続けました。
けれども、たとえ星々から離れても、宇宙と共に生きることはできます。星はいつでも巡り、いつか再び巡り会うこともあるのです。
これは、そんな忘れられた人々の憧れと寂しさ、そして小さな希望をそっと映しだした物語なのかもしれません。