嫌悪
三題噺もどき―ろっぴゃくにじゅうはち。
楕円形のようになった月が、空に浮かんでいる。
昨日とは打って変わって、今日は天気が良いようだ。
雲に隠れることもあまりなく、常に煌々と夜道を照らしている。
「……」
それでも変わりなく昨日と同じように風は強い。
いや、多少はマシなのかな。強風が毎日続くと、そういう感覚もなくなってくる。これが当たり前になっていくからだろう。海岸沿いとか、もっと酷そうだな。
「……」
そうだ。今年の夏は海にでも行こうかな。
夜だったらアイツも連れて行けるし、人もそんなにいない時間を狙えば大丈夫だろう。近場には無いが、それなりに行けばある。海というモノに憧れとかそんなものは持っていないが、今年の夏の夢というか、目標だな。ちなみに春は、花見に行くことだ。
「……」
秋と冬にやる事って何がるんだろうか……。秋は、紅葉狩りとかだろうか。過ごしやすい気候だとは言うが、昨年はなかったからなそんなもの。
冬はまぁ雪が降れば、それでよし。温泉巡りというモノにも興味があるが、あまりアイツの気乗りがしないからな。
「……」
こうして、季節というモノを楽しめるのも、この国ならではなんだろう。
ホントに、この国に来てからというものの、心穏やかに過ごせていると言う感じがある。幼い自分に見せたら、嘘だと言いたくなるような緩やかな日々だ。夢のような日々だ。
……逆に羨ましすぎて、殺してしまうかもしれない。自分なのに。
「……」
それくらい、あの頃は、平穏というモノとは無縁だった。
夢見ることもかなわないくらいには、無縁だった。
どれもこれも、アイツが居たから叶ったものであって、叶えようと動いたものであって。
きっと、アイツが居なければ今の自分は確実にいない。
「……」
この日常は、手放すにはあまりにも惜しい。
目が覚めて、暮れる陽を眺めて、朝食を食べて、仕事をして、散歩をして。
アイツの作る菓子に舌鼓を打ちながら、休憩をして、また仕事をして。
陽が昇り始める前に、眠りにつく。
そんな、緩やかに過ぎていく時間が、どれだけ尊いか。
「……」
それを。
「……」
壊そうと伸ばされる手は。
「……」
何だろうと。
「……」
許さない。
「……全く…」
足を止め、そう無意識に言葉が漏れた。
同時に何かが背後から襲い掛かり。
しかし、それより早く。
「……何の用だ」
獣のように伸びた爪が、空を切る。
そこから、赤が飛び散る。
殆ど脊髄反射で動いたようなものだが、案外私も衰えていないらしい。困ったものだ。
「――っぐ」
「……」
たいしたこともないだろうに。呻きながら現れたその何かは、同族だった。
先日不躾な手紙を送ってきたやつだろう。あれで懲りたと思ったが、全くそんな事なかったらしい。死にづらいと言うか、死に対する恐怖が少ないと言うのは、めんどくさくて仕方ない。下手に再生するから、その程度と驕る。
「―――」
「……どうした、たいして痛くもないだろう」
未だ赤をまき散らすソレに、問う。
用があるなら、さっさと済ませて欲しいものだ。私はこれから帰って、また作られているだろうチョコレート菓子を食べなくてはいけない。その後にまだ少し仕事をするのだ。
コレにかまっている暇はない。
「―――っおまえ」
「用がないなら消えてくれ」
それが聞こえたかどうかは知らないが、懐に隠し持っていた小さな小瓶の蓋を開け、ひょいと投げる。中身はちょっとした水だ。コレがあの手紙をよこしてから持ち歩いていた。来ないだろうとは思っていたが、万が一というのは、こうしてありあえるからな。
「……」
途端に、ソレの姿は音を立てて消え、積もった灰は強風に煽られていった。
せめて、空へ飛ぶしゃぼん玉が、ぱちんと音を立てて消えるように、美しく儚く消えてくれればいいものの。
これで懲りてしまえばいいが……どうにもめんどくさそうな感じがする。
「……はぁ」
さっさと帰って、休憩しよう。
せっかくの散歩が台無しになってしまった。
その前に風呂にも入らないと。
「……おかえりなさい」
「た、ただいま」
「何をしたんですか」
「…何もしていないよ」
「……先に風呂に入りますか」
「あぁ、そうする」
お題:脊髄・しゃぼん玉・夢