新しい人生の兆し
中学三年生の夏。
野球部の試合中に左足を負傷した。
すぐに病院に搬送された結果、左足首の骨折と判明。
全治2ヶ月らしい。
帰宅後家族に心配されたが、心の中では中学の部活動が終わったことについての悲しみはなかった。
2度目の人生だからか割り切れていた。
それよりもギブス固定した足の不便さや、今後の生き方について考えていた。
神戸の街は坂が多く怪我人には不便である。
どうやって暇を潰そうか、夏休みをどう過ごそうか。
しかし四日後、異様に早く足の腫れや痛みが引いていた。
病院で診てもらうと既に完治といえる状態で医師はレントゲン写真を見比べて驚き、体質の調査を求めてきたが断った。
以前から体力が有り余っていたり、細かい切り傷も一日で治っていたがら若さゆえの回復力と思っていたが、異常である。
まぁパラレルワールドの神戸にきているくらいだからそんなこともあるのだろう。
そう自分に言い聞かせた。
部活に戻ろうにも夏の大会は終わり、1学期も終わって夏休みに入っていた。
後日受け取りに行った通知表は社会(特に歴史)が低かったがそれ以外が良く、親から小遣いを貰った。
友人はまだ僕が怪我をしていると思っているから、1人で元気な身を持て余していた。
そうだ、久々に神戸をぶらつこう。
神戸市には東灘区、灘区、中央区、北区など区で別れている。
その中でも瀬戸内海沿いの区は山側は北、海側が南とわかりやすい目印があり、繁華街も大体は東西に横に伸びている。
道に迷いにくいおかげか中学生が出掛けても親には心配をかけないで済む。
その中でもぶらつくなら三宮から元町がオススメだ。
JRなどの線路を境に山側は個性的な店や海側には三宮センター街などに色んな店があり、散歩気分でも楽しい。
今日は昼メシいらないよ、と母に伝えると怪我について聞かれたから、医者が大袈裟に言ったのかな?もう治っているよと伝えると保険金がおりるか心配していた。
呑気だね、とつい言ってしまいそのまま家を出た。
自宅から坂をくだり、南に行くと元町駅を越えた。
駅周辺にある高架下も楽しいが、今日は目的がある。
中華街の料理を食べたくなったのだ。
元町駅周辺から中華街にかけて、なんとなく街並みも中華っぽい。
中国に言ったことないけど。
元町に中華街が出来たのは約150年前で、神戸港から中国からの移民が入り作り上げたらしい。
その辺りは流石に港町神戸である。
詳しくは知らないが感謝したい。
そのおかげで美味しいものが食べれるのだから。
中華街でぶらつき、飲食店を見ているが流石に中学生1人で店内に入り食事をするのは抵抗がある。
買い食いが良いだろう。
当然最初は肉饅だ。
柔らかく温かい饅頭部分に噛み付くと中から溢れ出る肉汁は絶品である。
色んな店の色んな肉饅があり食べ比べたいが我慢して、二つ目は包子で角煮を挟んだものを選んだ。
肉まんとは風味が違って、角煮の存在感を楽しんだ。
麻婆豆腐にも惹かれたが、店内でしか食べれないらしいから我慢して、マンゴージュースとパイナップルを棒に刺しただけのものを買い、中華街内の広場で一息ついた。
すると急に肩を叩かれて振り向くと、中華店のエプロンに山手の方の学生服を着たバイト風の女の子が「君、ちょっといいかな」と声をかけてきた。
人生初の逆ナンか、それとも食い逃げとでも思われたのだろうか。
今のところ食い逃げと思われたと思い、つい「これはあの店で買ったものですよ、あそこです」と答えてしまった