番外編~ side.クライド
ハズウェル商会のガランとした店舗に、俺はひとり残っていた。
支部長のスタンリー坊ちゃんは、数日前にクォビレス共和国へ向かって出発。残された従業員は既に他の商会や、あるいはレッツェル商会のハズウェル部門へ自分の荷物を持って移動している。俺は責任者として、抱えていた作業の完了確認を行っていた。
明日には俺もこの通い慣れた店舗を離れ、レッツェル商会へ移る。
支部長がスタンリー坊ちゃんの父君、ウォルター様だった頃からここへ勤めているのだから、かれこれ数十年だ。感傷に浸りたくなる頭を振りつつ、自分の机から書類や筆記用具を鞄に詰めていく。残ったものは無いかと引き出しをチェックしたところで、奥に古い髪飾りが転がっているのを見つけた。
「ああ、こんなところに入れていたのか」
ついぞ贈ることの出来なかったそれを、俺は手に取る。
◆ ◆
「新しく雇った従業員だ。クライド、指導を頼む」
俺がハズウェル商会に勤めて6年ほどの頃だったろうか。ウォルター様が一人の女性従業員を連れてきた。
かなり若い娘だと思ったが、ウォルター様によると成人済みではあるらしい。店舗中に響き渡るような大きい声で挨拶をして頭を下げたその女性は、コーデリアと名乗った。
中堅となって作業量が増えていた俺には、正直に言って新人教育など面倒でしかなかった。だが、支部長の命令であれば仕方ない。俺は彼女を助手にして、仕事を手伝わせつつ教えることにした。
だが予想に反して、コーデリアは優秀だった。仕事熱心な上に、物覚えが良い。それに人懐こい彼女は皆に好かれ、職場の雰囲気を明るくしてくれた。即戦力とまでは言わないが、店にとって必要な従業員となりつつあった。
スタンリー坊ちゃんもコーデリアに懐いていた。忙しく飛び回っている支部長夫妻に代わって、子守り兼遊び相手をしてくれる彼女がお気に入りだったらしい。
「クライドさん。私に読み書きを教えて頂けないでしょうか」
ある日、コーデリアが頭を下げて頼んできた。初歩的な読み書きは出来るが、商会で仕事をするには能力不足だと感じていたらしい。これも先輩の役目と、仕事が終わった後に時間を作って教えることにした。
コーデリアは真剣に机へ向かっている。ウェーブの掛かった赤茶色の髪が彼女の美しい頬へ掛かる様に、見惚れてしまっていたらしい。顔を上げた彼女と目が合ってしまった。
「読み書きはご両親から教わったのかい?」
内心の動揺を隠すために話し掛けると、彼女はポツポツと自分の過去を話してくれた。
ハズウェル商会と取引のある小さな小売店の娘だったこと。両親が病により相次いで亡くなり、途方に暮れていた彼女をウォルター様が雇ってくれたこと。
俺も幼い頃に両親を亡くし、ウォルター様に拾って頂いた身だ。似たような身の上の彼女に親近感を覚えた。おそらく、彼女の方も。
「もうすぐ収穫祭よね!コーデリアは誰かと約束しているの?」
「ううん。特に誰とも約束していないわ」
休憩を取っている女性たちの話し声が、俺の耳へと聞こえてきた。
この国には、収穫祭の夜に意中の女性へ髪留めを送る習慣がある。相手がそれを受け取れば、求婚を受け入れたということになるのだ。
明るい性格と艶やかな容姿を持つコーデリアは男性に人気があった。顧客はもとより、男性従業員からも度々口説かれていたようだ。
当然、収穫祭へ誘う男性は何人もいただろう。
もしかして、彼女は俺を待っているのではないか。なんとなくそう思った。
自信過剰だと自分を戒めようとしたが、浮き立つ心は止まらない。
俺は王都の服飾店で宝石のついた髪留めを購入した。俺にとってはかなりの出費であったが、元々、最低限の生活費以外は使うあてもなく貯めていたのだ。一世一代の求婚のために大枚をはたいて、何の問題があろう。
だが、それを彼女へ渡す夢は叶わなかった。
ファレル子爵がコーデリアを妻として迎え入れたいと言ってきたのだ。そして彼女もそれを受け入れたらしい。
「クライド。本当にいいのか?」
ウォルターさんが支部長室へ俺を呼び、そう聞いた。
「コーデリアが良いと言ったのであれば、私には何も」
「……そうか」
後から聞いたことだが、ファレル子爵はコーデリアを寄越さなければ取引を打ち切るとまで言ってきたらしい。
下位貴族の子爵とはいえ、ここで彼を怒らせれば他の貴族へハズウェル商会の悪評を流される可能性もある。彼女はこの店を守るために、彼へ嫁ぐ道を選んだのだ。
コーデリアが嫁ぐ日は、皆で見送った。別れを惜しむ同僚たちに囲まれる彼女と一瞬だけ目が合い、視線が絡んだ。
何とか口を開こうとするが……声が出ない。彼女はそんな俺に「お世話になりました」と頭を下げ、去って行った。
なぜ、もっと早くに彼女へ求婚しなかったのか。
何年も後悔に胸を苛まれた。
◆ ◆
あの日商会で働きたいとやってきたアデラインを一目見て、似ていると思った。
顔つき自体は母親のような艶やかさはなく、どちらかというと父親に似ている。だが髪の色と、何より意思の強そうな瞳がコーデリアにそっくりだった。
アデラインはすぐに商会の戦力となった。その有能さと勤勉さは母親譲りだろう。
スタンリー坊ちゃんが彼女へ惹かれていることはすぐに気づいた。二人の距離が縮まっていくのを、微笑ましく、そして懐かしく眺めていた。
アシュバートン侯爵令息が横槍を入れてきたときは過去の再現のようでやきもきしたけれど、二人は共に新天地へ向かう事を選んだ。これからどうなるかは坊ちゃん次第だが……。きっともう、大丈夫だ。
俺は髪留めをそっと鞄に入れ、商会を後にした。