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中編

 アシュバートン侯爵家からハズウェル商会へお呼びがかかったのは、それからしばらく後のことだった。しかもアデラインを共に連れてこいというお達し付きである。


(侯爵家には専属の商会があるはず。わざわざ私たちをご指名なんて、嫌な予感しかしないわね)


 アシュバートン家を訪れたスタンリーとアデラインを出迎えたのは、執事のデリックだった。


「お久しぶりですね、アデライン様」

「ご無沙汰しております、デリック様」

 

 久々に会った彼は、何だか疲れている様子だった。よく見ると目の下に隈が出来ている。


「貴方がいなくなったおかげで、執務が滞っているんです。ファレル子爵令嬢ともあろう方が、ご当主に目を掛けて頂いた恩を忘れて逃げ出すとは思いませんでしたよ」

「まあ、デリック様。ルーファス様はどうなさってるんです?」


 デリックの厭味に対してにこやかな顔で返すアデライン。そもそも、執務は当主代行であるルーファスの仕事だ。怒りを彼女へぶつけるのは筋違いというものである。

 アデラインが侯爵邸にいる間、この執事はルーファスと同様に彼女をこき使っていた。それを当然と思っている節もある。今でも八つ当たりをして良い相手と思っているらしい。


「ルーファス様も色々とお忙しいのです。婚約者の貴方が、それをお支えするのが当然でしょう」

「私は婚約破棄された身です。それはクリスティーナ様へ仰るべきでは?私と違って由緒正しい血を引く彼女なら、執務などすぐに覚えると思いますわ」


 痛いところを突かれたデリックが押し黙る。クリスティーナに執務を代替わりするような能力が無いことくらい、彼も分かっているのだ。


 

 たっぷり1時間近く待たされた後、ようやくルーファスが顔を出した。待たせたことを悪いとは全く思っていない横柄な態度で、謝罪の言葉も無い。

 変わらないわね、とアデラインは内心思う。


「アデライン。商会なんぞに勤めているそうだな?子爵令嬢ともあろう者が落ちぶれたものだ。平民の暮らしは辛いだろう。頭を下げて戻って来るなら、許してやってもいいぞ」


 ふふん、と優越感を込めた顔で見てくるルーファスにカチンと来たが、顔には出さない。


「いえ、今の暮らしはとても気に入ってます。商会の仕事は働きがいがありますし、ちゃんとお給金ももらえますから」

「そうそう。アデラインは今や我が商会に無くてはならない人材です。引き抜きは困りますよ」


 それを聞いてこれみよがしにチッと舌打ちをした後、ルーファスが続けた。


「最近流行ってる香り付き扇、お前のところの商会で開発したんだってな。それを持ってこい。そうだな、50個は欲しい。来月、俺とクリスティーナの婚約披露パーティがある。そこで配るんだ」

「50個ですか。それは豪儀ですねえ。誠にありがとうございます。100ベルになりますが、お支払いについては執事さんとお話させて頂けば宜しいでしょうか」

「50ベルにしろ」

「いくら何でもそれはないです、ルーファス様」


 値切るにしても、半額は無い。助手が商談に口を出すのは禁じられているが、アデラインは思わず口を挟んだ。


「お前、俺やクリスティーナの悪口をばら撒いたそうじゃないか。侯爵家から正式に抗議を出しても良いんだぞ」


 醜聞をばら撒いたというのならその通りである。本当の事しか喋ってないが。

 

「半額にするなら許してやる。だいたい、お前の妹の婚約披露パーティなんだぞ。祝儀の代わりだと思え」

「そんな……」


 50ベルくらいの金額を侯爵家が払えないわけはない。これはアデラインへの嫌がらせだ。


「分かりました。商会からルーファス様への婚約祝いということで、今回だけ半額としましょう。品は月末までの納入をお約束致します」

「さすがに支部長は話が分かるな。アデライン、お前も見習え。スタンリーと言ったか?この女は生意気だから大変だろうが、これからもよく躾けてくれ」



「申し訳ありません、スタンリーさん。私のせいで」

「構わないよ。これで在庫を一掃できるじゃないか」

 

 帰り道で平謝りするアデラインに、スタンリーは涼しい顔でそう答えた。

 

「あ……なるほど」


 実は、来月から香り付き扇の新作を売り出すことになっていたのだ。布をレース素材にして透けて見えるようにした。間に押し花などを挟むことで、扇を自由に飾り付けられるというものである。

 そうなると古いタイプの扇は売れなくなってしまう。半額でも在庫が売れるなら万々歳というわけだ。

 

 新作の扇はこれまた売れた。ご婦人たちは押し花や絵を挟み、自らの美的感覚を競い合った。中には推し芝居俳優の絵姿を忍ばせているご婦人もいるらしい。


 

◆ ◆



「ルーファス様ぁ~。酷いのよう」


 公爵家の茶会へ呼ばれていたクリスティーナが帰ってくるなりルーファスへ泣きついた。

 

 茶会の参加者には二人の婚約披露パーティに出席したご令嬢もいたが、配った扇を持っている者は誰もいなかったらしい。令嬢のほとんどは新しいタイプの香り付き扇を購入していたのだ。

 クリスティーナに対して「あら、アシュバートン侯爵家はハズウェル商会とお取引なさってないのかしら?ああ、そうでしたわね。アシュバートン侯爵令息の元婚約者がお勤めになっているのでしたわねえ」と厭味を言ってくる令嬢もいたという。


「よしよし、泣くんじゃない。新しい扇でもドレスでも買ってやるから」


 クリスティーナを抱き寄せて撫でつつも、ルーファスはどこか面倒臭さを感じていた。アデラインと婚約していた頃は、クリスティーナに対してこんな感情を持ったことはなかったのに。


 

◆ ◆



「オールディス侯爵夫人ですか?面識はありませんが」

「そうなのか?実は君をご指名でね。アデラインひとりで来いと言ってきたんだ。てっきり知己なのかと思ったが」


 オールディス侯爵家といえば、アシュバートン侯爵家に匹敵する権勢の持ち主だ。両侯爵家が、何かと張り合っていることは有名である。


「君から、アシュバートン侯爵家のことを聞きたいんじゃないのかい?」

「そうでしょうか……?」


 ルーファスとの婚約破棄の経緯は既に社交界中へ広まっている。情報通のオールディス侯爵夫人が、今さらそれを聞きたがるとも思えない。


「俺も同行したいけれど、向こうが君だけでと言っているからなあ。まあ、ご機嫌伺いと思って行ってきてくれ」

「分かりました」



 訪れたアデラインを、侯爵夫人は愛想良く出迎えた。「早速だけれど、お品を見せて貰えるかしら」と言われたので、持参した商品を順に見せる。


「こちらのペンは、ラナトラル王国から輸入したマホガニー材を使っておりまして。持ちやすいと評判のものでございます。王立学園の入学式も近いですから、贈り物として喜ばれるかと」

「どれも代わり映えしないわねえ。新しい商品はないの?」

「こちらの手袋が新商品となります。我が商会と工房で共同開発を行った素材を使用しております」


 貴族であれば手袋は欠かせないが、今は春だ。夏が近づいて気温が上がるとかなり蒸れる。レース編みの手袋もあるが男性は使用しにくいし、女性でも極力肌を見せたくないという人もいる。そのため、傍目には分からないくらい小さな隙間を空ける織り方で、透けないけれど涼しさを感じられる素材を開発したのだ。さらに内側には、清涼感を感じさせる魔法薬を塗り込んである。


 それをひっくり返したり着用してみたりしていた侯爵夫人が口を開いた。


「ふうん。これは織り方が肝なのね」

「はい。ご慧眼です」

「この織り方を、うちのお抱え職人に教えて貰えないかしら。勿論、代金は払うわよ」


(そう来るのね……)


 お貴族様が無理難題を言ってくるのはいつものことだ。アデラインは極力笑顔を作って「お望みとあれば」と答えた。


「あら、いいの?」

「ええ。元々、製法は商会ギルドで公開する予定となっておりました。商人は持ちつ持たれつですから」


 スタンリーの受け売りである。だが侯爵夫人は眉をひそめて扇を口で隠した。不快感を示しているのだ。


「それは駄目よ。製法はうちで独占したいの。だって、他の皆が同じ手袋を持っていたら意味がないでしょう?」

「っ、それは……」


 どう答えて良いか分からず、言葉に詰まる。営業スマイルをと思うが、動揺を隠せず口元が引き攣ってしまった。


「あらあら、顔に出てしまっているわよ。商人ならば微笑みを崩したらいけないわ。弱みを持っていると、晒しているようなものだもの」


 この手袋は夏に向けて大々的に売り出すつもりだった。

 製法を持って行かれては、これから入るはずだった利益が全く見込めなくなる。開発に掛かった費用を侯爵家からいただくにしても、商会としては大損である。

 それを見抜かれてしまった。


「ならばこうしましょう。今からクリブにつき合ってくれない?私が勝負に勝ったら、貴方は織り物の製法を渡す。貴方が勝ったら諦めるわ」

「……分かりました」


 にこやかではあるが、オールディス侯爵夫人の目は笑ってはいない。

 侯爵家というのならルーファスだってそうだ。だけど彼女は違う。


(この人に逆らってはいけない)


 アデラインは直感的にそう思った。


「貴方も忙しいでしょうから、3ゲームにしましょうか」


 侍女が持ってきたカードを、公爵夫人が配る。


 クリブは二人で競い合うカードゲームだ。

 12枚の手札からそれぞれ6枚を選び、その中から出来上がった役の点数を競い合うものである。


 アデラインもこのゲームは得意な方だ。母親や学院の友人と遊んだときは、それなりの勝率だった。


(だけど、夫人は負けたらヘソを曲げられるかもしれないわ……)


 適度に向こうに花を持たせて、最後はギリギリ自分が勝ったように見せれば良い。

 1回目は夫人の出方を見つつ少し手を抜いたが、アデラインの勝ちだった。2回目は夫人の勝ち。もちろん、アデラインが手を抜いたのである。


 3回目はなかなか役が揃わず、何度か交換を繰り返した。

 今の手札は、連なる数字が4枚並んだスウィートで、さらにそれが二つ揃っている。これなら負ける事は無いだろう。


「ダブルスウィートです。これで80点ですね」

「私はAのカレよ」

「えっ……」


 夫人の手にはAのカード4枚がある。カレはスウィートより強い役で、さらにAのカードであれば100点が与えられる。

 

「私の勝ちね。約束通り、製法は教えて貰うわよ」

 

 ショックのあまり言葉が出なくなったアデラインに、夫人はにっこりと微笑んだ。


「一つ教えておいて上げましょう。これは駆け引きなのよ。製法を渡す代わりに、貴方に利益のある何かを提案するべきだったわね。まあ、()()()()にはまだ難しかったかしら」



 商会へ戻って経緯を報告したアデラインに、スタンリーは「そうか」と答えただけだった。店を閉めた後「夕食に付き合ってくれないか」と言われ、断る理由も無いので頷く。

 連れていかれたのは、庶民向けの値段だが料理もお酒も美味いと人気の店だ。


 二人で向き合ってワインを飲んでいるうちに、酔いが回ったのだろう。アデラインはポツポツと本音を話し始めた。

 

 最初から最後まで、夫人の手の平の上だった。

 商人として少しは成長したかと思っていたのに、まだまだだった。

 

「君は今まで、失敗らしい失敗をしてこなかったからね。良い経験になったんじゃないかな」

「でも、商会に損を出してしまいました……」

「開発費分は出して貰ったのだから、ギリギリ損ではないよ。それにね、商人に限らずどんな職でもそうだが、挫折は得難い経験だ。そう考えたら得かもしれない。まあ、これは俺が駆け出しの頃に父から言われたことだけどね」

「もしかして、スタンリーさんも失敗を?」

「そりゃあ、山ほどあるよ」


 スタンリーが笑いながら話す過去の失敗談に、落ち込んでいたアデラインの心は少しだけ軽くなった。



 その後、ハズウェル商会は「透けなくて涼しい」というコンセプトはそのままで、別の素材を使用した手袋を販売した。元の織物よりは安価な素材を使用したため、下位貴族やジェントリにはそこそこ売れた。


「織り物の製法は独占されたけど、商品のコンセプトまで使ってならないとは言われてないからね」

 

 事実、オールディス家からは何も言ってこなかった。お目零しされたのかもしれない。


 しかも、なぜかオールディス侯爵夫人からアデラインへちょくちょく声が掛かるようになった。最初の時のような無理を言うことはなく、普通に取引きしてくれる。


「あの人は、見所のある若いのを見つけると試そうとするんだよな。それで取引きを続けて貰ってるということは、嬢ちゃんはだいぶ気に入られたんじゃないか?」

「そうなのでしょうか……?」

「そう思って置けばいいんじゃないか。実際、利益は上げてるわけだしね」

「あの手厳しいオールディス侯爵夫人に気に入られるなんて、嬢ちゃんは凄いな!」

 

 ダリルやスタンリーにそう褒められて、納得行くような行かないような気分のアデラインだった。




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