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前編

「ここで働かせて下さい!」

「……アデラインお嬢様、それは何かのご冗談でしょうか?」

「いいえ、本気です。何でもしますから、ここへ置いて下さい!」


 ハズウェル商会ソベルラ支部の若き支店長、スタンリーは目の前で頭を下げるご令嬢を困惑しながら見つめていた。



◆ ◆



 ファレル子爵令嬢アデラインが婚約者のルーファス・アシュバートン侯爵令息との婚約を解消されたのは、つい数時間前のことだ。


「代わりにお前の妹、クリスティーナを妻に迎えるつもりだ。彼女はこの通り見目麗しい上に、淑やかで優しい。お前と違ってな。何より、クリスティーナの母君は伯爵家出身だ。クリスティーナこそ、アシュバートン家の次期当主夫人に相応しい。ちなみにファレル子爵も了承済みだ」

「ごめんなさいね、お姉様。ルーファス様が、お姉様より私を妻に迎えたいと強く仰るものですから」


 髪をかき上げながら悦に入った態度のルーファスと、彼へ寄り添うクリスティーナ。端から見れば不貞であり、腰を低くして謝罪すべきは自分たちの方なのだが、とてもそのような態度ではない。由緒正しい貴族の血を引く二人にとって、平民の母を持つアデラインに対してはどんな横暴な命令をしても良いと思っているらしい。ある意味、とても貴族らしい考え方である。


「だがお前も、傷物となった身では次の縁談も来ないだろう。これからも俺の手伝いをするというのなら、この家に置いてやらなくもない」

「いえ、そのご心配は不要ですので。今までありがとうございました。では、私はこれで失礼します」

「えっ?おい!待……」


 そそくさとその場から抜け出すと、アデラインは少ない手荷物を纏めて脱兎の如く侯爵邸から退出した。

 父親も了解しているということは、実家へ帰ったところでアシュバートン侯爵家へ連れ戻されるだけだ。だから、その足でハズウェル商会を訪ねたのである。


「話は分かりましたが……」


 スタンリーはどう答えたものか、考えあぐねていた。ファレル子爵は顧客の一人であり、アデラインのことは幼い頃から知っている。彼女が置かれた状況を不憫に思う気持ちもある。

 だが、貴族のご令嬢を商会で雇うなど聞いたこともない話だ。


「良いではありませんか、スタンリー坊ちゃん」


 スタンリーの隣で話を聞いていた、副支部長のクライドが口を挟む。


「アデラインお嬢様のお母様には、坊ちゃんもお世話になったでしょう?ここは恩返しの機会だと思えば」

 

 クライドは、前支部長であるスタンリーの父が若い頃から勤めている部下だ。若いスタンリーにとっては、部下と言うより頼りになる先輩である。彼の助言が常に正しいことを知っているスタンリーは、「仕方ない」と嘆息しつつ答えた。


「とりあえず一ヶ月。その間、見習いとして働いて貰います。本雇用はその様子を見てからになります。ただし、貴族のご令嬢として貴方を扱うことは致しません。身の回りのことはご自分でやっていただきます。それに何の経験もない貴方に、すぐに商会の仕事を任せることは出来ません。下働きのような事をして貰うことになりますよ。それでも良いですか?」

「はい、構いません」

 

 世間知らずのご令嬢の気まぐれだ。どうせ、すぐに音を上げるだろう。

 スタンリーはそう思った。



◆ ◆



「いらっしゃいませ、ドミニク様!」

「こんにちは、アデライン嬢ちゃん。いつも元気だねえ」


 スタンリーの予想に反して、アデラインはすっかり職場に馴染んでいた。店舗の掃除や賄いの用意を言いつけても、嫌な顔ひとつせず勤めた。

 

 貴族のご令嬢と聞いて扱いに困っていた同僚たちとも、今ではすっかり仲良くなっている。特に女性陣はアデラインの境遇を聞いてえらく同情し、「アシュバートン侯爵令息だっけ?そんなバカ男の所から逃げ出して正解よ!」と彼女を励ました。


 アデラインは身の回りのことは勿論、家事も一通り仕込まれていたので生活面で困ることはなかった。亡き母親から仕込まれたおかげだ。


 彼女の母親コーデリアは平民で、ハズウェル商会へ勤めていた。ハズウェル商会との取引の際、ファレル子爵が彼女へ一目惚れしたらしい。コーデリアが自分へ向ける熱い微笑みに『運命を感じた』と口説いてきたそうだ。「お客様だから愛想良くしてただけなんだけどね」と母は苦笑していたが。

 

 だが、父には既に婚約者がいた。伯爵家ご令嬢であるその女性を正妻とし、コーデリアを妾として迎え入れた。そしてアデラインが産まれ、その二年後に正妻も娘を産んだ。

 その頃になると父はコーデリアに興味をなくしたのか、あるいは正妻に気兼ねしてか、コーデリアとアデラインの住む離れに顔を出すことはほとんどなくなった。


 それをいいことに、母はアデラインに家事を教え込んだのだ。勿論、貴族のご令嬢として行儀作法や教育も、ガヴァネスを雇って仕込んで貰った。

 母はアデラインが平民と貴族、どちらの道を選んだとしても生きていけるようにしてくれたのだろう。



「アデライン、支部長がお呼びですよ」

「はーい、今行きます!」


 まだ見習いの身分ではあるが、最近は店へ立たせて貰えるようになった。

 商品のラベル付けやお客様へ出す手紙の代筆を頼まれることもある。貴族としての教養を仕込まれている彼女の美しい字は重宝された。

 

 ハズウェル商会の本部は隣国クォビレス共和国にあり、商会長はスタンリーの祖父である。ここゼイレ王国の王都にあるソベルラ支部は、前支部長だった父ウォルターがスタンリーに譲ったものだ。ちなみにウォルターは現在、クォビレス本部長として辣腕を振るっているらしい。

 保守的なゼイレ王国と違って海運の盛んなクォビレスには様々な品が集まる。スタンリーは本国から輸入した品だけでなく、それを資材とした商品の開発を行い、利益を上げている。

 

「自らの強みを理解し、利用する。それが商売の肝なんだ」


 それがスタンリーの口癖だ。

 

 商品や資材のこと、お金の流れ、客への対応……学ぶことはたくさんあるが、アデラインにはどれもこれも新鮮に感じた。毎日が充実していてとても楽しい。


 (朝から晩まで執務に縛られなくて済むし、何より、毎日ルーファスの仏頂面を見ることも無いもの!)


 

 初めての顔合わせの時から、ルーファスはアデラインのことが気に入らなかったようだ。彼女とは一言二言話しただけで、後はもっぱら妹のクリスティーナへ話しかけていた。

 それも仕方ない、とアデラインは思う。


 赤茶色の髪に茶色の眼は細く、体つきはお世辞にも良いとは言えない。つまり、アデラインは自他ともに認める地味な容姿だった。一方でクリスティーナはとても美しい。ウェーブの掛かったブロンドの髪に長い睫毛、くりくりの瞳。胸もアデラインと違って豊かである。

 パーティに出れば、人目を惹くクリスティーナの周りには人が集まった。

 ならば最初からクリスティーナと婚約すれば良いのに、と誰しも思うだろう。実際、ルーファスもそれを望んだ。だが彼の父、アシュバートン侯爵が反対したのだ。


 クリスティーナは見目麗しいが、中身は残念な娘だった。学院の成績はお世辞にも良いとは言えない。教養も行儀作法も、子爵令嬢ならばギリギリ合格というレベル。次期侯爵であるルーファスの妻が務まるとは思えない。


(妹も、地頭は悪くないと思うんだけどね)


 社交に出ればご令嬢たちと普通に会話を交わしている辺り、彼女も決して阿呆ではない。ただ幼少期から蝶よ花よと溺愛された妹は、努力するということを知らないのだ。面倒ごとは誰かがやってくれると思っている。


 対してアデラインは、自分が地味であることをよく分かっている。それ故に勤勉だった。教師の言うことには素直に従い、熱心に勉強した。母に恥をかかせまいという一心ではあったが、おかげで学院での成績はトップクラスだった。


 アシュバートン侯爵はそこを見込んだらしい。

 父親のファレル子爵としても、平民の母を持つ娘など良くて貴族の妾か、あるいは金持ちの商家へ嫁がせるしかないと思ってたから二つ返事で了承した。


 ルーファスと婚約したアデラインは、学院卒業と同時に行儀見習いという名目でアシュバートン侯爵家へ放り込まれた。既に行儀作法も教養も問題なしと太鼓判を押された後は、ルーファスの執務を手伝っていた。


 だが彼は、この婚約がよほど不服だったのであろう。顔を会わせる度に地味だとか平民上がりだとか、言いたい放題貶められた。勿論、婚約者らしいことをして貰ったことは一切ない。


 それでもアシュバートン侯爵が目を光らせているうちは良かった。数カ月前侯爵は突然の病で倒れ、現在も別邸で闘病中である。当主代行となったルーファスは好き放題し始めた。

 杜撰な領地管理に度重なる浪費。このままでは早晩、侯爵家の財政が傾くと見抜いたアデラインはルーファスを窘めようとしたが、「平民上がりのくせに指図するな!」と怒鳴られただけだった。


 この生活に辟易していたアデラインにとって、ルーファスからの婚約破棄は願ったり叶ったりだったのだ。



◆ ◆



「まあまあ、アデライン様ではございませんか!」

「ご無沙汰しております、バークレイ伯爵夫人」


 アデラインはスタンリーと共に、バークレイ伯爵家を訪れていた。平民と違い、貴族が商会の店舗を訪れることはない。こちらから商品を持参して売り込みに行くのが常である。スタンリーはその助手として彼女を連れて行ったのだ。

 

 バークレイ伯爵夫人はアデラインの顔を見た途端、ずいずいと寄ってきた。


「聞きましたよ、婚約破棄のこと。お可哀想に……気落ちなさっているのではなくて?」

「いえ、それほどでも」

「アシュバートン侯爵のご令息と、ご不仲とは聞いておりましたけども。やはりそれが原因ですの?」


 気遣っているような言葉に反して、その眼は好奇心で爛々と輝いている。

 困惑したアデラインはスタンリーの方を見たが、彼は「折角だ。アデライン、お話しして差し上げなさい」とにこやかに答えた。


 こうなったらヤケだ。

 アデラインは婚約破棄へ至るまでの一部始終を、それはもう詳しく語った。夫人が大喜びだったのは言うまでもない。

 ついでに持参した商品を購入して貰えたスタンリーもニコニコ顔だ。


「困ったことがありましたら、遠慮なく頼って下さいましね」

「はい、ありがとうございます」


 帰る際にはそんなことを言って手を握られた。社交辞令であることはアデラインにも分かっている。本音は「面白いネタがあったらまた教えてね」だろう。


 それからもいくつかの貴族の家へ連れて行かれたが、みな同じようにアデラインの話を聞きたがった。

 噂好きな彼らにとって、自分たちより上位の存在である侯爵家の醜聞など、格好の餌なのだ。彼らの眼にはいつだって愉悦の色が潜んでいる。



「アデライン。君は、婚約破棄の話をすることが嫌ではないのかい?」


 ある日、スタンリーがそう聞いてきた。

 何を今さらという話である。この頃になるとアデラインはすっかり開き直っており、自分の過去を面白可笑しく語れるようになっていた。だから、彼女はスタンリーの問いかけを否定した。

 

「いいえ。皆さん、喜んで聞いて下さいますから。それに、商売は強みを生かすものだとスタンリーさんはいつも仰っているでしょう?これが私の強みなのだと思っています」

「……合格だ。君は思っていたより、ずっと逞しいな。商人に向いているかもしれない」


 ニヤリとしながら答えるスタンリーに、アデラインは自分が試されていたことにようやく気付いたのだった。


 そのすぐ後、アデラインはハズウェル商会へ正式に雇用された。

 貴族を訪問するとき、スタンリーは必ずアデラインを伴う。夫人たちはアデラインが相手だと口が軽くなるらしく、訪れると様々な話に付き合わされた。

 貴族ではない、でも行儀作法や会話術を心得ている彼女は、話したいことを語り捨てる相手にちょうど良かったのかもしれない。

 そこで見聞きした話は、別の訪問先でネタとして会話を広げるのに役立った。

 

 勿論、会話だけではない。

 スタンリーとアデラインは新商品として、香り付きの扇を売り込んだ。扇に花の香りのエキスを振りかけて使用するものだ。張ってある布は香りが染み込みやすい特殊な布で、一度振りかければ一週間は香りが持つ。

 エキスの入った瓶をセットに付けているため、香りが減ってきた頃にはまた振りかければ良い。しかも瓶が空になれば、入れ替えの瓶が売れる算段だ。

 春のデビュタントを控える令嬢に、扇は飛ぶように売れた。



◆ ◆



「随分羽振りがいいようじゃねえか」


 スタンリーの元をふらりと訪れたのは、商会ギルド長、ダリル・レッツェルである。彼はレッツェル商会の会長でもあり、一代で商会を大きくした叩き上げとして商人仲間から尊敬されている人物だ。


「香り付きの扇だって?面白いことを考えるもんだ。ギルドの連中が悔しがっていたぞ。俺が宥めといたがな」

「ありがとうございます、ダリルさん」

「まあ、タダってわけじゃねえがな」


 ニヤリとするダリルに対して、スタンリーは涼しい顔だ。


「扇に張る布の製法を公開しますよ」

「エキスの方もだ」

「仕方ないですねえ。抽出方法もお教えするよう、工房へ伝えておきます」

「よし!話が早くて助かるよ。今後ともよろしく頼むぜ、スタンリー」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 横で書類仕事をしていたアデラインは、やり取りを聞いて唖然とした。これでは強請りではないか。


「スタンリーさん!いいんですか?製法を公開してしまったら、他の商会が一斉に真似をするのでは」

「こういうのは持ちつ持たれつだ。商人は、自分だけが儲けようとしてはいけないんだよ」

「でも」


 納得のいかない顔のアデラインに対して、スタンリーはウィンクをしてみせた。


「工房の職人とは専属契約を結んでいるわけじゃないしね。どのみち、製法はいつか漏れる。それなら、ダリルさんに恩を売っておいた方がいいだろう?」


 ほどなく、香りつき扇は他の商会からも売り出された。それは一大ブームとなり、貴族だけでなく裕福な平民の女性も持つようになった。ハズウェル商会の売り上げは減るどころか増えたほどだ。

 さらに商人たちは他と格差を付けようと、競って扇や香りエキスの改良を行った。それは扇そのものの品質を向上させ、また次の商品開発へ役立つことになる。


(持ちつ持たれつとは、こういうことなのね)


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