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百鬼夜行と踊る神  作者: 蠣崎 湊太
倭国大乱・羽後編
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ありふれた明日

春水一行が村に来る少し前のエピソードです

 

 絶対に、明日言おうと思ってた。好きだって。俺と結婚して欲しいって。けれどそんな想いは、あいつには届かないだろう。


 よろめく足音と、液体を啜る音だけが辺りに響く。この村はもう終わりだ。気のいい村長も、力持ちの豆腐屋も、泣きボクロのある薬屋も、みんなみんなもう居ない。


 (くわ)を振るのが好きだった。土を耕して、種を植えて。俺の仕事が村のみんなの食い物になるってんだから、俺の流した汗も無駄じゃないんだなって思えた。


 俺がいつもそうやって仕事をしてる時、あいつは日陰で本を読みながら、くすくすこっちを見て笑ってたっけ。


 本当、嫌な奴だったよ。こんなへんぴな村に飛ばされてきた没落貴族の癖に、必死に偉ぶって毎日俺をなじりに来るんだ。


 それである時、腹を立てた俺があいつのお気に入りだったクシを隠してやった事があったっけ。


 そしたらあいつ、いつもの気丈な演技なんて忘れて、わんわん泣いてやがるの。俺より三つも年上なのに、恥ずかしげもなく。


 それを見て俺はなんだか悪いような気がして、すぐにクシを返してやったんだ。


 そしたら、嘘みたいに涙が止まってさ。挙句の果てには、見つけてくれてありがとう!なんてはしゃぎ回んの。


 その笑顔を見て俺は、あいつのことが好きになったんだろうなぁ。


 でも、腐ってもあいつは貴族だったから。俺みたいな農民じゃきっと相手にされないだろうって、ずっと思ってたんだ。


 それでも一年、二年とあいつと同じ時間を過ごしていくうちに、俺はなんだか勘違いをしちまった。あいつも俺のことが好きなんじゃないかってさ。


 だってそうだろ?毎日飽きもせず、俺の畑仕事を見に来るんだぜ?絶対俺のこと好きじゃん!


 それに一年も経てば、あいつもこの田舎暮らしに慣れてきたのか。忘れもしない去年の夏、あいつはなんだか不細工で歪なおにぎりなんて差し入れてきやがった。


 太陽なんかよりも真っ赤な顔で、震えながら。侍女が作りすぎたから仕方なく!って、バレバレな嘘までこしらえて。


 結局そのおにぎりはありえないくらい塩が振られてて、吐き出しちまいそうほど塩辛かった。でも俺はそんな味なんか気にならないくらい嬉しかったから、ペロッと全部食っちまったんだったなぁ。


 そうやって、俺は自分の想いに気づいてたまま、これは勘違いなんだって言い聞かせてた。


 怖かったからだ。俺が自分の気持ちを伝えて、今ある楽しい日常が壊れちまうのが、俺は何より怖かった。


 だからずっと、毎日寝る時に決心してたんだ。


 明日言おう。明日になったら絶対言おう。俺がお前を、好きだってこと。俺たちなら、絶対幸せになれるってことを。


 けれど、そんな日はもう来ない。あいつは、もう人ではなくなってしまったから。


「ぁ.......。あぁ.......。あァ....!」


 全身から白いもやを生やし、あれだけ丁寧に毎朝時間をかけて整えていた髪も、見るも無惨なほど無造作にされている。


 あいつは人ではなくなった。今日の昼にみすぼらしい商人がやってきて、そいつがどうしてもって言うもんだから買ってやった茸を食べたら、みんな人では無くなった。


 俺だけはたまたま、晩飯の時も(くわ)を振っていたからギリギリ助かったが、俺以外のやつはもう全滅だ。


 元々小さな村、感染症のひとつでも起これば潰れちまうくらいの、そんなちっぽけでチンケな村だったからな。


「なんでだよ.....!俺はっ....!毎日飽きずに(くわ)を振って!近所の爺さん婆さんたちに作物を分けて!隣のガキンチョどもとたまには遊んで...!そんで....たった一人を好きになっただけじゃねえか....!」


 目の前のあいつだったものは、何も答えない。ただゆっくりと、一歩一歩を踏みしめるようにこちらへと向かってるだけだ。


「俺たちが何かしたのかよ?!悪いことなんか何一つだってしてないだろ!お前にも....言おうと思ってたことがあったのに......!」


 足音は止まらない。俺はもう、涙で視界がぐちゃぐちゃになっていた。情けなくて、もうあいつと話せないのが悲しくて。俺はもうどうしたらいいのか分からなかった。


「なぁ!教えてくれよ!!俺はっ!!!俺は....!お前に、何をしてやればいい....。」


 零れる涙の跡を、温かい何かがそっと撫でた。俺はその感触が愛おしくて、思わず瞳をまっすぐあいつの方へ向ける。


 あいつは、人じゃなくなってもあいつのままだった。俺の涙を指で拭い、そっと掬い上げたあいつは、そのまま俺の肩に腕を回した。


「...........す.........き...........よ?...........いっ..........しょ.......に......。」


 あいつが何を言いたいのか、俺は言葉でなくても理解出来た。


 俺がずっと踏み出せなかった一歩を、ずっと言えなかった言葉を。あいつは最期の最期に言ったんだ。ここで俺が返事をしてやらなきゃ、可哀想じゃねえか。


 俺は息を大きく吸い込んで、あいつの腰に腕を回し返す。それから、昔クシを見つけた時のあいつみたいな笑顔で。


「俺も、ずっと好きだった。一緒に死のう、沙織(さおり)。」


「............りょ........う.........。あ.......ぁ.....。うれ.....しい..........。」


 ありふれた明日は来なかったけれど。もし願うなら、来世でももう一度、お前とこうして抱き合いたい。


 舌を絡め合う。全身の筋肉が支配され、自分の意識だけが残って他を奪われる不快感に脊髄まで犯される。


 それでもなお、やっと気持ちを伝えられた幸福感が勝る。言ってやった。言ってやったぞ!この気持ちは決して、報われないものなんかじゃなかった!届かないものなんかじゃなかった!


 これで良かったなんて、俺は口が裂けても言えない。だって本当なら、こんな幸せがもっと続くはずだったんだぜ?


 なぁ。沙織(さおり)。お前はどう思う?俺たち、やっと結ばれたじゃんか。これから、苗字だって揃えて、ひとつ屋根の下で暮らして、そんで子供まで作ろう。


 あ、そっか。お前の方が身分が高いから、俺はお前のとこに婿入りした方がいいのかもな。ごめんごめん、考え無しで。


 まあいいだろ?これからヨボヨボになるまで一緒にいるんだ。時間なんてたっぷりあるから、そのうちに考えればいい。


 なぁ。返事くらいしてくれよ。なあってば。こんなに言うのが遅くなって、お前から言わせちまったことは謝るからさ。


 だから。だからさ。いい加減、返事してくれよ。


 体が勝手に動いて、俺と沙織(さおり)は離れ離れになってしまう。ただ、奇跡的に手と手が茸で接着されて、恋人繋ぎのようにそこだけ繋がったまま。


 意識はある。自分が今井戸に向かっていることも、自分が自分でなくなっていく感覚さえ分かる。


 こんな終わりは嫌だ。でも、今俺の隣にはあいつがいる。だからこれは最悪なんかじゃないはずだ。


 そう自分に言い聞かせて、俺は沙織(さおり)との幸せな新婚生活を妄想し続けることしか、できなくなっていた。


 こんな唐突な幕引きをされたんだ。ちょっとぐらい贅沢な妄想をしたって、いいじゃないか。


 しばらくしてから井戸に着いて、俺はそのまま井戸の中へ飛び込んだ。その影響で、手が繋がっていた沙織(さおり)まで一緒に堕ちていく。


 井戸の底には沢山の人だったものが蠢いていて、俺たちはその波に押され、少しづつ離れ離れになってしまう。


 それから、沙織(さおり)は後から降ってきた、人だったものに押しつぶされてぐちゃぐちゃになった。俺はそれを、悲鳴を上げることも助けることも出来ず、ただ眺め続けていた。


 肉が潰れ、血が飛び散り、目玉がコロコロ転がってきた。茶色い、綺麗な目。いつも俺を映していた、俺がいつも見ていた、沙織(さおり)の目。


 今これに映っているのはなんだ?この白くて、汚い蠢くものは。俺か?俺?俺?俺?これは、俺なのか?


 何が最悪じゃないだ。これのどこが最悪じゃないんだ。ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな。


 誰かたすけて。たすけて。たすけて。


 誰か。だれか。


 殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して


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