行きはよいよい
ヤスの話を聞き、僕は直ぐに身支度を済ませた。と言っても、大体のものはヤスが馬に乗せて持ってきてくれていたし、僕が用意しなければいけなかったのは刀くらいだ。
「お兄ちゃん。もう...行っちゃうの?」
雨音が僕の裾を少し引っ張って、寂しそうな顔でこちらを見上げる。僕はそれを見て、後ろ髪を引かれるような思いになった。
母さんはそんな雨音を抱き抱えて、優しい目で僕の方を見る。それから軽く僕の頭を撫でて、一言。
「行ってらっしゃい、気をつけてね。母さんは春が元気でいてくれれば、それでいいから。」
久しぶりに会えて嬉しかっただろうに、母さんは僕がとんぼ返りすることに対して何の嫌味も言わなかった。
「母さん。すぐ戻るから、だから待ってて。ヤス、ここはまだ安全な方なんだよね?」
「ああ。常陸国は比較的な。今はどこの地方の武士団も警戒中だ。少なくとも、夜に一人で出歩いたりしなけりゃ大丈夫なはずだぜ。」
それを聞いて僕は一安心し、ヤスの乗っていた馬の後ろへと飛び乗る。そして僕以外の他メンバーは、さっきまでと同じように花丸とその影に乗ったまま着いてくる手筈だ。
「私も...かぐやみたいにちゃんとお義母さんに挨拶したかったな〜。」
「ふふ。私が一歩リードですね、優晏さん!」
「....うちは家族みんなと、おんなじ布団で寝たことあるけどなぁ。」
また懲りずに、刑部が二人の会話に混じって茶々を入れ始める。そうして案の定、猫の喧嘩みたいな争いが始まった。
喧嘩するほど仲がいいとはよく言うが、もう少し緊張感を持って欲しいと思うのは僕だけなのだろうか。
何はともあれ、そんなこんなで僕たちは実家を後にして羽後国へと向かった。
ここ常陸国から羽後国までは約二日、その間どんなもののけや悪霊が襲ってくるとも限らないので、僕とヤスは警戒の色を強くして辺りを観察する。
「かぐや。あの春水の前に座ってる子、知り合い?」
「はい、幼なじみの保昌さんです。私はよく分からないですけど....春水と同じくらい強いみたいですよ?」
そんな後ろから聞こえるガールズトークに耳を傾け、ヤスは得意げにふんすと鼻から息を吐き出した。
そうして僕の方をチラッと見て、今世紀最大のドヤ顔を披露する。はっきり言って、滅茶滅茶にムカつく類のドヤ顔を。
「.....ほぉ〜ん...。別に嬉しかないけど....。まあ、普通だけどな?」
「ちゃんと手網握れって。落馬するぞ。うっわ〜何その顔。ムっカつくわぁ....。ヤス...お前僕に負けたの忘れた???」
「バカっ!それは禁句だろ!」
僕たちは後方に聞こえない程度の小声で、そんな言い争いを始める。この時点で、僕らの頭の中には周囲への警戒なんてものは微塵も存在しなくなった。
「かぐや様。お言葉ですが、ヤス様よりも我が王の方が実力は上のように思えます。」
「うん!しゅんすいの方が強いよ〜!やすまさも弱くはないけど〜。」
織の言葉がヤスの心にダイレクトアタックを決め、ヤスは見事撃沈してしまった。その顔にもはや生気はなく、放心状態のヤスは乾いた笑いを口から零し続ける。
「ふぅん。まあ春水の方が強いのはそうよね。なんたって、私の夫だもの!」
「ちょっと優晏さん!それを言うなら私たちのでしょう?!勝手に独占しないでください!!」
刹那、どかっと地面に激突音が響き渡り、僕の前方からヤスの背中がふっと消える。そんな一瞬の出来事に、僕は慌てて後ろを振り返った。
するとそこには、ピンと綺麗に背筋を張った姿勢で、ヤスが地面に突き刺さっていた。それを、後続の花丸たちが気付かぬまま吹き飛ばす。
「ヤス?!?!?!?!ヤス〜!!!!!!」
花丸に追突された衝撃で、ヤスは上下逆さまの四回転半トーループを決める。そうして回転を保ったまま宙を舞い、無惨にも地面へ倒れ伏してしまった。
馬は主人の不在にびた一文たりとも逡巡することなく、ヤスを置き去りにして進み続ける。
「...............。死ん......だ.......?」
「死ぬかボケがああああああああああああ!!!!!信じて幼なじみを託した親友が!!!平気で妾取ってんだけどぉ?!?!?!嘘だろぉ???!?!?!」
頭を真っ赤に染めたヤスは、全速力でこちらに向かってダッシュしてきた。その表情には鬼気迫るものがあり、僕は思わず恐怖に声を上げてしまう。
「ひっ....。追いついてくる....。じゃあ、あいつ馬要らなかったじゃん....。」
ヤスは結局、馬と併走して真顔で僕に詰め寄ってきた。感情が完全に爆発しきったのか、一周まわって冷静なヤスは逆に怖かった。
「.............説明を。オレは今、冷静さを欠こうとしている。」
「どっちも本気で好きなんだ。だから二人とも僕が幸せにする。僕だって、自分が酷い男だってのは分かってるよ。」
ヤスは下半身をフル稼働させながらも、上半身は一切として動かさないまま、僕の瞳を見つめる。そうしてしばらく黙りこくって、ヤスは納得がいったように頷いた。
「良し....。まあそれはそれとして、死ね!!!!」
ドロップキックが僕の横腹へ命中し、今度は僕が馬から突き飛ばされる。しかし、僕はすかさず翼を展開して飛翔し、馬に乗り上がったヤスの後ろに降り立った。
「冗談抜きで。かぐやは幸せにしてやってくれよ。」
「勿論だよ、相棒。」
「ハッ。あの笑顔見りゃァ分かる。言うまでも無かったわな。」
かぐやはみんなと談笑していて、こちらのちっぽけな諍いなど知りもしない様子だった。それをヤスは、心底安心したように眺めている。
「あんな風に、笑えたんだな。アイツ。」
「あ、ついでにビームも撃てるようになったよ。多分相当強い。」
「えぇ....。シュン、お前ほんと何したんだよ....。」
いつの間にか日も暮れて、僕たちはもう羽前国の入口辺りまで進んでいた。そうして今通っている丘の向こうには、小さな村がちょこんと建っている。
休息がてら、僕たちは今晩をあの村で過ごそうということになった。そうして早速、僕とヤスは宿を借りるため村へと進む。
しかしそこで、僕はある違和感に気づく。それと同タイミングでヤスも違和感に気づいたようで、僕らは一斉に進む足を止めた。
「人の気配がしない。明かりは着いてる、煙も出てるのにだ。」
「そうだね。一応、みんなは村の外に待機してもらってるけど...どうする?一旦戻る?」
ヤスはふるふると頭を振って、刀の柄に手をかけた。何かを見つけたか、それとも何かの匂いを嗅ぎとったのか。
「いいや。オレはシュンの仲間の実力も能力も知らねぇ。動くなら、お前と二人の方が動きやすい。」
こと実務の成績において、屋敷にいた頃僕はヤスに勝てた試しが無かった。それほどまでに、ヤスの洞察力と勘の鋭さは優れている。
辺りにもののけの気配は無い。だが、もぬけの殻になっている村が自然かと言われればそうでも無い。一言で言えば、異様な雰囲気がそこには充満していた。
一般的に、村がもののけや鬼に襲われている場合は一発で見て分かるようになっている。
家屋が燃えていたり、血の匂いが広がっていたり、死体があちらこちらに転がっていたり。異様と言えばそうなのだが、されどそれは現状ほどではない。
要するに、荒らされている状態であればもののけの被害に遭っているということだ。ごく稀に、山賊なんかが荒らしている場合もあるが。
「おい!シュン!こっちの家、食べかけの料理が置いてある。しかもまだ温かい。....どう見る?」
ヤスの声に導かれ、僕はヤスが入った家の中へと入る。そこには食べかけの白米と、湯気を出す味噌汁が置かれていた。地面には、一膳箸が転がっている。
「もののけの気配は無いけど...。十中八九居るでしょ。でもまずは人命救助が先、人の手がかりが無いか探してみる。」




