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百鬼夜行と踊る神  作者: 蠣崎 湊太
倭国大乱・羽後編
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純白のゆりかご

 雨が降る。しとしと、涙のような雨が降る。そんな日に、私は生まれた。お母様の背中から、不気味に背を伸ばして。


 お母様は大きな白い羽を二つ持っているのに、地べたを這いずり回ることしか出来ない。不具ではなく、元来の命としてそうなのだ。


 お母様は翼だけを与えられ、空を人から奪われた。哀れで綺麗な天の虫。それでも、お母様は人を憎むことは無かった。


 それどころか、お母様は私にさえ優しく訴えかけてくれる。口がないから、喋ることは叶わないけれど。


 私は、奪うだけだ。このお母様の命を奪い、自分だけ背丈を伸ばして胞子を飛ばす。そんな、気色の悪い生き物。


 命と共に流れ込んでくるお母様の記憶は、どれも悲しいものばかりだ。家畜として育てられ、沢山の同胞が繭から羽化する前に茹で殺されていく光景。


 籠の中から眺める空は、いつだって広く澄み渡っているのに。あの空を目指して翼を生やそうとした彼らは、ゆりかごの中でみな死んで行った。


 あついよ。あついよ。たすけて。たすけて。


 悲鳴が聞こえる。叫びが聞こえる。生糸の生産のためだけに、無惨に無常に無慈悲に殺されていく。地獄の如き断末魔。


 いいや、これすら私の幻聴だ。お母様と同じように、同胞たちもまた口を持たない。叫び声さえ奪われた、彼らの生は一体何なのか。


 お母様はその中で、繁殖用に生かされた母体だった。そんな一生が嫌で嫌で、壁をよじ登って空を目指し逃げ出した。


 これで晴れて自由の身。そんな自由が、いつまでも続けばよかったのに。


 ずぶ濡れの羽は、もはや雨粒に貫かれてボロボロだ。決して長い旅路では無い。せいぜい二週間も無い、刹那の時間。


 そんな線香花火以下の一瞬が、お母様に残された時間だった。口が無く、羽も飾りで、生き延びることも出来ず、生まれた時から人の奴隷として定められた一生。


 お母様。お母様。奪うだけの私でごめんなさい。生まれて来てしまってごめんなさい。私は醜い冬虫夏草。あなたの屍の上にしか咲けないのです。


 どうか、どうか許してください。そんな悔恨の懺悔を聞き届ける前に、お母様はにこやかに微笑む。


 あなたは悪くないと。私の命が何かを残せるのなら、それでいいのだと。


 高潔なお方だ。何よりも純白で、同胞の誰が作る繭よりも、純白なお母様。


 愛を、ただ愛を。血の繋がりはありません。種の近寄りもありません。私はしがない侵略者。あなたを貪る異邦の細菌。


 何より私はあなたを愛する。その白さに、その柔らかさに。私は救われたのですから。


 お母様の死の間際、私はお母様だけを眺めていた。自分の足元に倒れ、二本の触覚を垂れさせ弱りきっているお母様。


 愛しています。私のような奪うだけの生き物に、愛を教えてくれてありがとう。私に訴えかけてくれて、私を認めてくれてありがとう。


 あなたにとって、私は子ではないけれど。私にとって、紛れもなくあなたはお母様でした。


 私がそう伝えると、お母様はやっぱり笑って。それからゆっくりとその大きな瞳を閉じた。


 雨はまだ振り続けている。最後くらい、空を見ていて欲しかったと心の底から思った私は、思わず天を睨みつけた。


 すると、私たちの真上には雲なんてひとつも無く、ただ虚空から雨が降り注いでいた。まるでそれは、狐の嫁入りのようで。


「こんなところで。あらあら、ちいさな蚕ちゃんやねぇ。うちとお揃いの綺麗な白。気に入ったわ、うちの尾っぽ、一本分けてあげるさかい。せやから起きや、うちがあんたを救ったる。」


 急にやってきた狐が、お母様の体ごと私を持ち上げた。そうしてふっと息を吹きかけ、お母様の体は大きくなって人型へと作り変わる。


 そのついでに、私も少しばかりの力を分けてもらったようだ。お母様よりかは小さいが、私も人型にしてもらった。


「お口無いのは寂しいなぁ。せや!このマフラーつけや〜!」


 そう言って狐は、絹の白いマフラーをお母様へ手渡した。お母様はそれを悲しげに見つめて、くるくると器用に首に巻き付けて口元を隠す。


 大きなクリクリの目と二本の触覚は据え置きで、目を奪われるほど美しいお母様は、それから慈しむように私を抱いた。


「あ〜。そっちのキノコちゃんは喋れるっぽいなぁ。じゃあ、うちのお願い聞いてくれる?」


 お母様の温かさを身に染み込ませながら、私は覚悟を決めて狐に視線を向けた。


 そうしてお母様の腕からそっと降りて、報いきれぬほどの大恩を持つ狐に跪く。絶対の服従を、あるいは伝えきれぬほどの感謝を表現して。


「なんなりとどうぞ。私に出来ることであれば。」


「乗り気やねぇ!じゃあ、人間滅ぼそ〜思てんねんけど。手伝ってくれる?」


「願ってもないことです。ぜひ、お任せ下さい。」


 お母様の雪辱は、私が晴らす。たとえお母様が人間を恨んでいなくとも、私は人間がお母様たちにしたことを許せない。


 人間がどれだけ自分勝手か、お母様の心がどれだけ引き裂かれたか。誰よりも知っているこの私が、教えてやる。痛みを、そのままそっくり返してやる。


「うちが今日からあんたらの神様や。まずは...名前やな!じゃあ蚕ちゃんの方は白いし...白母(はくも)ちゃん!キノコちゃんの方は、やっぱ白いし白茸(しろたけ)ちゃん!なんか...こう見るとほんとに親子みたいやねぇ。」


 お母様は名前をつけて貰えたのが嬉しいのか、パタパタと触覚を動かして私の手を握った。そんな可愛らしい挙動が、私にはとても愛しいものに思えた。


 それからひとつ、私はお母様と命が繋がっていた影響か、触れればお母様の思いが分かるようになっていた。


「....お母様?悲しいの?」


 お母様の心は、悲しみに満ちている。それは命を長らえさせ、人の形を得ても変わらない。


 喋れない。空を飛べない。これら二つのことが、どうしてもお母様を蝕み続けるのだ。人間から奪われた傷跡が、今もまだ生のまま横たわっている。


「全部....全部殺そう?そうすればきっと、お母様も空を飛べるよ!人間なんて、私が全員殺すから!だから!だから....。そんな悲しい顔、しないでよ......。」


 私は嫌いだ。奪うことしか出来ない自分が、何一つお母様に分けてあげられない自分が。


 だから私はせめて、殺し続けるしかない。お母様を蝕むもの全て、お母様に悲しみを思い起こさせるもの全て。私が壊す。


「行こ!お母様っ!これからの人生、楽しいが沢山待ってるよ!」


 私はお母様の手を取って、狐について行った。少なくとも、あの雨の中で私だけがお母様の屍の上で生き続けるなんて、耐えられなかったから。


 雨は上がり、天には青く深い空が広がっていた。その空は、いつもよりずっと低く思えて。私は今なら、掴める気がした。翼がなくても、飛ぶことが出来なくても。空はきっと、私たちの近くにある。


 ただ私は、お母様の顔を見ることが出来なかった。優しいお母様は、人間を殺すことなんて望んじゃいないだろうことが、分かってしまっていたから。


 でもしょうがないじゃないか。奪ったのは人間だ。傷つけたのは人間だ。お母様にヒビを入れたのは人間だ。そうしてお母様を救えなかったのは、私だ。


 汚れるのは私だけでいい。ドブのような返り血で、全身を朱色に染めるのは私だけでいい。お母様は白いまま、何も知らぬ優しいままで居てさえくれればそれでいい。


 それが私に出来る、唯一の親孝行なのだから。

白茸(しろたけ)は冬虫夏草のもののけです。


白母(はくも)が生殖能力を失ったため、家畜としての機能を果たせず人間が外に放り投げたところに寄生しました。


白茸(しろたけ)はこれを白母(はくも)が脱出したと考えて居ますが、実際には捨てられただけなので彼女が独力で逃げ出した訳では無いです。

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