続・大縄迷宮(十七)
大きく開かれた口腔が、毒を滴らせた牙を携えてこちらへと向かう。それに対して僕は、足を強く踏み込んで突撃の用意を済ませる。
振り絞られた矢のように、鋭く狙いを定めて迫る頭を今か今かと待つ。そうして確実に、正確に脳天を貫くため呼吸を整えた。
《隕石は使わないのかい?あれを使えば、突撃なんてしなくても良くなると思うんだけど。》
愚問だな。真っ向勝負を避け、澱んだ勝利を勝ち得たとしても、それが一体何になるというのか。
それは勝利であって、敗北でもある。命を拾う代わりに誇りを失う、諸刃の剣。そんなものを僕は望んじゃいない。
過去を清算し、己の弱さを改める真の勝利。僕はこの白蛇だけでなく、己にも勝利しなければならないのだ。
それこそが完璧な勝利。言ってしまえばこれは儀式にほかならない。僕という一人の人間を完成させるための、決闘という神聖な儀式。
《ふーん。ま、そういうものか。キミがそう言うのなら口出しはしないけどね。くれぐれも、死なないでくれよ》
心底興味が無さそうに、彼女はそう言って僕の奥深くへと消えていった。そして、正真正銘この場には僕と白蛇しか居ない、二人の世界が出来上がる。
それから僕は、勢いよく地面を蹴って白蛇の頭へと空を直進した。金色の焔とボロボロの翼、それから蹴りで得た推進力は迷うことなく、一点を突き穿つため進む。
牙を砕き割り、口内を炙りながらも、ただ一つの景色のため奥へ奥へ向かう。口が閉じられたのか視界は闇に沈み、光源は自らの焔だけ。
毒液と肉に押しつぶされ、何度も飲み込まれてしまいそうになる。けれど僕は抗うことを決して止めず、先へ駆けた。
誰しもが諦め、そうして捨て去っていった理想。その先にある、光の中へ。
「諦め.....ない!!!絵空事だろうと!理想論だろうと!!!僕はそれを、捨てたりなんかしない!!!!」
肉を掻き分け、僕は鱗の内側にぶち当たった。これさえ破れば、光に届く。そう、確信にも似た希望を持って僕は焔を強める。
(あぁ。そうか。僕が救いたかったものは、結局僕自身だったんだ。)
唐突に、こんな思いが頭をよぎった。何のために僕は戦うのか。誰のために僕は戦うのか。
仲間のためか?家族のためか?どちらも正確な答えでは無い。では、つまるところ何なのか。その答えは、僕のためだ。
他の誰のためでもない。僕が寂しいんだ。人しか居ない世界も、もののけしかいない世界も、きっとどっちも喪失感に溢れている。
仲間を守りたいと思うのも、家族が大事だと思うのも。どっちも根本にあったのは寂しさだ。
一人で死んでいく、冷たい夜を知っている。
誰にも看取られることは無く、咽び泣いても誰も耳を貸してくれない悲しさを知っている。
そこに愛はなく、誰も自分を見てくれない孤独を、僕は知っている。
寂しさは嫌いだ。だから、誰も取りこぼしたくない。最後まで関わっていたい。人とも、もののけとも。
少し、後ろ向きなのかもしれない。けれど、それでもいいと思えた。だって、この寂しさも僕の一部だから。
(大事にしたいと、思えるようになったんだ!!!みんながいたから!!!みんなとの時間が楽しかったから!!!!)
暗闇の荒野を、ただ真っ直ぐに進み続ける。宛はなく、光はなく。それでもたった一つの、暖かい光へ向かって。
少年は、ずっと温みを望んでいた。親に恵まれず、冷たい日常を繰り返して、彼の心は野性に置かれるしか無かった。
だが、彼は選んだ。進むことを、他者の手を取りこぼさずに共に歩んでいくことを。
酷く強欲で、あまりにも愚かなその一歩。寂しさから赤子のように手を伸ばし、決して離そうとしない姿に。
(茶釜...よもや、ここまで....見越してか。)
白き蛇は、微笑んだ。
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光が視界を包む。それは僕の身から溢れ出る焔ではなく、勝利を告げる解放の光。
僕は勢いを落とさぬまま、白蛇を突き破って天井へと激突した。その痛みに頭を悶えさせながら、ぶつかったせいで翼が解除され、地面に突き落とされる衝撃でまたもや悶絶してしまう。
しばらく痛みに意識を奪われていた後、僕は恐る恐る白蛇の方へと視線を向けた。
すると僕の視線の先には、下顎から上の部分が完全に消し飛ばされている白蛇の頭がどさりと横たわっていた。
僕は自らの勝利を知って、思わず肩から一気に力が抜けていってしまう。沈み込むように地べたに倒れ、そのまま天井を見上げて大きく息を吸う。
「勝っ........た!勝ったぞ.....!!」
腕を上へ突き出して、強く拳を握る。歓喜が胸の内からとめどなく押し寄せてきて、僕はしばらくその場に倒れ続けた。
「お疲れ様、ようやったなぁ。ご主人様!」
幻聴だろうか。ここには誰もいないはずなのに、後ろから刑部の声が聞こえたような気がした。ただし僕は疲れから、首を動かすことさえままならない状態だった。
故に彼女がここにいるのか確かめる術を持たず、どうしたらいいものかと迷っていると、急に僕の頭が軽く持ち上げられる。
「膝枕。好きやったでしょ?ちっちゃい頃よくしてあげたもんなぁ。お耳、真っ赤やねぇ。」
クスクスと笑い、僕の頬を優しく撫でる刑部がそこにはいた。それを裏づけるように、柔らかい熱が僕の後頭部を包む。
「....あれ。ここには一人しか入れないんじゃ...?」
「それは大縄様の術式、『土室託綱』。縛りを設けてそれを自他ともに強制する術式なんよぉ。そんで大縄様が亡くなったから、術式が解除されたって感じかなぁ。」
説明をしながら、刑部は着物の上からでも分かる大きな二つの丘をたゆんと揺らす。僕はそれに赤面し続けていたので、話をほとんど聞くことが出来なかった。
僕はそれを誤魔化すために、なんとか話を変えようと別の話題を切り出す。
「そ、そういえば!みんなはまだ上にいるの?刑部だけで来たって感じ...?」
その時ピタッと、刑部の僕を撫でる手が動きを止めた。そうして何かを戸惑うように刑部は一瞬口篭り、それから少ししてやっと、彼女は話を切り出し始めた。
「うち....。ううん。私ね、春水に謝らなきゃいけないことがあるの。」
今の刑部は、いつもの大人びた雰囲気とは全く違う雰囲気を纏っている。弱々しくて幼い、そんな普段の彼女からは想像もできない雰囲気を。
「僕も...刑部に聞きたいことがあった。ずっと怖くて、聞けなかったこと。先に、聞いてもいいかな。」
刑部は無言で、再び僕を撫で始める。その沈黙は、紛れもない肯定だった。その肯定を受け取って、僕は彼女に問いかける。
「刑部は、何のために僕に神を堕ろしたの。人への....復讐のため?」
「違っ....!っ.....。ごめん、そうかもしれない。完全に、否定はできない....。」
「いい。ここで正直に答えてくれただけ、僕は嬉しいよ。それで、刑部が謝りたいことって?」
刑部は僕の体を持ち上げて、膝立ちさせるような体制に変える。それから僕の両肩に手をかけて、刑部はボロボロと涙を零して謝り始めた。
「ごめんなさい....。ごめんなさい....!私、お姉ちゃんに会いたくて....!あなたを利用してしまった...!神様の力があれば、お姉ちゃんが会いに来てくれるかもって!そう思って利用し続けた!」
ずっと溜め込んできたものを吐き出すみたいに、刑部は言葉を涙とともに外へ押し出す。
今の彼女がきっと、僕が神を堕ろされた時に見た、彼女の懺悔の正体なのだろう。罪悪感。自分の願いを身勝手に押付けたという、罪の意識。
「あなたを巻き込んだ!辛い戦いに...!苛まれなくてもいい苦しみに!私は....!私のせいであなたは...!それなのに、それでも私はまだ...お姉ちゃんに会いたい....!」
頭を深く傾け地面に水滴を垂らす彼女は、なんの力も身よりもない、紛れもなくただの少女だった。
その幼さを、弱さを。僕は不覚にも、尊いと思ってしまった。姉を想う気持ちも、僕に謝りたい気持ちも、どちらも本物であるからこそ。
「許すよ、全部。僕は今までたくさん、刑部に救われてきたしね。それに、この力があったから、僕はみんなと出会えたんだ。だから、もう自分を責めないで。刑部。」
僕は彼女の首へと手を回し、軽く抱きしめた。小さかった頃、よく彼女がしてくれたように。優しく。
「うっ.....!ごめん.....ごめんなさい.....!春水...!!しゅんすい......!!!」
僕の背中を強く握りしめ、刑部はわんわん泣きじゃくった。僕はそんな彼女の頭をポンポンと撫でながら、辺りに木霊する泣き声にひたすら耳を傾けていた。




