続・大縄迷宮(十四)
子供が蟻を笑って踏み潰すように。異国の神が正しさで人を虐殺するように。無垢なものとは得てして残虐なものだ。
そうしてそれは、獣に近い在り方をしている少年も例外では無い。
星の神は、白き蛇は、ここで彼の本当の恐ろしさを刮目することとなる。剥き出しの野生。どこまでも弱肉強食な、自然の嬰児。その本性を。
爪で引き裂き、牙で喉笛に喰らいつき、確実に相手の生命を終わらせる。それはまるで、獰猛な狼のようで。
彼は根本から、もうかけ違えてしまっている。人間社会。いや、動物社会ですら彼の本性は受け入れられることがない。
二度目の人生は、彼に知識を与えた。道徳を与えた。倫理を与えた。人を知り、獣を知って、彼は人間として正しき心を手に入れたのだ。
だが、それは上辺の話。心象風景がそうであるように、彼の魂は未だ森に囚われたまま。
野性は彼をより強く仕立て上げる。仲間を守れと、決して奪われてなるものかと。そして、敵は喰らえと。
育ての狼から教わった、生きるための術。それが今、一度目の命が終わり、二度目の人生に至ってようやく完全に開花した。
今の状況を一言で表すとするなら、それは狩りだ。狼が蛇を狩っている。酷く矮小で細い体に、ギラギラと血の滴る牙が突き刺さる。
「待て!話を聞け!君は次代を担う選ばれたも....!!!」
捕食者は狩の最中、被捕食者の喚きに耳を貸すだろうか。否、断じて否だ。彼の母狼はそう教えていない。ならば、彼女は彼にどう教えたのか。
『叫ぶ相手には、さらに激しく責め立てろ。鳴き声が聞こえなくなるまで貪り尽くせ。』
野生動物として、満点の回答だろう。しかしそれを、白蛇は許容しない。白蛇もまた、確固たる己を持っているのだから。
「君はっ!!!!天津甕星の器だろう?!全てのもののけを背負って立つ王になるべき存在だ!!そんな者が!!何故こうも責務を投げ捨てられる?!強さの責任を!!力に見合った救済を行うべきだろう!!!!」
白蛇の叫びは、普段の彼が聞いていれば心動かされる慟哭であったのかもしれない。けれど今の彼は、それを一笑に付すことさえしなかった。
白蛇が怒りを顕にしているこの瞬間でさえ、彼は白蛇の鱗を剥がし肉を抉っている。一切の攻撃を僅かな身動ぎで回避し、機械的に相手を殺すために最短の挙動を行う。
自然に身を委ねることの心地良さはあれど、戦いの愉悦は無い。彼が人間の形をとっていることは、誰の目から見ても酷く歪に映ること間違いなかった。
この歪さが、母狼を彼の魂に結びつけた原因でもある。
彼女は実の子を失い、人の子を拾った。そうして育てていくうちに、彼女は人の子に影響された。皮肉にも、彼女の子は彼女の野性に影響されたにも関わらずだ。
彼女は人の子の身を案じた。このままでは人間社会に受け入れられるはずがないと。このままでは彼が心を壊してしまうのではないかと。
その親心が、魂の結合を招いたのだ。彼女は死して神となり、子を守るため様々な相違工夫を凝らした。
時には外なる神と契約を結び、時には幻影として化けて出てみたり。その苦労が功を奏してか、彼は一般の人間性を手に入れることが出来た。
けれど一度染み付いた魂は変わることがない。母狼はそれを悲しく、そして同時に嬉しく思った。
安堵に近いのかもしれない。所詮は彼女も森に生きた狼。彼女は彼を見て、不覚にもこう思ってしまった。強いことは、いいことだ。
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鱗を剥がし、肉を露出させたまではいい。されどあと一手、足りない。
刀がないため決め手に欠ける。ならばどうすればいいのか。決まってる、現地調達すればいい。
僕は口を大きく開けた白蛇へと跳躍し、顎を蹴り砕く。そうしてだらりと開かれた口腔へと思いっきり打撃を加え、生えていた鋭い牙をへし折った。
それを奪い、悶え苦しむ白蛇の体を引き裂きながら地面へ滑り落ちる。内蔵がぼろぼろこぼれ、長い腸があられもなく露出した。
「あ....あぁ......。ああああああぁああああ......。」
白蛇はもう、みっともなく喚くことさえしなくなった。おそらく、相手の頭の中は恐怖でいっぱいなのだろう。
無理もない。狩られる獲物というのは、いつだってああなる運命だ。自分が狩る立場にいると長年思っていたものだから、なおのこと始末は悪いが。
僕は無感動に、腸を綱引きのごとく引きずり出した。ビクンビクンと痙攣する軽くなった白蛇は、最期に何か言い残そうとして、何も言えずに死んでいった。
呆気ない終わりだ。僕はこんなもののために。こんなものの、ために?
《おーい!聞こえてる?今キミの脳内に直接語りかけてるんだよ〜って!おーい!》
(あれ、今まで僕は何してた。気を失って、目覚めて。それで?え?声が....聞こえる?)
《やっと気づいた!キミねぇ...暴れすぎだよ!もっと思慮分別をつけないと....って、え?》
困惑で状況がよく飲み込めない。手に付いている血、足元に転がっている大きな腸。これを、もしかして僕がやったのか。
意味が分からない。だが記憶として、しっかり僕の脳内には先程の光景が鮮明に刻まれている。
僕は自分が、途端に恐ろしい化け物に思えてきてならなかった。制御の効かない、暴れるだけの殺戮の化身。
それが僕なのかと思うと、酷く心が痛んだ。いくら恨んでいた白蛇とはいえ、あんなに無感動に、無慈悲に殺してしまうなんて。
《あの〜大変言いづらいんだけど....。後ろ、すごいことになってるよ。》
そう言われて、僕はゆっくりと後ろを振り返った。すると次の瞬間、僕ははるか後方へとしっぽで弾き飛ばされる。
「この姿を見せるのは久方すぎてね。....どうやら落ち着いたみたいでよかったよ。それじゃあ、話の続きといこうか。」
八本の首を携えた、最早蛇と呼ぶにはあまりに異形すぎる白蛇だったものが、そこにはいた。
「繰り返し言うが、君は神の器だ。君には全てのもののけを率い、種を続けさせる義務がある。そのために、私程度乗り越えることができないのであれば、話にならないよ?」
地面に激突し、痛んだ体をゆっくり起き上がらせる。さっきから混乱しっぱなしだったのに、状況が二転三転しすぎてさらに情報が混濁する。
「義務....?力を与えられたから、ってこと....?」
「違う。君がそう望んだからさ。だから現に、こうやって五年も未練を引き摺って仲間を助けに来ただろう?もののけの仲間をね。」
イマイチ会話の要領が掴めない。どうやら、僕が理解出来ていないのを向こうも察したようで、白蛇だったものは続いて言葉を付け足した。
「今、地上は戦火に包まれている。もののけたちの恨みの火だ。彼らは今か今かとこの日を待ちわび、そしてやっと復讐の機会を得た。もののけたちの、人間へ向けた大戦争が始まったのさ。」
「滅びるか、それとも滅ぼすか。その鍵を握るのは、他の誰でもない君だ。さぁ、まつろわぬ神。もののけの神の器よ。君は勿論、仲間を見捨てたりしないだろう?」
嫌らしい八本の舌をチロチロと動かし、確信を持ってそう尋ねてくる。それは暗に、僕に向かって人間を捨てろと言っていることに他ならなかった。
「僕は...........。」




