続・大縄迷宮(十一)
歯で刀を噛み砕き、ウサギ跳びのような体勢から頭突きを相手の鳩尾へと繰り出す。それによって春水は後方へと押し出され、突然の攻撃に一瞬怯む。
「『蝸牛被』!『葦刈鉈』!」
それと同時に二つの術式を発動させ、三半規管の機能と足の機能を奪う。これにより、彼はもうこの場所から一歩たりとも動くことはできなくなった。
だがまだ足りない。今ボクの目の前にいる男は紛うことなき神の器。この程度の困難、彼はなんでもないように越えてくるだろう。
だったら彼が越えれなくなるまで、ボクは奪い続ける。大事なもの、そうでないもの。好きな物、嫌いなもの。全て。全て奪う。
「『嘯水衣』!『地枯鎌酸実』!『溺三日月』!」
血液と水分、それから空気中の酸素を少し強奪。これらの術式はどれも強力なものでは無いが、されど積み重ねれば十分に人を殺し得る武器となる。
ボクは血液約二リットル、水分約一リットルの量を春水から奪い去った。それに加えてここら一体の酸素濃度は平地の三分の二ほど。
はっきり言って地味だろう。それぞれ一つを取って見れば、多少目眩を起こすかもしれないぐらいの代物でしかない。
ではこれら三つを喰らい、尚且つ三半規管と足が機能しないとどうなるのか。答えは単純、春水は見るからに顔色が悪くなり、もはや立っているだけでやっとという状態になった。
「『仏鋏』!『勇魚腑』!『薪割戦斧』!『焼失頁』!」
希望を、勇気を、戦う意志を。そして何より、大切であろう記憶を。ボクは奪った。だが術式を使ったのにも関わらず、ボクの胸のどこかにふと違和感が湧いて出た。それを確かめようとする前に、春水はボクへ闘志の燃え盛る瞳を見せる。
「奪えると思うか?心に刻まれた思い出を、日々を!奪えると、本気で思っているのか!!」
見誤っていた。そうだ、彼にも背負っているものがキチンとある。彼の背中には、ボクに負けないくらいの重さをした荷物が、大量に乗っかっている。
(奪えるわけ…無いナ。ボクだってきっとそうだかラ。)
「もうイイ。小手先の小細工は終わりダ。『換骨奪胎』」
術式は基本、一人につき一つ。されどその枷から外れた彼女には、とある奇跡が起こる。
それは術式の融合。溶け合い、混じり、そうして調和した。シニカ本来の術式である『換骨』と、奪って手に入れた『奪胎』。それらがお互いの特性を完璧に引き上げる形で昇華し、一つの形を成した。
能力は至ってシンプル。術式と肉体を強奪し、それらの自由な出し入れができるというもの。そして奪った肉体に刻まれた技術や、特殊技能でさえ出し入れが自由。
つまりこの時点においてシニカは、死の間際に少し奪ったとある大男の技術と肉が使用可能となっている。
(使うヨ、キンニク。血と骨と肉と、それからあなたの技。)
両腕を再生。いつもの自分の腕と見た目は変わらないが、それでもどこか自分のものでは無い熱が備わっていたような気がした。
「『不動・火界咒』こっちも最高火力で行く...!打ち込んで来い!今度こそ、これで最後だ!!」
見たところ、時間制限付きで過剰に火力を底上げする技だろう。このタイプはのらりくらりと効果時間を過ごしていれば、大した脅威にならないはずだ。
けれど、あの大男ならそうするだろうか。フラフラになってまだ、こちらをギラギラ睨めつけてくる戦士に。そんなことをするだろうか。
否。絶対にしない。ありえない。
(うン...。あいつなら、きっとこうする。)
拳を構え、渾身のストレートをかます準備を整える。呼吸は深く、腰を据えてしっかり踏み込む。全部全部、あいつがやっていたことだ。
カタカタと、拳が小刻みに動く。怖い。ここで負けたらどうしよう。みんなの思いが無駄になる。怖い、怖い、怖い。
深くしていたはずの呼吸が乱れ、汗が止まらなくなる。それから耳鳴りがどんどんと大きくなっていき、ボクはもう限界に達しそうになっていた。
(諦めちゃダメですよ、まだ勝てます。シニカ。)
その時、ボクの後ろにはメガネが立っていた。そうして次々と、もういるはずのない、灰に帰ってしまった彼らが姿を現し出す。
(デュフフ。シニカ殿...ファイト!ですぞぉ!)
(若いってのはいいねぇ。ひぇひぇっ!肩の力は抜いときなぁ、シニカちゃん。)
(おい!負けんじゃねえぞ!信じてっかんな!シニカ!)
(((((頑張れ!シニカ!頑張れ!!!シニカ!)))))
きっとこれは幻覚だ。ボクだけが見てる、ただの幻。だけど、どうしてだろう。ボクはこの幻覚たちを、どうしても否定したくない。
満を持して、最後に一人の幻影が現れる。大きな体に嫌味のない笑顔、引き締まった筋肉に、キラリと光る白い歯。
(シニカ、お前なら...やれる!)
ボクの背中を叩き、一歩分だけ前へ押し出す。もう震えは無い、恐怖は無い。今はただ、この背中の衝撃が心地いい。
(ありがとう....。ありがとう、ありがとう、ありがとう!!みんな、ボクは。みんなのことが大好きダ!!)
「はあああああああああああああああああああああああああああああア!!!!!!!!」
みんなの想いを乗せた、渾身の一撃が春水の腹へめり込んだ。春水は吹き飛ばず、地面に足を強く踏みしめながら耐えている。
(焦るな、シニカ。相手も限界のはずだ、こっちも踏み込め!力を緩めるな!俺がまた、背中を押してやる!)
「グッ.....!カハッ...!」
押し込める。このまま、拳をめり込ませ続ければ勝てる!良かった、みんなの想いは無駄じゃなかったって。証明できるんだ!
次の瞬間、ボクは地面に崩れ落ちた。あまりの出来事にボクは何が起きたのか全く分からず、ただ自分の足に目をやる。
「術式の過剰使用。それだけの力を使えば、当然体の方が持たない。敗因は自滅だよ。」
視線の先には、もう灰になって消えたボクの足の残滓があった。そこでボクは初めて、自分の敗北を悟って涙を流す。
「みんな....みんな.....。ごめん....。ごめんネ......。何も、何も残してあげられ無かっタ。ごめん.....。ごめん.....。」
(いいんだ。お前はよく頑張ったさ。それに、全くの無駄ってわけじゃねえらしいぞ。見てみろ、シニカ。)
そう言って、彼は春水のむき出しになった肩へと指を指した。そこには、灰色の痣ができている。それはまるで、この場所に咲いていた花のようで。
「強かった。今まで戦ってきた中で、一番強い拳だった。僕は君を、一生忘れることは無いよ。」
(だとよ。お前はもう十分頑張った。だからもう休め、おやすみだ。シニカ。)
涙が止まらない。奪うだけだったボクが、妬むだけだったボクが。こんな結末を迎えていいんだろうか。こんなにも幸せで、いいんだろうか。
「あぁ...。おやすみなさイ。もう、会えないと思ってタ。でもこうして、おやすみを言えテ......良かったナ。」
最期はとびきりの笑顔で、嫌味のない笑顔で。
命は巡り、花の下へ埋まって新たな芽を出させる。そんな循環が、ずっと嫌いだった。でも、今はそうでも無いらしい。
ボクの灰で、どんな色の花が咲くんだろう。どんな形の花が咲くんだろう。
ボクはそれを知ることができないけれど、それでもいいと思えた。それぐらい、幸せだったから。
「....逝ったか....。はぁ〜強かった。もう体ボロボロじゃん。ちょっとだけ休んでこ。ん?こんなとこにも花って咲くんだ!えぇ〜、綺麗。白くて可愛いや、なんだろこれ。かすみ草かなぁ...。」
・『蝸牛被』
三半規管を奪う術式です。元の使用者はフラフラ。生まれつき三半規管が弱く、ぐるぐる目をしていた少女だったことからこの名前が着きました。
・『葦刈鉈』
足の感覚を奪う術式です。元の使用者はチビ。事故で足を失って死んでしまい、足を奪ってもなお身長が小さいことからこの名前になりました。
・『嘯水衣』
血を奪う術式です。元の使用者はヒンケツ。常に貧血でガリガリだったことから、この名前に決まりました。
・『地枯鎌酸実』
水分を奪う術式です。元の使用者はカサカサ。肌が常に乾燥していることから、この名前に選ばれました。
・『溺三日月』
酸素を奪う術式です。元の使用者はクソガキ。名前の経緯とは別に、人間だった頃に溺死したことからこの術式を持つようになりました。
・『仏鋏』
希望を奪う術式です。元の使用者はアクニン。なんか蜘蛛の糸を登っている途中で下の亡者共を蹴り落としそうな顔をしているので、この名前に選抜されました。
・『勇魚腑』
勇気を奪う術式です。元の使用者はビビリ。一人で夜トイレに行けないことから、この名前がちょうどいいということになりました。
・『薪割戦斧』
闘志を奪う術式です。元の使用者はコシヌケ。強そうな大きい斧を持っていたのに、それを薪割りにしか使わなかったことからこの名前がピッタリだと言われていました。
・『焼失頁』
思い出を奪う術式です。元の使用者はマッサラ。思い出も過去の話も何も覚えていないということだったので、この名前にしようという話になりました。
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『灰被りの呪刻』
それは祝福でもあり、また呪いでもある。なんの効果も持たず、なんの害もないただの痣。だが、それは確かに刻まれた。そこに何者かがいたと、決して消え去るだけではないと。そう声高に、灰たちは唄う。
忘れじの唄を。花園が枯果てる程の時間を孤独に過ごした灰被りの少女を労うように、その唄は奏でられる。
おやすみ。おやすみ。おやすみ。全ての妬む魂へ、全ての羨む魂へ。これは灰たちの鎮魂歌。どうかその唄の先に、安らかな眠りがあらんことを。




