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百鬼夜行と踊る神  作者: 蠣崎 湊太
青年編
84/235

死に花を、眠りに灰を。

 

 世界はお花畑。あちこちに咲き誇っている他人の花を、ボクはただ指をくわえて見ていることだけしかできない。


 ああ、なんて妬ましい。なんて羨ましい。あれも、これも。どれもボクが持っていないものばかりだ。


 他者への渇望。彼らを彩るもの全てへの、憧れの視線。欲しい。欲しい。欲しい。これがボクの原点だった。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「よぉ!ハッピーだったか?お前の人生は!」


 カビが生えているような獄中で、ボクは産まれた。それは人間としての生ではなく、悪霊としての二度目の人生。


 そんなボクを見て、今目の前にいる大男は豪快に笑った。嫌味がなく、それが逆に嫌味に見えてしまうような笑顔だ。


「ま、未練が無けりゃ悪霊になんかならねぇってか!...そう睨むんじゃねぇ、とりあえず着いてこいよ。歓迎するぜ?」


 大男はボクに有無を言わせず、勝手に牢屋の鉄格子をぶち破り、ボクを肩に担いでそのまま堂々と外へ出る。


 それから彼は途中にいた看守たちを腕力だけでねじ伏せ、強引に空の元へと脱出した。そうして少しの距離を歩き、彼はある迷宮へと進んでいく。


「そろそろ離しテ!イヤー!離セ!コノッ!バカアホマヌケ!」


「ポカポカ殴んじゃねぇよ!地味に痛ぇし...。つーか、ほら着いたぞ!大縄迷宮、第四層。見ての通り、花畑だ!」


 広がっている満開の花々。赤青黄色が咲き乱れる、天国と見紛うほどに綺麗な景色。そんな素晴らしい光景が、ここには広がっていた。


「新顔ですか。どこで拾ってきたんです?その子。」


「おうメガネ!こいつ、牢屋の中にいたんだぜ?マジ笑えるだろ。」


 本を持ち、いかにも文学少年といった風体のメガネの男が近くに寄ってくる。それを皮切りに、続いて多くの悪霊たちがボクの元へと押し寄せた。


「ひぇっひぇっひぇ。結構可愛いじゃないの、この子。名前は?もうつけたのかい?」


「デュフフフフ。いやぁ本当に可愛らしいですなぁ。拙者、もう興奮が止まりませぬぞぉ!!」


「デブ!押すなよ見えねーだろっ!んで、どこだよその新入りは...こいつか!ちっちゃ!!」


「髪........いいなぁ....。」


 老婆にデブにクソガキに、最期はハゲ。その他にも沢山の悪霊の群れが、ボクを興味深そうな目線でジロジロと見つめてくる。


 その群れの勢いを止めたのは、意外にもあの大男だった。大男は手に木製のジョッキを持ち、黄金色の液体を溢れんばかりに揺らしながら大きな声で口上を上げる。


「お前らァ!久しぶりの新顔だ!めでたいよなぁ?めでたいだろォ?!そんじゃあ!今日という良き日に、乾杯といこうじゃねェの!」


 地面に咲く花々に負けじと、悪霊たちもその表情に笑顔を咲かせる。彼らはボクを歓迎しているようで、その実ただ盛り上がりたいだけに見えたが、それでもボクはなんだか嬉しかった。


 大男からジョッキが渡され、ボクは少し驚きながらもそれを受け取る。すると大男は心底嬉しそうに、ボクの肩へと手を回してガッチリと肩を組んできた。


「新顔!ここが気に入ったってんなら、お前の名前を決めなきゃなんねぇな!お前らァ!!案のあるやつはいるか?!」


「メカクレ」


「ヒンニュー」


「イロジロ」


「全員却下だァ!!」


 ゴチンと大男が三つのたんこぶを作り、殴られた他三人は悪戯っぽく笑って遠くへと退散して行ってしまう。


 その後、今度は割とマトモそうな顔ぶれでの話し合いが始まったが、ボクはいまいちしっくり来る自分の名前を決めれずにいた。


「ふむ。難しいですね。僕はメガネをつけているからメガネですが、いまいち彼女には特徴がない。あなたはどう見ます?キンニク。」


「俺か!俺は....。うーむ、わからん!」


 大男の名前はキンニクと言うらしい。確かに、傍目から見ても彼がキンニクだということは分かる。


「ひぇっひぇ。この子、髪に花びらなんてつけてるねぇ。花...。死の花....。いや、もう死んでるから死に花かねぇ...?」


「デュフ!ババア殿、シニバナでは些か呼びずらいのでは?」


 その瞬間、大男改めキンニクがハッとした表情を見せた。そうして彼は花をかき分け、地面に棒で『シニカ』と三文字を記す。


「死に花で、シニカ。どうだ?!いい名前だろう?シニカ!」


「シニカ...。まあ、悪くはないかナ...。良くもないケド...。」


 ボクはその書かれた文字を、穴が空くほど見つめていた。地面に書かれたはずなのに、心にも刻まれたような。そんな、下手くそな筆跡だった。


 それから、ボクは数えるのも飽きてしまうような年月を彼らと共にこの花園で過ごした。遊んだり、騒いだり、歌ったり。他者への渇望なんて忘れてしまうくらい、楽しい楽しい日々。


 その中でも、ボクは外に出て新たな同胞を探す旅をするのが一番好きだった。海に山に森。新しい綺麗なものを見るのは、胸がすくような気持ちでいっぱいになる。


 結局、ボクの後に新顔は見つからなかったけれど、それでもボクは満足だった。けれど、満ち足りているものは、いつか壊れてしまう運命にあるものだ。


「そんな顔しないでくださいよ...。僕は眠るだけです...。全ての知識が欲しい。そんな僕の夢は叶わなかった。でもいいんです。あなたたちとの日々が、楽しかったから。それで、もういいんです。」


 悪霊と言えど、その命は不滅じゃない。この花園でも結構な古株だったメガネは、下半身を灰に帰してゆっくりと崩壊を迎えていた。


「何も残せない、我が同胞よ。お前ら、ジョッキは持ったかァ!!!メガネ!!どうか、安らかに!!!」


「「「「「安らかに!!!!」」」」」


 何か塩味の混ざった黄金を、みんながグイッと飲み干す。それを見たメガネは目を閉じて、手に持っていた本のページをパタンと閉じた。


 そんな消えていくだけの彼の手を、ボクは握らずにはいられなかった。昏い所へ行く彼に、覚めない眠りにつく彼に。少しでも、温みがあって欲しかったから。


「『換骨(かんこつ)』メガネの夢は、ボクが継ぐよ。だから安心して、おやすみ。メガネ。」


「あぁあ...。そうですか。良かった、本当に...良かった。シニカ。ありがとう。」


 最期まで満足そうな顔をして、メガネは灰になった。命は巡り、花の下へ埋まって新たな芽を出させる。そんな循環を、初めてボクは憎いと思った。


「え?シニカ、なにそれ?お前の術式?え、うおおおおおおお!!!!マジかお前!!いや、もっと早く言えよォ!!!」


「え、ごめん。ボクの術式、言ってなかったッケ。『換骨(かんこつ)』って言ってネ、術式を奪える術式なんだヨ。」


 刹那、静寂が空間を支配する。そうして静けさが当たりを包んだ数秒後、先刻までの空気が嘘だったかのように、みんなは大歓声を上げた。


「すっげぇ!!シニカ、お前すげえよマジで!これで、俺らにも意味が生まれるってもんよ!」


 その時、ボクはキンニクが何を言っているのか全く分からなかった。けれどしばらくして、ボクはこの言葉の意味を嫌という程噛み締めさせられることになる。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 メガネの死から数十年後、あれだけ元気だった同胞たちも随分頭数を減らした。それでもみんなは悲しむことなく、死の間際ではボクに向かって笑顔を作る。


 それが酷く嫌で、苦しくて。ボクは自分の力を呪った。あれだけ懸命に生きていた彼らが、ボクのせいで荷物を下ろしたように死んでいく。繋いでいけると、笑って死んでいく。


 ボクは醜い盗人だ。魂の軌跡も、生きた証も、命でさえも。ボクが奪ってしまう。


「シニカ。俺たちゃ、奪い合うように出来てるんだ。それは人だって、もののけだって変わりゃしねぇのさ。その分、お前の力は優しいよ。奪うだけじゃなく、そいつの魂まで背負ってやってんだからよ。」


「でも、ボクがいなけれバ...。ボクのせいで、みんなガ...。痛ッ!」


 急に一発、頭をぶん殴られた。ボクは唐突な痛みに混乱し、何が起こったのか分からずにただ頭を抑えた。


「ナマ言ってんじゃねぇ!いいかシニカ、お前は俺たちの希望だ。灰になって消えるだけの俺たちでも、お前がいるから安心できるんだ。無駄じゃねぇって思えるから、今日を踏みしめて生きていこうって思えるんだ!だからよ、自分のせいだなんて...そんな悲しいこと言わねぇでくれ。」


 墓標がぽつぽつと並び、それでもまだ花が咲き誇っている花園で、彼はいつもみたいに豪快な笑みを見せる。


 繋いでいく希望が、残せるという安堵が。明日生きるための燃料を奪ってしまっているのだと、そう思っていた。


 けれどそれは違うと、そんな悲しいことを言うなと、彼はそうボクに告げる。


「身寄りもねぇ、家族も作れねぇ。そして何より、死体さえ残らない俺たちだ。でも、お前だけは俺のことを覚えておいてくれるか?」


 その時ボクは、彼の瞳が揺れる瞬間を初めて見た。死に惑い、死を悼み、死を笑い飛ばす男からは、想像できないほどかけ離れた弱々しい素顔。


 ああ。彼もきっと。いや、彼だけでなくみんなそうなんだ。死ぬのが怖くて怖くて、叫び出したいほど怖いんだ。


 一度死んでいるから、もうみんな慣れているものだと思っていた。だからあんなに能天気に、仲間が死んだ次の日もどんちゃん騒ぎができるのだと思っていた。


 そうじゃない。きっとそうじゃないんだ。彼らは、何よりも死を恐れている。恐れているから、目を逸らして、気づかないようにするしかない。


「うン...。約束、してあげル。だから、そっちも約束しテ。三百年!せいぜい長生きしてよネ!」


「ハッ!手厳しいなァこりゃ!いいぜ、あと五百年は生きてやる!!」


 そう朗らかに、彼は笑った。ニッと歯を見せ、ボクと初めて会った時を思い出させるような、嫌味のない笑顔だ。


 でも、彼は嘘つきだった。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 みんな死んだ。みんなみんな、ボクを置いて死んで行った。花は枯れ、その代わりに墓標が地面を埋め尽くす。


 そうして今ここに、最後の一人が終わりを迎えようとしていた。屈託のない笑顔をする、嘘つきで嫌味のない大男。


「ごめんなぁ...。約束、半分しか守ってやれなかった...。ごめんなぁ、シニカ。」


「ううン...。いいノ、いいから。もう、いいから。大丈夫、ボクは一人でも...!忘れたりなんかしないから!」


 ボタボタと、ボクから流れる雨粒が彼の体に落ちる。けれど、その雨で花が咲くことはもうない。荒れた大地に残っているのは、寂れて苔むす墓標だけ。


「そんな顔...。するんじゃねぇよ...。なァ、シニカ。最期に一つ、俺の話を聞いちゃくれねぇか?」


 そう言って彼は、体が完全に灰へ帰るまで、自分の話を続けた。長くつまらない話だったが、ボクはこんなつまらない時間が、ずっと続けばいいのにと思った。


「俺がまだ、人間だった頃。俺の体はガリガリで、もやしみたいでよぉ。信じられるか?この俺がだぜ?んで、俺はそのまま飢餓で死んで、悪霊になったわけだ。そしたらどうだ、『奪胎(だったい)』なんて術式を授かっちまった。肉を奪う能力だぜ?最初はサイコーだと思ったね。」


「だけど違った。肉を奪って、奪われたヤツの骨だけになった姿を見ると、俺は自分が嫌いになった。妬ましくて、羨ましくって。それで散々奪った結果が、昔の自分を作り出したんだと思うと、途端にこの身に纏ってる肉が泥の塊に思えてきてよ。」


「だがそれも、今日で終わる。てな訳でだ、こんな気色の悪い術式を、シニカにやるのはなんだか気分が良くねぇ。だから、いいぜ。無理に奪わなくても。」


 違う。違うんだ。ボクは無理に背負ってたんじゃない。繋いでいくのが嫌だったわけじゃない。死んでいく仲間たちを見るのが、苦しかっただけだ。


 ボクは泣きじゃくりながらも、彼の胸に手を置いた。そうして、ぼやけた視界でしっかり彼を死に様を目に焼けつける。決して忘れないように、決して失くしてしまわないように。


「お前は優しいなぁ....。ありがとうよ。そんじゃあ、おやすみ。シニカ。」


「うン.....!おやすみ、おやすみ。キンニク....!」


「ハハッ。全く、マジで締まらねぇ名前だよ。あ〜あ、もっとちゃんと、名前考えりゃ......良かったなぁ.....。」


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 灰は帰る。地の下に、新たな花の礎に。


 もう芽吹くことは無い、忘れられていくだけの花。たったボクだけが。ボクだけが覚えてる、綺麗な花園。


 忘れるもんか。色褪せさせてやるもんか。まだ終わりじゃない、まだ消えてなんかいない。いるんだ、まだみんな、ボクの中で生きてるんだ。


 繋げ、繋げ、繋げ。腕が無くても、力が無くても意地はあるだろ。


 紡げ、紡げ、紡げ。花は無くとも、ひび割れた荒野に墓標はあるだろ。


 だったら、まだ戦える。これはボク一人の戦いなんかじゃない。みんなとの、ボクら悪霊たちの総力を上げた戦いだ。


「トドメだ。シニカ。」


 刀が迫る。ボクの首をはねるために、ボクらの未来を刈り取るために。凶刃が勢いよく走り、そうしてバキンと音を立てた。


 狙いは正確で、彼の刃は確実にボクへと直撃した。しかしそれは、ボクの首筋ではなく歯に。


「噛み砕いた?!そんな...!」


「まだ終わってないノ....。ボクたちは絶対に、消えていくだけの存在じゃなイ!!それを証明するためにも、オマエは邪魔ダ!!!!!!春水!!!!!」

換骨(かんこつ)』は悪霊限定で発動します。

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