続・大縄迷宮(九)
「三階層はこれで終わりや。せやから、ご主人様はもう降りてもええよ?他の子らは預かっとくけど。」
刑部はそう言って、優晏に肩を貸しながら酒処へと戻った。僕も後を追うように彼女たちへと着いて行き、しばらく放置してしまっていたかぐやたちの様子を確認する。
店内へ戻って見てみると、花丸と織はピンピンしたのに対し、唯一かぐやだけがまだ眠りこけている状態にあった。
花丸はかぐやを膝の上で寝かし、そっと優しく髪を撫でている。随分と微笑ましい光景だったが、それは僕の来訪により一時中断されてしまった。
「我が王、その様子だと....。勝ったのですね...!」
「しゅんすい、よく勝った!えらい!えらい!!」
花丸が珍しく表情を柔らかなものへと変え、織は心底嬉しそうにこちらへぴょんぴょんと跳ねて向かってくる。
そうして、そのまま勢い良く抱きついてきた織の頭を僕は撫でてから、疲れを吐き出すようにどかっとカウンターに倒れ込んだ。
「ほんっっっとに、強かった...。優晏も強くなってたし、刑部に至っては何あれ。あんな術式持ってたの?」
「いやぁ。奥の手は取っておくものやろ?安売りはしたなかったからなぁ。」
「春水もすっごく強くなってたわ!負けちゃったのは残念だけど...でも楽しかった!」
スッキリとした戦いの後に、和気あいあいとした空気が流れる。そんな雰囲気を感じ取ってか、かぐやを起こさないようテーブル席から動かないまま、花丸が自己紹介を始めた。
「刑部様、優晏様。私は我が王の眷属、花丸でございます。どうかお見知り置きを。」
「じゃあわたしも!わたしは織って言ってね、しゅんすいのおねえちゃんなの!よろしくね、ゆうあ!おさかべ!」
織の言葉にやや疑問を覚えたのか、優晏と刑部は首を傾げる。しかしせっかくの自己紹介を無下にすることも出来ず、二人は頭の中にある疑問を押しのけてにこやかに握手を交わした。
それから同じように迷宮組の二人も自己紹介をして、一段落着いたところで優晏が僕の頬をつんつんと突いて話しかけてくる。
「ねぇ春水?あのかぐやって子と結婚してるって、本当?」
「本当だよ。まあでも、まだ結婚して一ヶ月も経ってないけどね。」
僕のそんな言葉を聞いて、優晏はすぐさま刑部から日本酒を一升受け取った。グッと強くお酒を握る優晏の背中を、刑部が応援するようにさする。
「優晏ちゃん...。お酒に呑まれることも、時には必要やと思うよ...!」
「そうよね。刑部!吐いたらごめんね!!」
次の瞬間、僕はありえないものを見た。それは、日本酒の一気飲み。一滴も零すことなく、一分たりとも失うことなく。優晏は日本酒をまるまる一本空けてしまった。
「う〜....。ぽやぽやしゅゆ.....。春水〜、隣座ってもいい?」
こちらが返答をする前に、優晏はのそのそカウンターを乗り越えて僕の隣の席へと座る。
「えぇ...?大丈夫なの...?優晏?ねぇ...おーい。」
僕が声をかけても、優晏はうんともすんとも言わなくなってしまった。その代わり、優晏からの焼け焦げてしまいそうな熱視線が僕へと送られる。
とろんと潤んだ瞳。いつもよりも赤く、薄ピンクに彩られた頬。そして何より、鼻と鼻が触れ合ってしまうほどに近い距離。
「優晏...?あんまり近づいたらほら、恥ずかしいから...。」
手のひらをグッと押し出して、僕は優晏との距離を取ろうとする。しかし、優晏はそんなことは気にもとめず、僕の押し出した手のひらに優しく指を絡めた。
ひんやりと冷たい感触が肌を滑り、蠱惑的な柔らかさが僕の指を撫でる。その瞬間、心臓がドキッと跳ねたのが確かに分かった。
全身の意識が触れ合っている部分に集中され、それ以外の感覚が曖昧に遠くなっていく。優晏と違って僕はお酒を飲んでいないのに、温い酩酊感が着実に脳内を犯す。
それから力強く、けれど決して暴力的では無いくらいの力で僕は優晏に組み伏せられた。加えて、押し当てられた優晏の胸からは温い体温が伝わって激しい動悸が止まらない。
「ふふ。ドキドキしてる、おそろいね。」
「ダメだよ....。さっきも言った通り、僕はもう結婚してるんだから...ひゃん?!」
突然、優晏が僕の首筋に歯を立てた。わかってる。優晏はその性質上、僕の血液が必要なのだ。むしろ、五年間も補給がない状態でよく保ったと思う。だからこれは普通の行為だ、そう。普通の行為。
「ぷはっ!えへ、春水は美味しいね。」
「そっか....。なら良かったよ......。」
まずい。頭がクラクラする。これ以上優晏に乗っかられたままでは、正気を失ってしまう。そんな確信じみた思いに裏打ちされて、僕は必死で優晏からの脱出を試みた。
だが、疲労と先程の吸血も相まって、中々腕に力が入らない。それでも何とか抜け出そうとジタバタしている僕を、優晏は獲物でも狩るかのようにじっとりと見下した。
「春水は、私の事すき?」
好きじゃないなんて、口が裂けても言えなかった。屋敷にいた五年間、刑部はもちろん優晏のことを忘れた日など一日だってなかったし、時には寂しさで枕を濡らした夜もあった。
「私は、すきだよ。五年前から、ずっと。」
僕はその、あまりにも遅すぎた告白をどう受け止めていいのか分からずにいた。空白が、五年。五年という長すぎる年月が、僕らの間には隔たっている。
彼女には彼女なりの想いがあって、僕には僕なりの時間があった。だからもうどうしようもなく、僕らは交わることが出来無い。交わるべきではない。
ならどうして、僕の心はこんなにも締め付けられているのか。彼女の瞳が、熱が、柔らかさが。何故こんなにも痛いのか。
鼻息が当たる。僕が何もしなければ、このまま動かずいれば、もうすぐ優晏の唇が僕の唇に重なるだろう。
それで本当に、いいのか。答えは否だ。
僕は自分から、優晏を抱き寄せて唇を合わせる。言い訳だけは、絶対にしたくなかったから。
動けなかったからだとか、仕方なくだとか。そんな不誠実な理由で、優晏の気持ちを扱いたくない。かぐやの想いを踏みにじりたくない。
「いい....の?私、幸せになって...いいの?」
「いいに決まってる。優晏も、かぐやも。両方、絶対に僕が幸せにしてみせる。だから、もう抑え込まなくたっていいんだよ。優晏。」
五年。産まれたばかりの彼女にとって、あまりに長すぎるその時間を、僕は報われて欲しいと思った。幸せになって欲しいと思った。
だったら、答えはひとつしかないじゃないか。
「好きだよ、優晏。僕もあの五年間、優晏を忘れたことなんて無かった。」
そのあまりにも罪深い告白が、かぐやの心を引き裂くことを覚悟した上で、僕は優晏を幸せにすると誓った。
(....かぐやが目覚めたら、絶対に謝ろう。)
そんな僕の背後に、ゆらりとひとつの影が立つ。光を携え、今にも僕を貫かんと指を構える、十二単を着た少女の影が。
「.............最後に何か、言い残したいことはありますか?」
「もし許してくれるのなら、僕にかぐやを幸せにする権利をください。」
光は淡く霧散し、その代わりにかぐやの手はグーとなって僕の後頭部を殴り飛ばした。僕はすぐさま土下座の形を作り、かぐやへと全身全霊で頭を下げる。
「....はぁ。春水は、優晏さんのことが好きなんですか?」
「うん.....。」
「それは、私よりもですか?」
「いや、かぐやも優晏も同じくらい好きだ。本当に、かぐやには悪いと思ってるけど。でも、好きな人たちに嘘はつきたくない。」
かぐやはサラリと自分の髪を梳いて、先程までの怒りのオーラが嘘だったかのように態度を堂々としたものへと変貌させた。
「いいでしょう。ですが優晏さん、正室は私です。そこだけは、くれぐれも間違えのないように。それと、春水?あなたは後で、お説教です♡」
前言撤回。やっぱりめちゃくちゃ怒ってた。




