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百鬼夜行と踊る神  作者: 蠣崎 湊太
青年編
81/235

続・大縄迷宮(八)

 

 あらゆる物理法則に共通する事柄だが、エネルギーというのは下限は存在しても上限は存在することがない。


 例えば炎と氷があるとしよう。対極に位置するそれらが同等の力同士でぶつかりあった時、炎と氷は相殺されて消えてしまう。


 では、それら二つが極限まで練り上げられた状態のものであったならどうだろうか。


 温度の下限は絶対零度。一方、上限は存在しない。


 これらが意味するところは即ち、炎は氷よりも圧倒的に有利だということだ。


 優晏は見たところ、絶対零度のその先にある頂に至った。だがその頂は、炎の側から見れば通過点に過ぎない道半ば。そんな優晏が、僕に勝てる道理は無い。


「言ってなかったけど、『不動(ふどう)煉獄迦楼羅炎(れんごくかるらえん)』は炎を纏うだけの技じゃないんだ。その本質は不動明王の権能。不浄のものを清め、悪しき怒りの炎を喰らう力にある。まあ簡単に言えば、炎を奪うのは優晏だけの特権じゃないってこと。」


 特攻してきた優晏の手を、僕は社交ダンスの誘いでも受けるかのように優しく引いて、彼女の体を近くに寄せる。


「なっ?!ちょっと春水、こんな時に?!あっ.......!」


 燃えるように赤くなった優晏は急に動きを止め、その場に倒れ込んでしまった。大方、オーバーヒートでも起こしたのだろう。


 歯噛みをして膝を着く優晏は、その状況と裏腹になんだか清々しい顔をしていた。そうしてそれと同時に血界も崩壊を迎え、残る戦力は刑部だけとなる。


「優晏ちゃんがもう動けんと思っとる?残念。うちが冷やして回復すれば、またすぐに戦えるようになる。」


 実際、刑部の指摘は正しい。分身できるサポーターなんてぶっ飛んだ性能をしている彼女は、こと援護に関して万能と呼ぶにふさわしい能力を兼ね備えていた。


「これで戦闘能力も高かったらっ!ほんとに手がつけられなかったよ!!」


 分身三体の壁を瞬歩で抜け、僕は遠くに一人控えていた本体に向かって拳を向ける。しかし、ついぞその拳が刑部本体に命中することは無かった。


「女の子にそないなことしたらいかんよ?乱暴なご主人様には、遠くに行ってもらおか。」


 刹那、圧倒的な物量に僕は押し出される。僕を押し出したものの正体は、文字通り津波の如く押し寄せる刑部たちの群れ。


(本当に八百八か....?いや、数が多すぎるだろこれ!!絶対おかしい!!!)


「うちは狸やからなぁ。化かしてなんぼの二枚舌、分身それぞれが独立してるわけやから。当然、分身も術式を使えるんよ。うちが言いたいこと、もう分かったんちゃう?」


 両手の指をクロスさせて、刑部はそう悪戯っぽく笑う。もし、もしも仮に刑部の言っていることが本当だとしたら、刑部の最大分身可能数は八百八に八百八をかけた数字。合計、六十五万二千八百六十四。


「さすがに無い。理論上それが可能ってだけで、そう易々とそこまでの数は出せないはずだ。」


 半分願望混じりの指摘はどうやら正しかったらしく、バレたか。と言わんばかりに舌をチロっと出した刑部のうちのひとりが、僕に答え合わせをした。


「体力的にも厳しいし...まあ千体が関の山ってとこやなぁ。」


「ちょっと!なんでバラしてまうん?どうせならこのまま黙っとけばよかったやん!」


「どっちでもええって。それよりちょっとそこ!押さんといてやぁ!痛ったい!足踏まれたぁ~。」


 おおよそ千体の刑部たち同士が喧嘩を始め、僕は一人ぽつんと取り残されてしまった。


 僕はしばらく、喧嘩して数を減らしていく刑部たちを眺め続け、ひっそりと隙間を縫うように奥へ奥へと進んで行った。


「ひゃめて!頬っぺた引っ張らないでぇ〜!あっ。」


 本体が分身によってダメージを受け、刑部の分身は全て消滅する。考えてみればそうだ、これだけの独立した自己を御するのは難しい。


 多く分身を出しすぎると、意思統合ができずに自滅する。これが刑部の『松山騒動八百八狸(まつやまそうどうはっぴゃくやだぬき)』の弱点だ。


「こうなるって分かってたでしょ。なんでこんなに多く分身したの?あのまま五体くらいで満足していれば、まだ勝ち目はあったかもなのに。」


 仰向けに倒れていた刑部へと手を差し出し、引っ張って起き上がらせる。すると刑部は恥ずかしそうに、上体を起こして僕の目をじっと見た。


「勝ち目なんてひとつも無いよ。だから時間稼ぎとしてあれが最適。でも一番は、久々に会ったから良いとこ見せたかったんよぉ。....失敗してまったけどなぁ。」


 頬をかきながらはにかむ刑部は、なんだか昔よりもずっと子供っぽく見えた。そこで僕はふと、ひとつの花飾りを思い出す。


 私の事を忘れないようにと、そう願いを込めて僕に貸しておいてくれた花飾り。それを五年ぶりに、元の持ち主の頭へと飾って戻した。


 すると刑部はキョトンとした顔をして少しの間を開けた後、耳をペタンと伏せて優晏の所へ走り去ってしまう。


「は〜あっついあっつい!優晏ちゃんも冷やしに行かなあかんし...忙しいわぁ!」


「刑部....。こっち....。はやく...たすけ.....て....。」


「優晏?!めっちゃペラペラになってるじゃん!!刑部早く治癒術かけてあげて!!」


 その後、大量の刑部によって踏まれた優晏を完全回復させるために、計六人の刑部が動員して冷却と回復をかけ続けた。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 大縄迷宮第四層。ここは、全ての爪弾きものたちの魂が眠る安息の墓地。仄暗く、けれどどこか柔和な雰囲気を持った不思議な場所。そんなここが、ボクは結構嫌いじゃなかった。


 墓守として、この迷宮をもう長いこと守護してきた。だがそれももう終わりが近いのかと思うと、なんだか寂しいような気持ちで胸がいっぱいになる。


 大縄サマは言っていた。迷宮が滅び、ボクたちの居場所が無くなっても、もののけの歴史は続いていくと。


 悲しいことだ。人に追われ、さりとてもののけからも受け入れられることはなく、地下に引き篭もることでしか命を繋げなかった落ちこぼれたちの末路が、滅亡しかないなんて。


 そんなもの、ボクは認めない。大縄サマがいくらあの少年に肩入れしていようと、ボクだけは絶対に認めない。だってそうだろう、誰だって死にたくないじゃないか。忘れられたくないじゃないか。


 大縄サマは聡明で、きっとボクには見えない大局的なものを俯瞰しているのだろう。感情に流されず、もののけという種族が生き残っていればいいという、マクロな視点。圧倒的にボクよりも現実みを帯びている意見だ。正しくって偉くって、お利口な意見。


「じゃあ。この墓標たちは全部、ムダだったって言うんデスか。」


 もう誰も花を添えることのない、そんな哀れな墓標たちを見て、ボクはそう溢した。


 ボクがいなくなれば、忘れられてしまうだけの石の塊たち。異常で、除け者で、爪弾きもので。仲間想いだったアイツら。大縄サマから言わせれば、もののけの次代への礎にしかなれなかった劣等なおぞましいものども。


 もののけの次代がなんだ。消えていくだけのボクらが、人の怨みから産まれた悪霊のボクらが、何かを残すことを願ったらいけないのか。


 人ともののけ、それに悪霊。ボクらは無視され、忘れられ。歴史の彼方に消えていく。なにも残さず消えていく。


「…ふざけんなヨ。」


 だったら残してやる。分からせてやる。何がなんでも爪を立てて、一生忘れることのない大きな傷跡を残してやる。死体すら灰となり消え、生きていた証がこの石ころたちだけなのだとしても。ボクがみんなの意思を継いでいく、虚しいものじゃなかったと。決して産まれてきたことは無駄ではなかったと、そう刻みつけてやる。


 ボクは二本のノコギリを両手に携え、ただ静かに、眠るように彼を待った。残すことを許された、たくさんの種族に愛された神様の彼を。


 一度死に、それでも眠りにつけなかったボクら。


 不眠症で、ずっと忘却に怯えているボクら。


 忘れることも、忘れられることも怖くって目を逸らし続けた、臆病者のボクら。


 祈る神はなく、無に還るだけのボクらは、それでも残すことを選んだ。もののけと同じように、ボクらもまた繋いでいくことを選んだんだ。


「長き旅路の同胞(はらから)たちヨ。どうか、その眠りが安らかなもので在らんことヲ。」


 祈りではなく、これは願いだ。死の安らぎからも見放され、愚かにも立ち上がってしまった彼らに。せめてもの祝福があって欲しいという、いたいけな少女の願いだった。


 そんな願いを聞き届ける神は、果たしているのだろうか。


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