続・大縄迷宮(七)
「ごめんなさい...やりすぎた自覚はあるわ。」
優晏は申し訳なさそうに、こちらへ頭を下げた。確かに、戦闘経験が全くないズブの素人へ血界を発動するのはいささか大人気ない。
しかし、優晏も優晏なりに思うところがあってやった事だ。それに彼女の強くなりたいという焦りや、弱さへの忌避感は僕にも覚えがある。
「謝るなら...かぐやが起きた時に謝ってあげて。僕は優晏の気持ちの方が、やっぱりちょっとだけ分かっちゃうからさ。」
そう力なく笑い、僕は抱えていたかぐやを優しく運び出す。一応、これで第三階層は踏破ということになったのだが、これではいかんせん納得がいかない。
「優晏、刑部。今からすごい自分勝手なこと言ってもいいかな?」
優晏と刑部は店内に戻ろうとしていたところ、くるりと視線を僕へと戻した。その表情はキョトンとしており、一体今から僕が何を言うのか検討もつかないといった様子だ。
「僕はこの迷宮に、過去と決着をつけるために来たんだ。だから、僕がここを超えなきゃ意味が無い。二人とも、全力でかかってきてよ。」
先程の優晏とかぐやの戦いを見て、正直僕はゾッとした。血界の中に入っていないから詳しいことは分からないが、それでもあれがどれだけ恐ろしいものかは理解出来る。
そう把握した上で、僕は今の二人と戦いたかった。もちろん、殺すことはしない模擬戦形式でだが。
「ふふ。随分かっこよくなったなぁ、ご主人様。いいよ、優晏ちゃん。本気で行こか!」
「ええ、覚悟してね。春水!!」
こちらが刀を抜くより早く、ウッキウキの優晏が間を潰して接近してくる。僕はそれに対応するため、抜刀を中断して拳を構えた。
しかし、優晏はそんなこちらに忖度する気は一切ないらしく、空気中の水分から熱を奪い氷の剣を生み出す。
(薙ぎ...と見せかけてのフェイントで逆袈裟か。...綺麗だな。)
地面を凍らせて、踊るように美しく舞って攻撃を繰り出す優晏は、僕に踊り子を想起させた。
足を動かすのではなく、滑らせる歩法からは独特のリズムが生まれ、攻撃のタイミングが非常に読みずらくなっている。
「うちも忘れてもらったら困るなぁ。はい、優晏ちゃん。東の豊穣、一番『盛馬千』」
「それっ!!他人にかけれたの?!」
一気に優晏のスピードが格段に上昇し、氷の剣が僕の頬を掠める。そこで僕は受けが不利だと判断し、後方へ回避しようとした。
「懐かしいわね、回避の癖も変わってないみたい。でも、そこが甘い!『焔奪氷化』」
優晏が僕の足に手を向けて、熱を奪い動きを止めようとする。しかし、今の僕にとってそれは愚策中の愚策。
「甘いのはそっち!『不動・煉獄迦楼羅炎』」
全身に炎を纏い、優晏の吸収しようとしていた熱以上の温度を体外に放出する。すると目論見通り、優晏はまるで炎に触れたかのようにその伸ばした腕を引っ込めた。
「術式で得られる効果は足し引きゼロになるようにできてる。って習ったもんでね。それで『焔奪氷化』について考えたんだよ。奪った熱は、一体どこに行ってるのかを。」
優晏の表情が硬直し、その後すぐ恍惚としたものへと変わる。分かるよ、分かる。楽しいよね、強い相手との戦いってのはさ。
「そうね。春水の言う通りだわ。私は奪った分の熱を、自分で引き受けなきゃならない。自分で意識した熱量を奪うならまだ術式の自己補完の範疇だけど、意識外ともなるとそうはいかない。」
「だから、うちが優晏ちゃんの冷却役なんよ。東の豊穣、十三番『月寒魑彌鏖』」
刑部が術を唱えた途端、優晏の足元を中心とした、半径五メートルほどの雪の結晶の文様が現れた。すると辺りの温度が急激に低下し、優晏が再び攻撃を開始する。
「ま、冷却役だけとは限らんけどなぁ?東の豊穣、十番『顎閻魔穢』」
優晏の攻撃タイミングに息をピッタリと合わせ、回避を許さないとばかりに僕の背後から化け物の顎が出現する。
前後からの同時攻撃。左右への逃げ道は無く、跳躍も恐らく捉えられてしまうだろう。だったら、その更に上をいけばいい。
僕は神足通により翼を展開し、滞空して攻撃を無理やり回避する。そうして上空で『魔纏狼・月蝕』を五発装填、光玉を二人めがけて発射。
「ご主人様、もうなんでもアリって感じやなぁ...!東の豊穣、十一番『豊妃螺硬鉛』」
そう零しながらも、刑部は鉛のような色をした薄い膜を頭上に発生させ、優晏に向かうものまで含めたこちらの攻撃を全て防ぎ切った。
「なんでもアリはそっちじゃん!汎用性高すぎるって東の豊穣...っ!」
「春水、お返し!今まで貯めた分の炎の矢、避け切れるかしら!!」
千は下らない炎の矢が、優晏の周りに発生しこちらへと狙いを定める。一見すれば恐ろしい光景に違いないだろうが、よくよく見れば話は別だ。
(いや、ハッタリだな。数は多いけど威力はお粗末、余裕で受け切れる。)
『魔纏狼・纏身憑夜鬽・改』を使って身をガチガチに硬め、放たれた矢をそのまま受け切ろうとした。
「いっ....た!悪趣味な!」
なんと、大量の雑多な炎の矢の中には数本、高純度の炎が練り上げられて作成された、威力が段違いのものが紛れている。
「失礼ね。硬い敵を相手にする時のために、いっぱい考えたんだから!」
しかし、いくら威力が高いとは言え所詮は痛いで済む程度のものだ。僕は目を凝らして受けていい矢とそうでないものの判別を行い、ダメージを最小限に抑えるための回避行動を取るフリをした。
その結果、羽が焼けたせいで滞空を維持できなる。けれど僕に目立った負傷はなく、ひとまずは無事に優晏の熱量を全て枯らすことに成功した。
(うん...。上手く出来たかな。)
「随分厄介になったもんやなぁ。どうする?優晏ちゃん?」
「ここまで来たら、もう出すしかないわよね!先に言っておくけど、手加減出来ないから!!!【血界侵蝕】『燼不凍星』」
視界が銀一色へと塗りつぶされ、『不動・煉獄迦楼羅炎』を発動していてなお冷気が僕の身を襲う。
絶対零度。生命の生存を許さない極寒の環境は、いとも容易くこちらの動きを阻害した。足や手がかじかみ、あらゆる動作が精細を欠く。
「じゃあここでダメ押しといこか。『松山騒動八百八狸』」
「それは.....。ちょっとまずいかも.........。」
術式を発動して四人に分身した刑部が、全員優晏へとタッチして魔術を唱える。それはまさしく、僕にとっての死刑宣告に他ならなかった。
「「「「東の豊穣、一番『盛馬千』」」」」
刹那、神速の体現と化した優晏が僕へと致死の特攻を繰り出す。
気配で分かる。今の優晏は近づくだけで命を攫うものだ。僕が今かろうじて、肌を軽く凍らすだけに留まっているのは、全て僕の下準備が上手く作用しているからにほかならない。
「今まではこうやって負け続けてきたからね。そろそろ、反撃させてもらおうか!!」
・『松山騒動八百八狸』
分身を最大、八百八体まで作成できる術式。分身の一体一体が独立しており、それぞれ魔術などの性能は据え置き。しかしデメリットとして、元となった本体に少しでも傷がつけば術式は解除されてしまう。




