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百鬼夜行と踊る神  作者: 蠣崎 湊太
青年編
78/235

狐は何を呪うのか

 

 九つの尾を揺らし、コツコツと足音を立てて歩く白い狐が一匹。周りには無数のもののけたちを従え、伊予国の久万山(くまやま)の麓にあった村を燃やして進軍する。


 それに、彼女は既に伊予国最大の大きさを誇る松山城を落としていた。つまりこれが意味するところは、淡路と紀伊を除いた南海道の全てが、彼女の手中に収めたということだ。


 伊予、土佐、讃岐、阿波。それぞれ四つの国にもはや人間の住める土地は存在せず、考えうる限りの惨い地獄が広がっている。


 略奪、虐殺、焼き討ち、拷問。今までの苦痛をそっくりそのまま返すように、彼らはただ復讐の炎を燃やし続けた。


 彼女は一通り人間狩りを終えたあと、血の匂いが充満する松山城へと戻り、己が尾を与えた眷属たちにようやく始まる計画の概要を伝える。


「殺そか、みぃんな。いい子も悪い子も、まとめて全部殺さな。うちらの地獄は終わらないもんなぁ。さぁ、今度は人らに見てもらいましょか。うちらが目ん玉潰したくなるほど見せられてきた、死んだ方がマシだって思えるくらいの現実を。」


 ここにいるのは茨木童子を含めた、全十五人の眷属たち。眷属らはそれぞれ、尾を与えられた一人と与えられてない補佐役の一人で構成された二人一組となっている。


 そうして組まれたタッグは各地七ヶ所に配置され、そこから効率的に倭国を侵略、破壊していく手筈となっていた。


 このうち、茨木童子は尾を与えられていながら持ち場を持たない。なぜなら彼女には倭国を乱す役割とはまた別の、特殊な任務が与えられているからだ。


「私は確か、蝦夷に行けばいいのでしたね。そこに、私たちの目指すものもあると...。では、早速行きましょうか。」


 最初に口を開いたのは、鉄で作られたの西洋甲冑を着込んだ騎士を従える、スリットから生脚を露出させた格好の修道女。


 彼女は狐に確認を取ると、すぐさま城から出ていってしまった。目を瞑り、熱心に手を合わせている彼女の姿を見て、傍に仕える騎士は何も言わずに彼女の後を追う。


「じゃあ私たちも行く〜。ここ、血なまぐさいもん。」


「人がたくさん死んでるのに、相変わらず冷たいねえ。ま、それもまた異世界転移のテンプレだ。」


 一見、ただの人間にしか見えないセーラー服と学生服の少年少女が軽やかな足取りで城を後にする。


 雰囲気や見た目が純粋な人間ということもあって、彼女らは城にいる時も大量のもののけに襲われたのだが、それら全てを身動ぎ一つせず、彼女は鏖殺して見せた。


「みんな行くみたいだし、私たちもお暇しよっか。行こ、梅ちゃん?」


「はい。それが桜さまのお望みならば。」


 今度は継ぎ接ぎの和服を着た、桜色の乙女が立ち上がる。彼女に合わせるように小間使いの童女が木の枝を取り出し、小さな手でそれをふたつに割る。


 すると、彼女らの体は桜の花びらとなって段々と崩壊していき、最後には割れた枝だけを残して綺麗さっぱりいなくなってしまった。


「ええっと...。残ったのは、蚕ちゃんのとこと龍のとこ。それにお爺ちゃんと.......。」


 狐は一人一人指さして残りを確認していき、最後に指が止まったところでにんまりと笑った。残忍で、無情で。虫を遊びで殺す無垢な童子のような、そんな可愛らしい笑み。


「ふふ。あんたにはいっちばん期待しとるんやからね。せやから頑張って.....自殺してな?」


 漆黒の具足を纏い、瘴気を撒き散らす武士。彼は自分に向かう指をじっと睨みつけ、それから虚しいものを見るように自分の刀へと視線を移す。


「......言われずとも。成すべきことを成すだけだ。」


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 彼女の計画。眷属たちを派遣し、広く展開することで国を大混乱に陥れるというもの自体は、あくまで作戦の第一段階に過ぎない。


 人間を殺し、もののけを栄えさせ、失った時間を取り戻す。そんな彼女の目的を達するためには、国を惑わすだけではとてもじゃないが足りないのだ。


 であるならば、不足分は彼女が補う他ない。


 狐は眷属を各地へ派遣させた後、茨木童子だけを残して城に佇んだ。それから少しの逡巡を終えて、彼女はようやくひとつの決心をつける。


 そうして狐は御饌津神(みけつかみ)の分霊である護石を取り出し、それを一息に飲み込む。すると一気に神の力を取り込んだ影響か、意識が混濁して強い眩暈に襲われた。


「茨木ちゃん。うちが留守の間は任せるわぁ。その後は、好きにしたらええから。」


「もちろんですわ。それで、酒呑の仇が取れるのなら、私は邪神にだって魂を売り飛ばしますもの。」


 次目を覚ました瞬間、自分が自分で無くなるかもしれない恐怖。目的のために神をその身に堕ろし、絶大な力を得ることがどれだけ恐ろしさを、彼女は知っている。


 何度も試行錯誤を重ね、何度も実験を繰り返し、大量の命を犠牲にして出した結論は、酷く残酷なものだった。


 元々神格を備えているわけでもない。単に力を持っただけのもののけが、神を受け入れればどうなるか。


 答えは二つ。ひとつは神の力に肉体が耐えられず、そのまま死亡してしまうケース。そうしてもうひとつは、人格を乗っ取られて自らの意識が完全に喪失してしまうケース。


 どう考えても勝率などない、分の悪すぎる賭け。しかし、皮肉にも彼女の妹が証明してしまったのだ。何事にも例外はあると言わんばかりの、神堕ろしの成功例を。


 だがそれは一概に、妹だけの成果と言える代物では無かった。


 それは昔、狐が神を欲していた頃の話だ。彼女は自らの世界に神がほとんど存在しないことを嘆き、もののけの世は来ないのだと人生を儚んだこともあった。


 されど彼女は諦めることなく、自らの世界にいないのなら。と、外の世界へと干渉する術を模索した。その結果、研究が功を奏して彼女は外界と繋がることに成功する。


 現在では、肉体まで外の世界から呼び出すことが出来るが、十年ほど前までは魂のみを呼び出すだけの技術しか無かった。


 魂という観測できないものを呼び出すのに成功していた。という事実に、気づけるものはそう居ない。彼女もそれに漏れず、肉体が召喚できるようになるまで、魂を呼び出す実験を『失敗例』として行った。


 肉体を持たず、魂だけで放流されたものたちは、その殆どが定着する肉体を見つけることなく滅びていく。しかし、その中で唯一流れ彷徨い、肉体を見つけたものがいた。


 もちろん彼女はそんなことを知る由もなく、本当に皮肉なものだと、自嘲気味に嗤う。


 淀んだ真っ黒な瞳はどこまでも深く炎を浮かべ、燃える城下をどこか恍惚とした表情で眺め続ける彼女は、もうとっくのとうに自分があの火の中に焚べられていたのだと直感で理解した。


「人が憎くて、殺したくて。行き着いた先がまさか、人になること。なんて、だぁれも分からんかったやろなぁ。ああ、穢らわしい。」


 もののけは、どこまで行っても神になることができない。だから神は、もののけを愛してなどいない。これこそが、狐の知っている残酷な結論。


 それ故に彼女は、自らの魂を分解して粉々にすり潰した後、人間の魂を継ぎ足して新たな自己を生み出した。


 彼女はもはや、自分でさえ何を呪っているのか分からなかった。人間なのか、世界なのか、神なのか。色々なものを憎みすぎて、もう何が憎いのか分からない。


 正しく化け物。正しく神の器。彼女は意識を深く沈みこませ、それから三ヶ月もの間、目覚めることは無かった。

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