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百鬼夜行と踊る神  作者: 蠣崎 湊太
青年編
77/235

続・大縄迷宮(六)

 

 息を吸うごとに、全身が凍りつく感覚が確かにあった。私は怖くて、逃げ出してしまいたくて。もうただただ、後ろに下がることしか考えられなくなっていた。


「春水の妻を名乗るなら勝手にやればいいわ。でもね、戦う勇気もないくせに。逃げ回ることしかできないくせに、彼の隣に立たないで。」


 何も聞こえない。視界がぐらぐら歪み、段々ぼんやりと靄がかっていく。脳みそが大声で叫び、全力で危険を訴え続ける。早く逃げろと。全てを投げ出してでも、逃げろと。


「お願いだから諦めてよ。春水はね、すっごく優しい。だからあなたみたいな腰抜けでも、彼はきっと愛してしまう。背負ってしまうの。」


 倒れるように地べたへと転がり、なんとか起き上がって上へと登る階段に向かう。足が竦んで動かないため、腕だけでほふく前進のごとく惨めに逃げ出そうとする。しかし、それさえ出来ずに私は地面を舐め続けた。


「私はね、春水が好き。好きで好きで、大好きで。だからずっと、守られるだけじゃなくて。彼を守れるように努力してきた。春水が傷つかないように、もうあんなボロボロにならないように。少しでも強くなりたかった。」


 自分の情けなさに涙が出てくる。立ち向かうことも、逃げることも出来ずに。こんな姿になって蹲っている、哀れでどうしようもない中途半端な自分。


「夢を見るの。手のひらに貯めてある水が、どんどん零れていく夢。私がいくら隙間を無くそうとしても、どこからか零れていっちゃうの。」


 ごめんね、春水。弱くてごめんね。私、もう立てないや。


「泣くくらいなら!!そんな中途半端な好きなら!!彼に縋ろうとしないでよ!!!!私の方が、ずっとずっとずっとずっとずっとずっと!!!!春水のことが好きなのに!!!!!!」


 その慟哭は、嫌になるほど私の脳みそを何度も何度も串刺しにした。それだけは、絶対に聞き捨てならないことだ。否定しなきゃいけないことだ。


 確かに、始まりはきっと醜いものだった。彼ならば、私を救ってくれるかもしれないと。彼ならば、連れ出してくれるかもしれないと。そんな自分勝手なエゴで塗り固められた、打算まみれの好意。


 でも根底にあったのは、紛れもなく彼への無垢な愛情だ。夜に縛られ、太陽を諦めた少女が唯一見た、眩い光。私にとっての最初の太陽は、間違いなく彼だった。


 ひたむきで、子供っぽくて、それなのに結構ガッシリしていて男らしくて。優しいところも、ちょっと抜けてるところも。堪らなく愛おしいと、そう思えたから。だからその糾弾だけは、決して認めてはいけないものだ。抗うべきものだ。打ち砕くべきものだ。


 震えてていい。みっともなくていい。情けなくていい。今はただ、立ち上がりさえすればいい。


「そう、立つの。いいわ。だったら、こっちも全力でいかせて貰うから。【血界侵蝕】『燼不凍星(もえずのいてぼし)』」


 刹那、世界は凍結する。見渡す限り一面が彼女と同じ白銀へと生まれ変わり、彼女と私の肩あたりにロウソクを思わせる一輪の花が咲く。


「死なないようにそれだけは分けてあげる。でも調子に乗らないで。こっちに一歩でも近づいてくるなら、容赦はしない。」


 一目見ただけで理解する。彼女の周囲は全て、死以外の何者も存在させない地獄の空間。今私が立っている地点とは雲泥の差がある、非生存領域。


「あなたを折るために教えてあげる。私の血界はね、熱を限界以上に奪う空間を作るの。絶対零度をゼロとした時、私の血界の中の温度はマイナス。完全な静止の世界を超えた、負温度の超常。」


「だから....届かないって....?」


「そうよ。しかもそれだけじゃない。絶対零度を超えた空間では、原子はその形を保つことが出来ずに崩壊する。負の圧力が加えられた原子はその中に含まれている多大なエネルギー量を負のエネルギーに反転させ、周囲の空間からごっそり同量のエネルギーを吸収。そして霧散させる。つまり、私のそばに近づけば、綺麗さっぱり消えるってことよ。跡形も残さずね。」


「だから、諦めろって。そう言いたいんですか?」


 返答は無い。けれどその冷たい視線が、全てを物語っている。突きつけられた彼我の戦力差。どう足掻こうが超えることの出来ない、高すぎる壁。


 それがなんだ。それがどうした。私は彼の妻だ。春水の妻だ。彼なら逃げない、彼なら戦う。だったら、その妻の私が臆してどうする。


「負けていたのは、私の心だけです。あなたには絶対に勝てないと、そう思っていた私の心が負けていた!!!!私は春水の妻です。あなたよりも、何倍も何十倍も何百倍も!!!彼のことを愛しています。だから、あなたには決して負けません。優晏さん。」


「いいわ。その想いが本物か、確かめてあげる。来なさい、かぐや。」


 前へ、進む。一歩進むたび花弁が一枚剥がれ、身を凍らすほどの寒さが一気に襲いかかってくる。それでも、それでも進み続ける。


 花弁は残すところ一枚。そして優晏さんへまで届くにはあと数歩、足りない。もし仮にここで無理な進行をすれば、私は一瞬で氷塊と化すだろう。


「.........。覚悟だけじゃ、どうにもならないこともあるのよ。でも、人間にしては良くやった方だと思うわ。」


 まだだ。まだ、負けてない。例えどんなに暗く冷たい荒野でも、陽の光は平等に降り注ぐものだ。それは今この場所でだって、例外じゃない。


「ひとつ、言い忘れてました。私はただの人間じゃありません。月の欠片。出来損ないで偽物の、太陽です。」


 私には、特別な力がある。それ故に手篭めにされ続け、明けなかった夜たちを何度も過ごしてきた。この力さえ無ければ。なんて八つ当たりで、体を痛めつけた日もあった。憎むしか無かった。恨むしか無かっただけの力。


 なんでもいい。どんなものでも構わない。この幾度となく呪ってきた力で、私は未来を切り開く。


 両腕を前に突き出し、届かぬはずの白銀へとその手を伸ばす。そうして一歩。体が動き、花弁が宙へと舞う。


「『偽典(ぎてん)陽光転月光(ようこうてんじてつきひかり)』」


 瞬間、私の腕からレーザーが放たれ、優晏さんの花弁を完璧に貫いた。辺りの白銀はほろほろと崩れ、彼女の頬からは、その白に似つかない赤い線が一筋涙のごとく伝っている。


「どう........です......?かすり傷ひとつでもつけれたら......認めてくれるん.....ですよ....ね......。」


 私は力を振り絞ってなんとか口から言葉を吐き、ドサッとそのまま地面へと倒れ込む。しかし、私がついぞ地面に激突することはなく、優しく力強い腕が私を支える。


「私....。頑張りましたよ....?春水.......。」


「ああ。よく頑張ったよ。お疲れ様、かぐや。」


 頬に触れるゴツゴツした腕の感触を確かめながら、私は意識を消失させた。とても温かい、お日様みたいな体温だった。

・【血界侵蝕】『燼不凍星(もえずのいてぼし)

絶対零度をゼロとした時、それ以上の冷却を持って周囲の温度を-273.15度からさらに引き下げる血界。加えて優晏が選択した対象に花弁を与えることができ、この花弁を与えられた者は血界内の温度変化の影響を受けない。しかし、優晏に近づけば近づくほど花弁は散っていくので注意が必要。


血界を発動した時点で大気中の原子は運動を停止。その後の過剰冷却で過負荷をかけられた結果、原子の耐久限度を超えて原子は崩壊する。


通常、原子の崩壊が引き起こす現象は核分裂だが、この場合は絶対零度よりも温度を下げる過剰冷却が行われているために核分裂は起きず、その逆の現象が起きる。


つまり、原子が孕んでいる膨大なエネルギーが放出されるのではなく、負となった本来核分裂で放出される分のエネルギーが辺り一面から吸収されることになり、核分裂と同等のエネルギーが負の原子に収納され、完全に消失する。


まあめっちゃ簡単に言うと、優晏に近づいたらヴァ〇ラ・アイスか虹村〇泰みたいにガオンされます。


偽典(ぎてん)陽光転月光(ようこうてんじてつきひかり)


かぐやが浴びた太陽光を貯蔵し、光エネルギーに換算することでレーザービームを打つことができます。


ちなみに、優晏の『燼不凍星(もえずのいてぼし)』をこのレーザーが突破できた理由は、負の原子が光までは吸収or収納出来ないからです。ブラックホール的な重力は持たないので。


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