続・大縄迷宮(四)
(力は負けてる。手数も足りない。おまけに腕は片方取られた。だったらせめて、頭を回しなさい!海峡!)
見たところ、相手は『怒気怒気羅武羅武』を使おうとする素振りを一向に見せない。つまり、目立った武器がなくても十分に戦える術式を持っているということ。
術式の複数所有など聞いたこともないが、神の器というのならそれも不思議では無い。そうして今のところ、春水の出した手札は二つ。
一つ目は扉を焼き切った炎。二つ目は今着込んでいる具足。前者に関してはまだ射程距離が未知数であり、徒手空拳のこちらでは文字通り手も足も出ないため、仕方なく距離を詰める。
しかし、遠距離を攻撃する手段があるからと言って近接が弱い訳でもない。具足に身を包み、確かな研鑽によって裏打ちされた技術から繰り出される一撃一撃の重みは、アタシが到底太刀打ちできるものではなかった。
「カハッ...。左手だけでカウンターなんてっ...!存外、悪趣味ね!」
「いや、トドメが右手だからね。.....どうか安らかに。」
こちらの命を懸けた特攻を、春水は左手だけで完璧に捌き切り、なおかつ反撃まで繰り出してきた。左脇腹にボディーブローを喰らって呼吸が乱れ、無防備な体が片手剣を携えた春水の前に晒される。
せめて、背中からは倒れまいと必死に両の足を地面に付けて力強く踏ん張る。そうやってアタシの胸に突き立てられる片手剣をそのまま心臓で受け、死を感じながら左手に握り拳を作った。
血を吐き、朦朧とする意識の中。悔しさで爪が食い込む程握られた拳だけが、明瞭にそこに存在している。
「ちょっと早めだけど、冥土からの贈り物よぉ♡♡♡受け取ってね!!!春水チャン♡♡♡♡」
一矢報いるため、自分の人生全てを乗せた最期の一撃が、春水の顔面へと向かう。それはバキンと音を立ててクリーンヒットし、そのままアタシは前に倒れ込むように全身から力を失った。
春水はアタシの攻撃に一歩も動かず、ただただ倒れてくるアタシを優しく受け止める。その優しさが悔しくて悔しくて堪らなかったが、これはこれでと自分の結末に納得もしていた。
「.....っは。ふざけてるわ。まさか拳の方が砕けるなんて。悪い夢でも見てるのかしら。」
「どうして術式を使わなかったの?どんな術式かは知らないけど、少なくとも使っていればこんな結果にはならなかったはずだ。」
「もののけ全員が術式を持っている訳じゃあないのよ...。アタシらみたいな落ちこぼれのはぐれ者を匿うのが、この迷宮の流儀なの。てか!アンタこそ、まだまだ手数はあったでしょ。なんでわざわざ近接まで持ち込ませたの?」
少しの皮肉を込めて、アタシはそう春水に尋ねた。使うまでもなかったと切り捨てられるのを承知で、それでも彼の本意が知りたくなったから。
「過去に、決着をつけるため。」
多くを語らぬ真っ直ぐな目。それだけでアタシは全てが分かった。彼の恐怖が、戸惑いが、後悔が。それらを乗り越えるため、春水はあえて完全試合を望んだ。
術式頼りの決着ではなく、技術での決着をつけることで、自らの積み重ねは無駄ではなかったと、そう声高に勝鬨をあげるために。
「そう.......。優晏チャンが惚れるのも........納得........ね♡」
最期に、アタシは幻を見た。幻覚だったかもしれない、幻聴だったかもしれない。けれど間違いなくそれは、アタシにとっての救いだった。
(頑張ったわねぇん。海峡。)
若かった頃の綺麗なお姉様が、アタシに向けてヒラヒラと手を振っている。死の間際に見た儚い白昼夢に、涙は留まることを知らなかった。
消失する意識と共に、温かさが全身をくまなく満たしていく。死ぬのは怖くない。だって、お姉様が待ってくれているもの。
「あぁ..........。お姉..........様...............。」
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ゆっくりと海峡を地べたに寝かせ、彼女が持っていた魅孕をその場に残し僕らは次の階層へと向かった。
階段を下り、着々と先に進み続けていると、急にかぐやが僕の服の裾を掴んで声をかけてきた。その声があまりにも弱々しいものだったので、僕は心配になって一度足を止める。
「春水....あの。ひとつ、聞いてもいいですか?」
「ん?何かあった、かぐや?」
刹那、空気がピシッと凍る。一変した雰囲気に僅かな怯えを感じたが、気の所為だろうとスルーして、なんだかぎこちないようなかぐやの笑顔を見る。
「優晏さんって、誰ですか?」
今度は確実に、空気の重みが増したのが分かった。かぐやの凍てつくような影のある笑顔は、明らかに僕を糾弾するために作られたものだった。
口角は上がっているのに、目は全く笑顔のそれではない。僕はなんとかかぐやに説明するためにあれこれ手を尽くしたが、その全てにあまり効果が無かった。
「昔の仲間なの!ホントだって!!五年間会ってないんだって!!!!」
「挙式を上げていないとはいえ...もう妾の準備までしているんですか???正室の私に断りもなく???」
「違う!!!妾って!!!!そういうのじゃないから!!!」
嘆息し、僕の手をぎゅっと握ってきたかぐやが、潤んだ瞳でこちらに寄りかかってくる。
かぐやは屋敷にいた頃より、ずっと僕に頼るようになった。彼女がひた隠しにしてきた弱さみたいなものを垣間見れることが嬉しくて、つい甘やかしてしまいたくなる。
「分かってます....。分かってますけど...!ちょっぴり、不安なんですよ。」
甘えてくるかぐやの頭を梳くように撫で、僕たちはしばらくそのまま過ごした。時間が経つとかぐやも落ち着いたのか、少しむくれているが、概ねいつものかぐやへと戻った。
「私は、我が王のような方はたくさん妾を作るべきだと思いますよ。英雄、色を好むといいますし。」
「.....花丸。一旦、お口チャックで。」
再びグズり出したかぐやを宥めるのに、結局二時間もかかってしまった。心配性のかぐやも可愛いのだが、あんまりここで時間を使いすぎるのも良くないので、帰ったらデートをするという約束を取り付けて機嫌を取り戻すことに成功した。
「かぐや!あんまりしゅんすいを困らせたらだめ!大丈夫、かぐやは可愛いから。そんなに心配しないでっ!」
かぐやの手を取った織が、ぴょんぴょん陽気に跳ねてかぐやを元気づける。それに励まされてか、かぐやもその足取りを軽くして、僕達は次の階層の扉の前までやってきた。
第三階層の扉は、相も変わらず『酒処 唄鳥』と書かれた看板が掛けられている。僕はそれを見て京極たちを思い出したが、この先に何が待っているか分からないので一度雑念を振り払う。
(京極と鬼熊はもう居ないんだもんな...。その代わりって誰がやってるんだろ。まあ、雲海の代わりも全然違う海峡がやってたし。いいか!)
ガチャリと勢いよく扉を開け、琥珀色のライトが照らすほの明るい店内へと踏み入る。見慣れたテーブルに、見慣れた二人。
そこにはグラスを持ち、何かを待っているように目を伏せている銀髪の少女と。こちらにいち早く気づき、にっこりと笑顔を作ってグラスを拭いている、狸の乙女がいた。
「久しぶりやなぁ。五年ぶりやっけ?ご主人様。」
「!!!!!!!!!!春水!!!!!会いたかった!!!!!!!!!」
こちらを見るなり突撃してきた優晏に、僕は押し倒されてしまった。ピキっと、氷の割れるような音がしたのは、どうか僕の気の所為であって欲しいものだ。




