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百鬼夜行と踊る神  作者: 蠣崎 湊太
青年編
71/235

暖簾の先には

 ギリギリの時間に花丸や織と合流し、そのまま結界を抜ける。そうして織が術式を解除した途端、結界は音を立てて瓦解した。


 今から結界が壊れたことに気づいたとしても、ここまで距離を離した僕らに追いつくことは不可能だろう。そう思いながら、寝てしまったかぐやを花丸の背にそっと優しく置き、僕と織も一緒に花丸の背に乗り込んだ。


「我が王、これからどちらに向かうのですか?」


「ん〜。まずは実家かな。花丸も、一回行ったことあるでしょ?」


「了解致しました。常陸国までですと、もうしばらくはかかるかと。」


 そう言って花丸は地面を蹴り、中々の速さで目的地へと向かった。通常、この速さで移動すれば結構な揺れが起こるものだが、花丸が気を使ってくれているのか。揺れはほとんどなく、馬に乗るよりも快適な時間を僕らは過ごした。


 昼頃まで走り、丁度信濃国に入ったあたりで僕らは一度休憩を取ってお昼ご飯を食べることにした。良さげなお店を探し、ふらっと蕎麦屋へ立ち寄る。


 屋敷での五年間は僕に力を与えるだけでなく、なんと任務分のお給料も与えてくれた。金貨が五枚に銭貨が十枚と、中々の小金持ちだ。


 今の倭国は三貨制度なので、金貨と銀貨、それに銭貨が存在している。金貨一両につき、銀貨四分。銀貨四分につき、銭貨十六朱。といった、下の単位の硬貨が四つ集まれば位が上がるシステムが構築されているのだ。


 しかし、この中で曲者なのが銀貨の存在。銀貨は金貨や銭貨と違い、係数貨幣ではなく秤量貨幣なのだ。それ故に持ち運びが悪く、流通も西倭国の商人達が牛耳る国でしかあまりされていない。言ってしまえば、シンプルに不便なのだ。


 だから基本的に、金貨と銭貨さえあれば不自由は無い。それを見越して、貞光さんは僕に銀貨を持たせなかったのだろう。


「いらっしゃい!お客さん、四名様で?」


「はい。かけ蕎麦をひとつお願いします。」


「わたしはあったかいそばがいい!あとつくね!」


「では私は月見そばで。かぐや様は?」


「ごめんなさい...。お店には入ったことがないものですから....。ええっと、じゃあ....春水と同じものを。」


 通された席に座り、注文を終えると四つの湯のみが出てきた。その中にはお茶ではなく蕎麦湯が入っており、職人の粋な心遣いがひしひしと感じられる。


 蕎麦を待っている間、僕は屋敷にいた頃を思い出す。蕎麦はいい。激闘の任務を終え、もう疲れきって胃に何も入れたくないと感じる時でさえ、腹は減るものだ。


 そんな矛盾を抱えた心に、荒れた胃袋に。そっと温みを与えてくれたのは、いつも蕎麦だった。ほのかな甘みのある汁を纏った細い麺が、苦労をせずともするする口の中に進んでいき、腹を満たす。


 ヤスと一緒に綱からボコボコにされた後や、長期の任務で二日ほど飲まず食わずだった後に。必ず僕らは蕎麦を食べに来た。


 でっぷりとした腹を携え、キラキラと禿げた頭を光らせる大将が出すあの柏蕎麦。あれ以上に僕らを助けた食べ物など、この世には存在しない。


(そういえば、あの大将はよく僕らにおにぎりを握ってくれたっけ。あ〜。最後に一回くらい食べて来ればよかった。)


 体が温まり、そろそろ店を出るかとしようとしたところで、いつもあの大将は僕らにおにぎりをサービスしてくれていた。豪快な笑みを浮かべ、「若いんだからこれもオマケだ。」なんて言って大きな塩むすびを一つづつ持たせてくれる。


 あの大将がいなければ、折れていた夜もあったかもしれない。それほどまでに、彼の作る蕎麦は美味かった。


 比較するつもりは毛頭ないのだが、差し出された蕎麦に大将の顔を思い出してしまう。湯気が立ち上り、かすかに香ってくる汁の甘さが。どうしても、大将の面影を感じずにはいられなかった。


 そこで、ふと今蕎麦を出てきた職人の顔に見覚えがあったことに気づいた。その職人を思い出すために靄がかった記憶を探ろうかとも思ったが、今はそれより蕎麦が大事だ。


 まずは一口。汁に浸らせた麺をれんげで受止め、猫舌故に一気に啜れない己を恨みながら息を吹きかけて冷ます。


 頬張りたかったさ。熱々の麺を、その熱を帯びた金色に光らせる薄い油を。でも、それは出来ない。どうしても、叶わない望みなのだ。


 ああ、今この瞬間にも。黄金は輝きを落とし、一滴一滴が残る蕎麦たちの元へと還っていく。もうダメだ。これ以上は許容できない。


 満を持して、僕は食べられるギリギリの熱さになった蕎麦を啜った。そうして、頭の中にかかっていた靄が、一瞬にして晴れ渡る。


「...................大将?」


 この甘みを、僕が間違えるはずがなかった。


 そんなはずは無い。大将の長年培った職人技を、こんな若い蕎麦職人が再現出来るわけが無い。それに、たった一瞬ではあったものの、口の奥へ広がる柚の風味。紛うことなき、大将の十八番。


「いやぁ。まさかこんなところでお客さんと会うなんて。覚えてます?あっし、あの大将の元で修行してた松平(まつひら)です。お久しぶりですねぇ、本当に。」


(松平、あの松平か!)


 かつて大将の元で修行を積み、大将とは味覚の方向性の違いで袂を分かった、大将が言うにはバカ弟子だった松平。


 一度だけ、彼の作った蕎麦を食べたことがある。あの時はここまでの完成度ではなかったはずだが、おそらく僕と同じで、彼もまた修行を積んだのだろう。


「自分で店を持ってみて、大将の言ってたことが分かった気がしますよ。大将、元気でやってますか?あ、はいお嬢ちゃん。つくね。」


「わ〜!卵ついてる!!」


 随分と雰囲気が柔らかくなったものだ。数年前まではあんなにトゲトゲしていて、もっと辛味のある蕎麦を打っていたはずなのに。


「最近は歳で営業時間を少し縮めたって言ってましたけど、でも全然現役ですよ。味も変わらずです。」


「そうですか。良かった良かった。それで、あっしの蕎麦はどうでしょうか...?大将とは、やっぱり似ても似つかないですかね。」


 蕎麦を啜る。花丸が、織が、かぐやが。それぞれ美味しそうに、舌鼓を打って蕎麦を堪能している。だったらこれが、答えなんじゃないのか。


 甘みと隠し味。大将と松平のそれらは、極めて似ている。しかしそれ以外が全くの別物。汁のコク、蕎麦の硬さ、そして何より、そば粉の含有量。


 おそらく大将の蕎麦の方が、そば粉の含有量が多い。当然美味い蕎麦を作るにはそば粉は多いに越したことはないし、その分麺そのものに深みが出る。


 されど、そば粉の純度が高ければ高いほどに、その扱いは難しくなる。松平は、それを理解した上で僕に問うているのだ。自分は、一体どれだけ高みに近づいたのかと。


「似ている...けど。どうしても、大将のものとは違います。」


 松平はやっぱりといったように肩を落とし、少し悲しげに微笑を浮かべた。違う。大事なのはそうじゃない。大将に似てるか似てないかじゃないんだ。


「似せる必要なんかない。松平さんは松平さんで、あなたの蕎麦を打てばいい。だって、この蕎麦は美味しいから。大将も、きっとそれを望んでいるはずです。」


 汁まで全て飲み干し、どんぶりの底が綺麗に見える状態で、僕は四人分のお会計を済ませた。少しだけ多めに払い、お土産につくねを一本貰って店を出る。


「あ、ありがとうございました!またのご来店をお待ちしております!!」


「「「「ごちそうさまでした!」」」」


 暖簾をくぐり抜け、僕達は再び常陸国を目指して出発する。お土産のつくねを持って、温い昼の陽気を浴びながら。


「しゅんすい〜!ちょっとだけそれちょうだい!」


「ごめんなさい。私もいいですか?あんまり美味しそうなので...つい。」


「我が王、私にも一口ください。」


 僕が後で食べようとしてたのに、つくねは一瞬で無くなった。僕は泣いた。

え〜...。昨日、蕎麦を食べに行こうとしたらお店が定休日で閉まっていました。そんな後悔を胸に書いた話です。

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