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百鬼夜行と踊る神  作者: 蠣崎 湊太
幼年編
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猿の夢

 目を使えないため、視覚以外の全感覚を研ぎ澄ませる。特に頼るのは聴覚。音の反響を聞き分けるなんて芸当はできないが、それでも攻撃のタイミング位は掴めるだろう。


「ワタシは、猩々といいます。あなたは、なんてナマエなのですか。」


 たどたどしい発音に加えて、場違いな発言が聞こえてきた。ただ、それは決して人間のものでは無いということがわかるような、不気味な音声だった。


「ノドの作りが違うので、あまりジョウズに話せないんです。すいません。」


「僕の名前は春水だ。こっちもいくつか質問したい、いいか?」


 なんだか気の抜けるような空気感が辺りを支配した。対話が成り立つということもあって、少しづつ自分の中で警戒が解けていくが、以前不気味さは宙を漂っているままだ。


「いいですよ。ニンゲンには優しくします。」


「優しくするって...じゃあなんで攻撃してきたんだ?こっちは目だって一回潰れたんだぞ。」


「アジが落ちるからです。それに、むやみにキズつけるのは、よくないことです。」


 前言撤回。会話は成立していなかった。猩々は最初から僕を食べるために行動していたのだ。今こうして会話をしているのも、おそらくはいただきますの挨拶程度の感覚なのだろう。先程よりも強く目を瞑り、距離を測るように後ずさりする。


「ニンゲン、食べると食べた分アタマがよくなります。だから食べます。」


「そうやって、今まで何人食べてきた。」


「数えてはいません。でも、オハカは建ててます。後で数えてみます。」


 その言葉をゴングに、ドンと地面を蹴りあげた音が木霊した。音からでもわかる、驚異的な膂力だ。十メートルほど離れていたであろう距離が一瞬で縮まり、腹部に経験したことの無い衝撃が走る。


 純粋な筋肉から繰り出される、シンプルな正拳突きが僕を襲った。それを食らった瞬間、必死の反応で吹き飛ばされないように腕を掴む。意識が飛びそうになりつつも、めり込んだ正拳を決して離すまいと力を込める。


 そして、ここぞとばかりに顔を突き出して目を開いた。眼前には猩々の驚いた顔。目をじっと合わせながら、煮えたぎるような脳みその暴走を抑える。元々意識が薄れていっているのもあるせいか、最初に猩々を見た時ほど酷く目をほじくり出したくはならなかった。強すぎた衝撃を受け止めた反動で次第に手から力が抜けていき、地面に吸い寄せられる。


 地に伏し、力なく立ち上がろうとする僕を、猩々は訳が分からないといったふうに睥睨していた。そんな何も理解出来てない猿に、ありったけの痩せ我慢を込めて僕は勝利宣言をした。


「見たよな、僕の眼球に映る自分の姿を!あれだけ強制力のある力なんだ、自分だって例外じゃないだろ!」


 はっと得心したような表情を見せた猩々だったが、もう既に手遅れだった。あの膂力が仇となり、凄まじい速度で自らの眼球を潰す。


 プチュっとぶどうが弾けるように血が飛び散るも、眼窩に収まった両指はまだ動きを止めなかった。目は完全に潰れた、ただトドメを刺すには至っていない。僕はふらふらと立ち上がって、一応目線を地面に向けたまま、猩々の影を伝って進む。


 影は悶え苦しんでいて、猩々の大きな悲鳴は影までもが叫んでいるようだった。


 目を瞑って猩々に向かい合う。そして眼窩から抜かれようとしていた指目掛けて、力を込めて拳を放つ。一発や二発じゃない。今持ちうる全ての力を使い、何度も何度も殴りつけた。殴る度に大きな悲鳴が上がるが、そんなもの気にもとめずに拳を続ける。


 長い指が眼窩を突き抜け脳までたどり着いたのか、少しの痙攣をした後、猩々は全く動かなくなり、仰向けに背中から倒れ込んだ。


 パリンと鏡が割れたような音が響き、今までの赤かった景色が嘘のように霧散した。刑部の言う血界とやらが壊れたのだろう。いつもと変わらない雑木林の光景は、何よりも鮮明に猩々の敗北を示していた。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 俺にはたくさんの家族がいた。百や二百じゃ利かない、大家族だ。みんな優しくていいヤツらばかりだった。それもこれも、全部燃えちまった。


 ある秋のことだった、その年は飢饉続きで、家族が次々飢餓で死んでいった。それでも俺の住んでいた森はまだマシな方だったようで、人里なんかはたいそう酷いことになっていた。


 食料がないせいで、人里に降りて食料を探しに行った時だ。ニンゲンの親が自分のコドモを食ってたんだ。衝撃だった。自分の家族を、ましてや子孫を食うなんて思いもしなかった。そんな意味のわからないことを、ニンゲン達は嬉々としてやっていた。


 恐ろしくなって、食料探しもままならないまま逃げ出した。怖かった。あんな光景二度とみたくなかった。森へ逃げ帰って、何の成果も得られずに半べそでのこのこ帰ってきた俺を、家族は暖かく迎え入れて慰めてくれた。


 ただ、家族のために何も出来なかった俺は自分を許せなかった。家族の優しさが、逆に痛かった。その日は家族と一緒に寝るなんて出来そうもなかったから、俺だけ木の上で空を眺めながら眠った。


 次の日、煙の匂いで目が覚めた。何事かと思い急いで木の上から地面を見る。地面では、地獄が行われていた。あんなに多かった家族が、全部木の枝に刺されて火で炙られていた。その火を囲んで、たくさんのニンゲンが俺の家族を齧っていた。ニンゲン達は涙を流して一心不乱に食事を続けた。


「これでワタシ達の里は飢饉をやり過ごせます。猿達には申し訳ないけど、これも生きる術。できるだけ感謝して食べましょうね。」


 ニンゲンは悲しくて泣いているのではなかった。少なくとも、今俺が流しているものとは別の何かだ。そう思った。


 気がついた時には、家族はみんないなくなって、ニンゲンたちが嬉しそうに自分たちの里に帰っていった。俺はちっとも嬉しくなんかなかった。


 こっそりニンゲンの後をつけて、里の中へと入った。その日は何も食べていなかったので、俺はやけにお腹が空いていた。空腹のまま歩いていると、ひとつの民家があった。なにか食べれるものがないか、探してみることにした。


 家の中には、小さな子ぶりの肉が入ったすいとんがあった。俺は辛抱たまらず、その肉を食った。


「ワタシの晩御飯だったのに...。」


 無我夢中で肉を頬張っていると、後ろからニンゲンの声がした。聞き覚えのある声だった。小さい肉じゃまだ足りなかったので、俺はそのニンゲンを食べることにした。


 味は、どうだったろうか。あまり美味しくなかった気がする。ぐちゃぐちゃになった肉を見て、ワタシはようやく全てを知ることになる。


 なぜ今になって、急に家族たちの居場所がバレたのか。答えは、ワタシが里に降りたからだ。ワタシが里に降りたのを、この人間が見つけて後をつけた。そうして家族の住処を発見したので、これを里中に報告。すぐに討伐隊が結成され、食料確保のために家族を殺して回った。


 これが真相だった。このニンゲンを食った瞬間から、このニンゲンの記憶が堰を切ったように流れ込んできたのだ。その記憶の中には、家族を切り裂き、肉を剥ぎ、すり潰し、炙り、味わった記憶までもが存在した。


 そして、ワタシがさっき食べた小さな肉は、ワタシの母親の眼球だった。


 丁寧に丁寧に、皮を剥いで肉を木に刺して。火は怖いので生み出せなかったけれど、それでもたくさんのニンゲンを食べることはできた。余った肉はそこらの木に刺したまま放置して、またお腹がすいた時に食べようと思った。


 そんなこんなで数日がすぎた。誰も居なくなった里に、何人かのニンゲンがやってきた。一人は赤毛の若い男、それに加えて数人の武士とよぼよぼの老人が一人。


 そろそろ新鮮なお肉が食べたかったので、まずは一番弱そうな老人から食べることにした。


「ただの猿にしては、血なまぐさいの。」


 老人は、一瞥もくれずにぽつりとそう言って、腰に差していた細い刀を抜いた。


 次の瞬間、意識が消えた。最後に見た景色は、首のない自分の胴体だった。


 老人たちもいなくなり、ワタシの体が完全に腐りきった時、再び意識が戻った。ボロボロの体に、真っ黒になった体。それなのに、どこからか力が湧いてくる。そんな不思議な感覚が全身を支配し、次に湧いてきたのは、相も変わらず空腹だった。


 ワタシは、もう何も考えられなかった。空腹だけが、ワタシの全てになった。

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