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百鬼夜行と踊る神  作者: 蠣崎 湊太
青年編
66/235

在りし日の月を想う

 


 クソみたいに息が詰まりそうな京の中で、唯一そいつだけがオレと同じ表情をしていたのを覚えている。どいつもこいつも出世だの、武勲だの。口を開けば金と権力の話ばかりで嫌になる。


 だが、あいつだけは違った。全てを諦めたみたいな顔をして、ただ静かに月を反射している黒い髪は、オレにとってどんな権力や金なんかより欲しいものだった。


「そこのお方。お名前を、聞いてもいいですか?」


 同い年の女の子に、初めて声をかけられた。もしかしたらこいつも、誰も味方が居なくて寂しかったのかもしれない。


「保昌ってんだ。アンタは?」


「かぐやです。」


 ぶっきらぼうな女で、愛想なんてありやしない。けれどやっぱりその目は寂しそうで、オレはその日からなんとなくかぐやのことが気になり始めた。


 それから少しの時間が経っても、かぐやは無愛想なままだった。他人に心を開こうとしない、どこまでも虚無だけが横たわっている冷たい瞳。オレにはかぐやが生きているのか、それとも死んでいるのか判別がつかなかった。


 そんなかぐやへの想いは、ある日を境に一変する。あれは確か、貴族たちの会合があった日の夜のことだ。オレも一応はそれなりの血筋なので、会合に参加し軽く自己紹介を済ませる。


 会合も終了が近づき月が丁度真上に浮かんだ頃、襖の奥から薄着を着たかぐやが、いつもの表情でこの場に現れた。


「おぉ、そうか!保昌は初めてだったな。おい!かぐや!早くこっちに来い!」


 そう言って親父殿がかぐやの綺麗な髪を粗暴に引っ張り、こちらへとグイグイ引き寄せる。オレは個人的に怒りもしたが、まずそれ以上に恐ろしいとも思った。


 だって、かぐやはあの帝と中宮の間に生まれた正式な血筋だ。そんなやんごとなき身分であるかぐやをこうも乱暴に扱って、帝やほかの貴族が黙っているわけが無い。


 そんなオレの青ざめる表情を見て、親父殿は下卑た笑いを浮かべた。それにオレは違和感を覚え周りを見渡すと、周りの貴族たち、ひいては帝も同じように下卑た笑顔を張りつけていた。


「この女はな、帝の子なんかじゃない。いやまあ、そういうことにはなっているがな。この女は、人間の形をしただけの、月の欠片だ。」


 親父殿はそう言ってかぐやの服を裂き、その瑞々しい白い肌を全面に露出させた。かぐやは、これがいつもの事であるかのように表情を変えない。


「この女の体には特別な力がある。こいつは、抱けば抱くだけ寿命が伸びる。竹から産まれた常識外の女だ。不老不死の力を得れるのだぞ?ほら、お前と同じ年頃の娘だ。お前も武士として、女を知っておいて損はあるまい。」


 この時やっと、オレは全てを理解した。かぐやは生きてなどいなかった。ただ死んでいないだけ、生かされ続けているだけだったのだ。


 そこに喜びはなく、感情はなく、意思もない。男たちの寿命を延ばし、無聊を慰める為だけに使われてきたのだろう。親父殿の表情が、他貴族の視線が、オレに彼女の無表情の答えを告げていた。


「このガキッ!ちょっとくらいは笑ったらどうだ!ほら、笑え!もっと喘げ!クソッ!!」


「はい。あっあ。ありがとうございます。気持ちいいです。」


「下手くそがッ!これじゃあそこらの遊女の方が何倍もマシだ!もういい!保昌、お前に譲ってやる。」


 投げ捨てられたかぐやの真っ黒な目が、こちらを真っ直ぐに見上げた。こちらを見ているようで、まるで見ていない視線。頼むから、そんな目で見ないでくれ。


 オレはその夜、かぐやを抱いた。好きな人に初めてを捧げたというのに、オレはちっとも嬉しくなんかなかった。かぐやはその日から、少しづつ愛想が良くなっていった。


 人工的な笑顔、作られた声の抑揚、わざとらしい所作。それら全てが発される度、あの夜傷ついたオレの心に塩を塗りたくり続ける。


 それでもやっぱりオレは、かぐやが好きだった。オレが助けてやらなきゃいけないと、本気でそう思った。

 利用価値があり、まだまだ使い潰されるであろうかぐやを外に連れ出してあげることは、決してできない。


 だからせめて、オレが隣で守ろうと思った。オレが偉くなって、強くなって。それでかぐやを独占すれば、もうあいつは傷つかなくて済む。あんな、痛々しい笑顔をさせなくて済む。


 そう思って訓練を積んでいた矢先、かぐやはとあるもののけに狙われて遠くの屋敷に移されることとなった。オレはそれを知ってから必死で親父殿に陳情し、なんとかその屋敷に修行という名目で居候できるよう約束を取り付けた。


 屋敷での生活は、かぐやにとって短い安息だったのだろう。今まで通り外にできることはできない。けれど今までのように犯されることは無い。


 刹那の安寧の中で、オレとかぐやは蜜月を過ごす。はずだった。春水。ぽっと出のよく分からない男に、かぐやはどんどん惹かれていった。


 かぐやも最初はいつもと同様に作り物の演技を春水に見せていたのだが、ある日を境に段々熱が帯び始めるようになった。


 はっきり言って焦った。薄暗い気持ちを春水に抱え、どうしてぽっと出のあいつが。と恨みかけたことさえあった。


 だけど、あいつは良い奴だった。せめて春水が最低最悪のカス野郎だったなら、オレもあいつを憎んで、何がなんでもあいつをぶっ飛ばしただろう。


 でも、そうはならなかった。オレにはどうやったのか分からないが、あいつはあいつなりにかぐやと真剣に向き合って、そうしてかぐやの閉ざされていた心を開いたんだ。


 そもそもあの夜、かぐやの熱を拒絶しきれなかったオレには、最初からかぐやを好きになる資格なんて無かったのかもしれない。


 あの時、あの時。もし、あの時少し勇気を出して、かぐやを連れ出せていたら。隣で守るなんて、そんな悠長な事じゃなくて。駆け落ちしようって言えていたなら。何か、変わったのか。


 募るのは後悔ばかりだ。どうすればよかったのかも分からない、曖昧な試行錯誤の末にたった一つ。たった一つだけ、確実なことが分かった。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「オレじゃ、かぐやは救えないんだよ。」


 誰にも届かない独白。もう行ってしまった春水を見送ることも無く、オレはただ一人、月が出るまで地べたに大の字で倒れ込んでいた。


 月明かりは煌々と惨めなオレを照らし、鮮明なまでみっともない影を落とす。そんなオレを囲むように、四つの影がゆらりと現れた。


「ヤス〜!これから遊郭でも行こうぜぇ!嫌なことはパーッと飲んで、綺麗なおねーちゃんのおっぱいで癒すんだよ!!ほら行くぞ行くぞ!!」


 綱がびちゃびちゃと倒れ込んでいるオレの顔に酒を掛け、たまらず起き上がった背中をバシバシと叩く。


「春水くんも行っちゃいましたからね。遊郭じゃないなら、僕も久々に付き合いますよ。綱さん。」


「.....普通に酒場でいいんじゃないの。ねぇ、保昌。」


「遊郭なんて保昌にはまだ早ぇよ、お前の趣味に付き合わせようとするんじゃねぇ。」


「ったく!!!てめぇら!俺の気遣いを台無しにするんじゃねぇ!!!チッ。.......まぁなんだ。今日は俺が奢るぜ、バカ弟子。」


 綱がそう言って手を差し伸べてくる。オレは、なんだか泣き出したい気分だったが、なんとか涙を抑えて綱の手を取った。ここに居る四人全員がそれを分かっていたのか、一人づつオレの背中を叩く。


「オラッ!行くぞ?!」


「よく頑張りましたよ、保昌くんは。」


「.....うん。この五年は、無駄にはきっとならない。」


「相当、保昌も強くなったしな。しかもまだまだこっから先も長ぇんだ、あんま気負いすぎんなよ。」


 多種多様な叱咤激励にオレは我慢しきれなかった。でもみんながオレの前を歩いてくれていたから、オレは泣き顔を見られずに済んだ。その四つの背中が、どうしてかいつもより何倍も大きく見えたことは、きっと錯覚なんかじゃ無いんだろう。


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