四年の末に
瞬歩。古武術の一つであり、重さを抜くことで移動速度を飛躍的に向上させるという代物だ。それに加えて移動速度が上昇するだけでなく、予備動作さえも省略できてしまうところがこの技の恐ろしいところ。
しかし、そんなものはこの四年でヤスだけでなく僕も習得を終えている。鍔迫り合いを切り上げるために左足を回転させ、続いて全身を左足に合わせて回転。
遠心力を孕んだ回転斬りの剣戟がヤスを軽く弾き、刀を持つ両腕が浮いた。そのまま刀を放り投げさせるべく、丸々一周の回転を終えて元の位置に戻ったところで渾身のサマーソルトを繰り出す。
蹴りは完璧に刀の持ち手を打ち据え、刀ははるか上空へと吹き飛ばされる。ただ、刀を失い徒手空拳となったヤスがこちらのサマーソルトの後隙を狙い、着地タイミングをぴったり襲撃してきた。
僕が刀を握っている方の腕を掴んで固定し、全体重を駆使してこちらの体制を崩しにかかってくる。これまた、古武術の斬り落としという技だ。
足をやや地面から浮かせることで地面に向かうはずだった自分の体重全てをダイレクトに相手に伝え、体勢を崩すという高等なテクニック。
しかも、サマーソルト直後の速さが乗った着地をしようとしている僕に対して、この技は致命的なまでに相性が悪かった。
呆気なく僕は地面に転がされ、迫り来る追撃をなんとかゴロゴロ横に逃げることで回避する。そうして僕が逃げている間にヤスも後方へと下がり、落下してきた刀をキャッチして再び剣戟が繰り広げられた。
(体格上、寝技に持ち込まれたら勝てるかどうか怪しい...。だったらこのまま剣術勝負をしていた方が、確実に勝率は高いはずだ。)
そう思い、ヤスの袈裟斬りに対してこちらも逆方向からの袈裟斬りで相殺しようとした刹那、ヤスの刀がこちらの刀をするりとすり抜けた。
予想だにしていなかった出来事に一瞬対応が遅れ、僕は刀を手放させられた上で右の手から一筋の血が流れ出した。
(刀がすり抜けた....?まさか!ヤスのやつ一体どれだけ隠れて修練を積んできたんだ?!)
「影抜き....。剣術の中じゃフェイントの極地だろ。四年そこらで習得できる技じゃない....!」
刀同士がぶつかる直前で自らの刀を縮地の足さばきの様に浮かし、そのまま相手の刀を稲妻の形で乗り越えて斬り返す。
形容してみればこれだけの動きだが、実際にやってみるのは難しい。そもそも真剣の重さでこんな無茶な動きをしようとすれば、間違いなく速さは落ちる。さらに生半可な習熟度では刀がぶつかる瞬間に方向転換のため急ブレーキを踏まねばならず、フェイントとしての価値は一気に地の底まで下落するはずだ。
剣の才があるものが、人生を賭してやっと到達できるかどうかの到達点に、ヤスはたったの四年で至った。それはひとえに想いの強さか、それとも純粋な刀への探究か。
僕は思わず口角を上げてしまった。これ程までに至った最高の好敵手、嬉しくないわけが無い。流れ続ける血を端目に、僕は全力でその感動を表現した。
(刀もない。膂力でも劣ってる。だったら速さで凌駕する!)
仙骨を起点とし、背骨ごと全身を移動させて拳を前に突き出す。イメージするのは縮地。されどそれよりも早く、予備動作なく相手へ攻撃を届かせる。
「ぐっ!やっぱ速ェなちくしょう!」
怯んだ体勢からでも、ヤスはこちらを飛びのかせようと横薙ぎを繰り出してくる。だがやはり甘い。僕はそれを高く跳躍することで上へ回避し、容赦のない回し蹴りをこめかみへとめり込ませた。
ヤスは吹き飛んだものの、刀だけは手放すまいと強く握っていたようで、獲物を取り上げることは叶わなかった。
それでも十分な程に距離が空いたので、僕は自分の刀を拾い上げて投擲。吹き飛んだヤスに時間を与えないように、刀で間を潰す。
タイミングを合わせて投擲したので、立ち上がったヤスはこちらの刀を処理するために自らの刀を振るわざるを得ず、当然その後僕が放ったドロップキックをそのまま受けた。
「カハッ.......。まだ....終わっちゃいねェよ...!」
腹に思いっきり攻撃を受けてなお、それでも刀を杖のようにして地面に刺し、体を奮い立たせた。もう剣術勝負なんてそこには無い。あるのは漢と漢の意地だけだ。
ヤスは想いのため、僕は約束のために、お互い拳を構え合う。とは言っても向こうは満身創痍、もはやこれ以上の動きは精細を欠いたものになるだろう。と、ヤスを知らない人間であればそう思うに違いない。
だが、今僕が相対しているのは藤原保昌。追い詰められれば追い詰められるほど力を増す、常識外の化け物だ。
手負いの獣がいちばん恐ろしいとはよく言ったもので、その凄まじさはこれまでの一緒にこなしてきた任務で嫌という程分からされている。
一番イカれてたのは三年目の夏、とある国で猛威を奮っていたもののけと戦った時のエピソードだ。ヤスは瀕死の重体の上、半分ちぎれかかった腕で相手を殴り飛ばし、そのままもののけを討伐した。
さすがにその後道鏡に治してもらったが、当たり前に貞光さんからの説教を受けた。ただやはり、あの時のヤスの剣幕は今でも鮮明に思い出せる。
「シュン!!!筋トレ勝負はオレの圧勝だったろうがァ!!!!くたばれぇぇえええええ!!!!!」
「たかが腕立て一回分だろ!!!調子に乗るなあああああああああ!!!!!!!!!」
武術なんてへったくれもない、拳と拳のぶつかる鈍い骨の音。これでいい。汗と血が飛び散り合い、互いに獰猛な笑みを交わしてひたすらに殴り合う。
鳩尾を殴れば、相手も同じように返してくる。顔面を蹴り飛ばせば、それまた同じように顔面を蹴り返される。意地の張り合い、力の応酬、ボロボロの全身をこれでもかと振り回し鎬を削った。
「お前はっ!!かぐやのことが好きなのかよ!!どうなんだァ!!!!」
ヤスの拳が僕の頬をぶん殴る。僕はそれに耐え、そのまま接近して頭突きを放つ。頭突きはヤスの顔面にクリーンヒットし、見事鼻血を噴出させた。
「好きだよ!!!!ずっと三人でいたいって!!!一緒に太陽を見ようって!!!約束したんだ!!!!」
鼻血を出したまま、向こうはフラフラとアッパーを僕の顎に向かわせてくる。それをすんでのところで避けたが、そのせいで体勢が崩れてしまった。
「そう言う好きじゃねェ!!!!!!オレが言いたいのはなァ!!!オレがっ!!!言いたいのはなァ!!!!!!」
急に、拳が目の前に現れた。僕はそれを避けることが出来ず、トドメにも思える一撃が僕を襲う。
「お前が!!!!かぐやを愛してんのかって事だよ!!!!!!!」
地面に大の字で転がり、僕はヤスのそんな言葉を頭の中で反芻し続ける。五年間も一緒に過ごして、笑顔も泣き顔も、色んな表情を見てきた。
感覚として蘇る、あの時僕の背中を支えてくれた温かさ。死を覚悟した、からくり歌舞伎の強敵。そんな相手と向かい合った時、後ろで支えてくれたのが、かぐやだった。
あの温かさに、僕は救われたんだ。そんな相手との約束を守るために走ることが、愛じゃないんだって言うなら、じゃあ一体何なんだよ!
立ち上がれるはずもないのに、なんだか背中から温かみを感じて僕は立ち上がった。そんな僕の表情を見て、ヤスはどこか納得したように目を細めた。
「そうか......。なら、もう言葉は要らないな。」
ゆっくり、一歩一歩を踏みしめるように歩み寄る。それはヤスも同じで、互いがこれを最後の一撃だという確信を持ちながら距離を縮めていく。
そうして、ようやく拳が届く距離までやってきた。無限かと思うほどの静寂が流れた後で、勝負は一瞬にして決着した。
クロスカウンター。互いの頬に互いの拳がめり込み、今にも倒れそうな体を意地で固定し続ける。しかし、そんな維持にも限界がやってきた。
僕が膝をつき、その場に屈むようにして倒れ込むと、ヤスは少しの笑みを見せ、血とともにその一言を吐き出す。
「かぐやを、頼んだ。」
ヤスは後ろにバタリと倒れ、そのまま気を失った。




