天蓋の穴
かぐやはほんの少しだけ俯いて、それからまたいつものように笑顔を作った。その優しさが、今の僕らには痛かった。
「私は....何も出来ません。このご時世、誰もがあくせく働いて毎日を必死に暮らしていると言うのに、私はただ部屋にいるだけ。ですから、これは今までの報いみたいなものなんです。そう考えれば、どうってことないでしょう?」
全ての仕草がわざとらしい。僕にとって、かぐやはもう五年の時間を共に過ごした友達だし、ヤスに至っては僕なんかよりも長い時間をかぐやと過ごしている。
彼女の心の痛みが、手に取るようにわかった。僕が見てきただけでも五年、彼女はこの屋敷から出ていない。想像もできないことだが、かぐやは太陽を知らないままずっと薄暗い部屋に軟禁され続けてきたのだ。
常人ならば発狂していてもおかしくない。いくら日々の苦労が無いとはいえ、ほとんど外に出ることが叶わないモノクロな生活は、かぐやに耐え難い苦痛を与えてきただろう。
そんな仕打ちを受けてなお、彼女はこれが貴族の権利であり、それに見合った果たすべき義務が存在すると、そう主張している。
「知らない人と結婚って...。そんな、かぐやの気持ちはっ?!」
唇を血が出るほど食いしばり、心を何とか押さえつけているヤスが僕の言葉を遮った。ヤスは自分にも言い聞かせるように、大きく息を吐いて言葉を紡ぐ。
「シュン。貴族には.......よくあることなんだ。............受け入れなきゃ、いけねェんだよ。」
ヤスは普段、粗暴な言動が目立つがその実はいい家の出身である。だから小さい頃は京にいたらしいし、そこでかぐやにも出会ったそうだ。
そんなヤスが、貴族の習わしなどを知らないはずもなく。ヤスはこの結婚に異議を挟むことが出来ないと心底理解している。しかしだからこそ、やり場のない感情が心の中をぐちゃぐちゃに踏み荒らすのだ。
貴族は見合い結婚が当たり前。しかもかぐやに至っては正当な帝の血筋だ。慣習に抗うことなどできるはずも無く、僕らはこの現実を受け止める他ない。
「そんなに心配しないでください。どうせ、叔父上に近しい貴族と結婚されられるんでしょうけど。でもきっと大丈夫です!私、環境に慣れるのは得意なんですよ。」
ヤスはとうとう耐えられなくなったのか、かぐやに背を向けてどこかへと走り去ってしまった。無理もない、僕らにはそれくらいショックな出来事なのだ。
きっと、ヤスはこの日が来るのをわかっていただろう。それでもこの五年というあまりにも長い歳月は、僕らをずっと一緒に結びつけておいてくれると、そう勘違いさせるのに十分すぎる時間だった。
かぐやはヤスがいなくなったあと、やっぱり少し悲しそうな顔をした。僕とヤスだけじゃない、辛いのはかぐやだって一緒で、その気持ちはみんな同質のものなのに、どうしてか僕ら三人はバラバラになってしまった。
「今日、もうあとすぐしたらここを出るんです。だから今日が、ここで会える最後の日で...。春水さん。約束、守れなくてごめんなさい。」
とびっきりの、引きつった笑顔。雫を少し顔に張りつけ、痛々しいまでに口角を吊り上げた下手くそな笑顔が、そこにはあった。
僕は何も言えないまま、屋敷を出ていこうとするかぐやを門まで送り、使いの者によって牛車へと閉じ込められる彼女を最後まで見届けた。
「いやぁ。拙僧は元々かぐや様の護衛。ですのでここでお別れでございます。どうか春水どの、ご達者で。」
道鏡が僕の背後からにゅっと現れ、そのままかぐやの乗っている牛車へ近づいた。そうしてかぐやとともに屋敷を出発しようとする直前、道鏡は独り言をボソリと呟いた。
「休憩なしで京に行くのはやや疲れますからな。そうそう、近江の辺りに城があったはずです。そこで一晩休憩して行きましょう。」
立ち尽くす僕に、道鏡が目配せをしてくる。本当に、いやらしい生臭坊主だ。でも彼のそういう憎めなさが、僕は好きなのだ。
心の中で道鏡に感謝をしつつ、僕は出発した牛車をある決意とともに眺めていた。
「約束、破らせたりしないよ。かぐや。」
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次の日の朝、僕は最低限の荷物をまとめ、織と花丸を連れて金時へ話をつけに行った。話の内容はもちろん、今まで世話になったということと、今からかぐやを攫いに行くということ。
「確かに、もう約束の五年だしなぁ...。だけどよ、そう素直にはいそうですか。って、行かせられると思うか?」
「それでも、僕は行きたいんです。かぐやが僕と行きたくないって言うんだったら、せめて一回だけ、たった一回だけでいい。かぐやに、太陽を見せてあげたい。」
金時は黙りこくったまま、頭を下げる僕を見続けていた。それからガリガリと頭を掻き、数分悩んだ後に結論を言う。
「俺はこれから任務がある!だから何が起こっても知らねぇし、関与もしねぇ!これでいいな!」
「へぇ。金坊も随分とヤキが回ったもんだなぁ!一丁前に兄貴分ぶりやがってよ!」
横から出てきた綱さんが金時に絡み、それを金時は心底うざったそうに顔を歪めた。その後すぐに貞光さんや季武さんも姿を現し、いつものガヤガヤした雰囲気がようやく戻ってきたようだった。
「.....囚われのお姫様を助けに行く....か。頑張ってね、春水。」
「なんだよ季武。なんかやけに気合い入ってるじゃねぇか。どうした?」
「....なんでもない。.........ちぇっ。」
「綱さんも季武くんも!そんな遊びじゃないんですよ!あ〜また書類が増えちゃう.....。春水くん!くれぐれも!正体がバレないようにしてくださいね!じゃないと、私が春水くんを討伐しに行かなきゃならなくなっちゃいますから!」
貞光さんが僕の肩を掴み、ガシガシと揺さぶってくる。なんだか貞光さんの剣幕が冗談には思えないほど凄まじく、僕は若干恐怖を覚えた。
(正体だけはバレないようにしよう...。本当に、こういう時の貞光さんってなんか怖いんだよな...。)
そんな風に五人で騒いでいると、いつの間にかヤスが真剣を二本携えてやってきた。その表情はかつてないほど晴れやかで、迷いなんて一切感じさせないような目付きだった。
ヤスは真剣の片方を僕に手渡し、それから自分の手に持っていた刀を鞘から抜く。その後刀の切っ先をこちらへ挑発的なまでに向け、声高に宣戦布告をした。
「オレはかぐやが好きだ。ガキの頃からずっと大好きで、結婚してぇと思ってる。だからよ、シュン。この試合で俺が勝ったら、あいつはオレが貰ってく。」
刀が、やけに重くなった気がした。僕はヤスの純粋な覚悟の前に、ヤスの本気を垣間見てしまったのだ。僕の思いとヤスの想い。これら二つの重さは火を見るよりも明らかで、僕の中途半端な思いではこうして向かい合うことさえ失礼なんじゃないか。
「オレには立場ってもんがある。もしこんなことがバレたら一族全員打首かも知れねぇ。それでもよ、好きな女をみすみす行かせて、縮こまってるような男にはなりたくねぇんだ。」
「そっか....。ヤスがそう言うんなら、僕はゆず」
刹那、縮地を駆使し距離を潰してきたヤスが、有無を言わせずこちらに刃を押し付けてくる。僕はそれを鞘が着いたままの刀で半ば反射的に受け止め、拮抗した鍔迫り合いへと持ち込む。
「ここで戦え。お前がかぐやをどう思っていようと、オレはお前とここで戦わなきゃならない。今まで決着がつかなかった剣術勝負に、ケリをつけようぜぇ!!!!!!」
たった一度の刀の逢瀬で、僕はヤスの全てがわかった。想いも、今までの積み重ねも、全てたった一人に向けたもの。
共に過ごし、流した五年分の汗と涙。燦然と輝く青春の思い出たちを共有している僕に、相棒であり、何より好敵手だった僕に。
(勝ってから、打ち負かしてから迎えに行きたいよな。それを、戦わずに譲るだって?ヤスの研鑽を、努力を、日々を隣で見てきた僕が?それは...ヤスに対する侮辱だろ!)
鞘が撃ち合いに耐えられず、その身を破裂させる。むき出しの刀身がギラギラと光を反射し合い、そこにはもう陰りは無かった。
「ヤス、決着をつけよう。本気で。いや、殺す気で行くから。」
「上等だぜェ!!!手加減なんてしたらぶっ殺す!!しなくても、ぶっ飛ばすけどなァ!!!!!!」




