手のひらを溢れ落ちるもの
その日の朝は怒号から始まり、朝食となるはずだった食料を深夜に盗み食いした犯人を特定する犯人探しが行われた。
だが結局犯人は見つからず、昼には道鏡が托鉢をして回った。と言って沢山の食料を持ってきたので、事はなんだかんだ有耶無耶になった。マッチポンプもいいところだ。
道鏡はこちらを見て目配せをし、人差し指を口に当ててジェスチャーを送ってくる。ただの生臭坊主のくせに、道鏡はどこか愛嬌があって憎めない。
僕は昨日の話について道鏡か金時と詳しく話したいと思い、声をかけようとした。しかし、その途中で頼光さんに呼び止められたのでそちらを優先する。
「今宵、部屋に来い。話がある。」
端的かつ淡白なその言葉は、やっぱり冷たかった。この一年、僕は屋敷のみんなとの距離をグッと縮めることが出来たが、頼光さんとだけは未だにあまり話したことがない。
頼光さんはこの一年で見違えるほどに老け込み、今ではろくに任務に出ることさえしていない。それでも纏っている雰囲気のようなものは依然堅苦しく、僕が暴れた時に殺され続けたからというのもあって、やはりどうしても僕はあの人に少し苦手意識を持っていた。
「夜ですね、分かりました。それじゃあまた夜に。」
それから頼光さんはすっと踵を返して、屋敷の奥へと消えていった。それを見届けてから僕はいつも通り訓練をヤスと行い、夜になるまでの時間を研鑽に費やした。
汗を流すのはいい。ぐるぐる回る悩みが自分の外に汗となって出ていくようで、あれこれ考えなくて済む。肉体の疲労が思考を削り、余分な迷いを投げ捨てる。
「あれこれ考えるよりっ!こっちの方が僕は好きだな!」
「そういうのよ!思考停止って言うんじゃねェか?」
木剣同士がぶつかり、ヤスに核心をつかれた事で手元が狂う。それにより一瞬重心がぶれ、相手に付け入る隙を与えた。
僕の木剣が宙を舞い、無手になった僕にヤスがすかさず横薙ぎを繰り出した。それを無理やり仰け反ってバク転で回避、そのまま伸ばした足でヤスの空振った木剣を蹴り上げる。
お互い徒手空拳になったが、訓練は終わらない。今度は素手による打ち合いが始まり、熾烈な攻防が幕を開ける。
「シュンは甘ェよ!迷ったら仲間が死ぬんだ、だったらそんな暇っ!ねえだろうが!」
右からのストレートを繰り出そうとするヤスに急接近し、腕に速さが乗る前に右手を掴んで攻撃を未然に防ぐ。そうしてそのまま頭突きで一撃を与え、距離が空いたところを回し蹴りでさらに吹き飛ばす。
「そう....だよね。分かってる、分かってるんだ。」
「分かって....ねェよ!」
吹き飛んで尚力強く戻ってくるヤスが、土埃の中から凄まじい速さでラリアットを構えて突撃してくる。速さに対応できずそれをまともに貰ってしまい、僕は地面に強く押し倒された。
「いっ?!痛ったぁ~......。絶対たんこぶできたよこれ。不意打ちはズルくない?」
「実践でズルいなんてねェんだよ。あと、シュンは分かってねェ。だから一つ、教えておいてやる。」
たんこぶを抑えて地面に倒れ込んでいる僕に、ヤスはその手を差し伸べた。僕がそれを取って起き上がると、ヤスは小っ恥ずかしそうに言葉を続けた。
「シュンは一人じゃねェ。だからシュンが迷った時は、相棒のオレを頼ればいい。心配ねェ!オレたち二人がいれば、最強だろ?綱にだって負けねぇさ!」
グーの手がこちらに向けられ、僕もそれに答える。ごちんと骨の鈍い音が鳴り、自然とお互いに口角が上がった。
「ああ。僕たちは最強だ。だから、これからも頼らせて貰うよ、ヤス。」
「応!それはこっちもだぜ!あ、今度二人で綱と組手しねェか?今のオレたちなら絶対いける気がするんだよ!!」
「誰が俺に勝てるって?随分デケェ口叩くようになったじゃねえか。」
突然、僕たちは背後に現れた綱さんにボコボコにされた。まだまだ最強には程遠いという事が綱さんによって分からされたが、それでもまだ僕はヤスが心強かった。
一人じゃない。一緒に悩める人がいる。たったそれだけのことが、僕の迷いを少しだけ晴らした気がした。
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夜、頼光さんに呼ばれた通りに部屋へと赴く。部屋の中には真ん中に白い左前の和服を着た頼光さんが鎮座していた。
酷く寒々しい部屋からは刀と布団以外の全てが綺麗さっぱり取り去られており、その光景はまるでこれから自刃でもするかのような、そんな景色が広がっていた。
「来たか、そこに座れ。」
背中に冷水をかけられたのかと思った。生者の声とは思えない、熱を一切感じさせない声色が辺りに響き、僕はあまりの雰囲気に有無を言う前に座ってしまった。
「報告書を読んだが。はっきり言おう。失望したぞ。」
「......はい。申し訳ない、です。」
正座のまま、僕は膝に当てていた手をグッと握った。僕が京極たちにトドメを刺せず、見逃してしまったと言うのは純然たる事実だ。結果としてヤスが僕の尻拭いをしてはくれたらしいが、言い訳も申し開きもできるはずがない。
「貴様は強くなるためにここに来たと、そう言ったな。あれは嘘偽りか?」
「そんな!そんなことは...嘘なんかじゃない...です。」
「フン。ならばこれを見ろ。これが貴様の、弱さの報いだ。」
どんと、こちらに向かって突然ボロ雑巾が投げつけられる。あちらこちらに切り傷をつけ、血を流しているそれは、僕にとって見覚えのあるものだった。
「わぉ.....。わぉん....。」
「花丸!!!!!!!!」
一目見て理解した。最早助かるような傷では無い。足は取れかかっているし、内蔵だって零れ出している。僕は必死で零れてている花丸の内蔵を元に戻そうと中に詰めたが、そんな行為が意味を持つはずもなく。
「その犬畜生はもう時期死ぬ。元々そこらから儂が拾ってきて貴様にくれてやっただけの捨て犬に過ぎんからな。それにしてはいい薬になったろう?分かるか?貴様の迷いが!弱さが!情が!貴様から大切なものを奪い去ったのだ!」
「あぁあ....。花丸....!いや、大丈夫だ。道鏡に見てもらおう。あの人ならきっと治せる。だから安心しろ花丸!大丈夫、大丈夫だ!」
頼光さんが何を言っているのか、全く聞き取ることが出来なかった。今はそんなことより花丸の安否の方が大切だからだ。僕はすぐに花丸を抱えて立ち上がり、道鏡の元へと駆け抜けようとした。
しかし、それを頼光さんは許さず、僕は頼光さんの蹴りによって庭へと吹き飛ばされる。それと同時に手に抱えていた花丸までもが両の腕から放り出され、地面へと転がった。
「我が息子も...貴様のような軟弱者だったよ。そのせいで死んだ。情が頼国を殺したのだ。非情であれ。ただ殺戮だけを嗜む、冷徹の刀であれ。それが貴様の、我が後継としての役割だ。理解しろ、犬。」
耳が遠い。眼前の冷たい重さが、嫌に僕の脳みそを掻き回す。僕のせいなのか?僕のせいで、僕のせい?僕があの時殺しておけば?僕が?なんで?僕のせい?僕?僕?僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕僕?
「...........僕が、弱いから?」
「そうだ。貴様が弱いからだ。」
「僕のせいで、花丸は死んだの?」
「そうだ。貴様のせいで、この犬は死んだ。」
思考がまとまらない。あれ、呼吸ってどうやってするんだっけ。涙が止まらない。月ってこんなに、ぼやけていたっけ。
「覚えておけ。弱ければ、失うだけだ。」
頼光さんはそう言って、自室へと戻った。僕は一人、月の下で花丸の死体を抱き抱えながら、空へ向かって声にならない声で吠える。
透明な血液を一身に浴びて、花丸は虚ろな目でただ静かに僕を見ていた。そうして、月は影を帯びる。




