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百鬼夜行と踊る神  作者: 蠣崎 湊太
少年篇
60/235

命は等しく輝いて(八)

 船を降り、隠岐島に僕らが着いて最初に感じたのは、むせ返ってしまうほどの死臭だった。そして、その死臭を放っていたのは予め配置されていた兵士十人と、そのほか元々この島に住んでいた現地人全員だった。


「綱さん!聞いてた話と違うじゃないですか!茨木童子は瀕死の重体で、普通の兵士でも始末可能なんじゃ無かったんですか?!」


「.........落ち着いて貞光。死体の損壊具合から見るに、鬼の爪じゃどうやってもこうはならないよ。」


 作られた死体はほとんど全てが一撃で仕留められており、断面が綺麗にすっぱり切れていた。通常、人体を切断するのであればどれだけ切れ味のいい刀であっても少しは歪むものだ。


 しかし、そこらに散らばっている死体にはそのような歪みがない。相当人を切り慣れている手練か、そういう魔術か。どちらにせよ、少なからず手負いの者にはできるはずもない芸当だ。


「とにかく、何か情報がないか調査からだな。探し漏れがあるかもしんねぇ。生存者がいたら即刻保護して話を聞こう。それでいいな!全員!」


 パンと手を叩き、みんなの注目を一気に集めた金時が音頭をとってここにいる全員に指示を出した。その指示に不満のあるものはいなかったため、すぐさま確実調査に乗り出す。


 そうしてしばらく調査した後、一本の白い毛と砂浜近くの海岸に揺れる船が見つかった。おそらく船は茨木童子が乗り捨てたものだろうと浜の足跡で断定し、兵士の死体の位置から、茨木童子と兵士たちがここで戦闘になったことが伺えた。


「チッ。白い毛でここまでの手練。ついでに茨木を助ける理由のあるやつなんざ、一人しかいねぇだろ。」


「....白面妖狐(はくめんようこ)か。僕たちがあの時殺し損ねた九尾の子が、人間に恨みを持って帰ってきた...ってとこかな。」


 白面妖狐。貞光さんの授業で習った知識で知っている。真っ白な狐のもののけで、二十年前の合戦でその血を絶やしたと言われる伝説級の怪物だ。


「狸はともかくよ、狐は滅びたんじゃねェのか?先代の白面妖狐が末代で、犬神形部(いぬがみぎょうぶ)も先代が末代だったって聞いてるぜ?」


 僕は二十年前の合戦の内容を詳しくは知らない。けれど、狸という言葉を聞いて胸がザワっとした。僕はポケットの中に手を入れて、彼女を思い出すように花飾りを触る。


 狐と狸。なぜ狐だけが滅び、狸はまだ種を残しているのか。僕の中で疑問が渦を巻き、どんどんと動悸が早くなっていく。


(狐が人間に恨みを持っている...。だったら、狸はどうなんだ?狸も、狐と同じように人間を恨んでいる...?)


 考えてみればそうだ。神を堕ろす行為に、人間への報復以外何の意味があるというのか。神の力を使ってもののけの世界を取り戻す。それを彼女は願って、僕に神を堕ろしたのだろうか。


(でもだとしたら、どうして僕を手元から遠ざけた?人間へ復讐したいんだったら、何がなんでも手元に置いておきたいんじゃないか?)


 狐同様、狸が人間に良い感情を向けていないことは確かだ。ただそれでも、僕は刑部たちが人間を滅ぼすためだけに僕に神を堕ろしたとは到底思えないのだ。


 僕と触れ合う時の彼女らは、いつだって優しくて温かかった。僕はあの笑顔や過ごした時間に、嘘があったなんて全く思えない。少なくとも、刑部や茶釜は僕のことを大切に思ってくれていた。それは決して、復讐の道具としてなんかではない。


「とにかく、一度持ち帰って情報を精査します。休憩はなしで屋敷へ帰還しますよ。」


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 結局、屋敷に着いたのはそれから数日後の夜だった。睡眠や食事の時間を挟んだとはいえ、それ以外の余暇が無かったのは流石に全員響いたのか、僕達はすぐ自室に戻って休むことにした。


 織の出迎えを受け、包帯だらけの花丸を優しく布団に寝かせて僕も温い布団へ包まる。織の高い体温が心まで温め、僕はぐっすり眠りにつくことが出来た。


 しかし、心は誤魔化せても尿意は誤魔化せない。誰もが寝静まった深夜に、僕は厠へとこっそり布団を抜け出して忍び足で部屋を出た。


 厠へ向かい、スッキリしたところで部屋に戻ろうとすると、何やら食堂の辺りでロウソクが点っていた。僕は不審に思い、少し空いていた襖から漏れ出すロウソクの明かりに目をやった。


「う〜ん!うまい!皆様の朝ごはんを犠牲に食べる夜食はやはり格別!や〜!美味、美味!」


「ど、道鏡さん?一体何を....?」


 先程までは大袈裟なまでの身振り手振りをして動いていたが、僕が声をかけた途端にピタッと、道鏡の動きが止まった。


 そしてぎこちなく首だけがこちらへゆっくりと傾き、本当に恐ろしいものを見たという顔で銅鏡が慌てて口元を隠す。


「春水どの...!これはあの違うのです!いや本当にやむにやまれぬ事情が....!え.....っと.....。」


「盗み食い、ですよね。流石にそれはちょっと...みんなに怒られますよ?しかも任務帰りで相当疲れてますし...。」


「ああああああ!後生!後生です春水どの!どうか内密に!あそうだ!一口いりませんか....?拙僧、賄賂政治は得意でして...。」


 僕は賄賂は受け取らなかったが、みんなからいっせいに責められるというのもなんだか可哀想だったので黙っていることにした。道鏡は僕の言葉にほっと一息漏らすと、図々しくも再び食事を続けた。


「そういえば、もぐもぐ。春水どのは修験の道に励まれていたのですかな?もぐもぐ。その歳でそこまで勤勉であるとは、もぐもぐ。拙僧のような生臭坊主では頭が上がりませんなぁ。」


「飲み込んでから話してくださいよ...。って言うか、修験の道って何ですか?」


 銅鏡は僕の要望通りに一通り食べ物を飲み込んでから、一旦食事をストップして話を続けた。


「知らぬフリをせずとも、その魂の奥底から香ってくる森の匂い。ええ、拙僧も同じような経験があります。山篭りの末に神格を得たのでしょう?拙僧では仏に至ることはありませんでしたが、春水どのは違うようだ。天津甕星、大口真神、それにもう一つ。計三つの神を宿しているとは、もはや何が何だか分かりませんな。」


 僕の方こそ、道鏡が何を言っているのか分からなかった。天津甕星は星の力、大口真神は狼の力。それに加えて、僕にはもう一つ力があるなんて、にわかには信じがたい話だった。


 僕が本気で理解していないということを察したのか、道鏡は林檎を三つ僕の目の前に差し出してきて、それを使って説明を始めた。


「まず、春水どのは魂の半分を天津甕星に占領されております。現在は封印されているようですが、どうやらまつろわぬ神としての側面を塗りつぶし、純粋な術式だけを抽出したようですな。」


 そう言って道鏡は一つ目の林檎を齧り、そのままペロリと平らげてしまった。林檎一つとは言ったが、それ以前に明日の朝ごはんとなるはずだった食料を既に全て食べているのだ。道鏡の胃袋は異常と言わざるを得ない。


「次は大口真神の力ですな。いつ魅入られたのかは知りませぬが、とにかく狼の神に愛されたのでしょう。人と共に歩む良き隣人として大口真神の側面を残したまま、術式を借り受けているのです。」


 二つ目の林檎には口をつけず、道鏡は現在着ている五条袈裟の内側に林檎をしまった。そうして三つ目の林檎を取り出し、こちらに手渡してきた。


「そして最後、森の神格。これが最も深く春水どのの魂に根付いている。一生を山篭りに費やさねば得られぬ程の森の力、その若き身でどうやって手に入れたのですかな?」


 道鏡の表情は先程までと寸分も変わらず、ニヤケ面を貼り付けたままだ。しかし、それなのにどこか異質な。道化じみた雰囲気が、表情からツンと香ってきた。


 おそらくこの三つ目の力というのは、僕が前世を森で過ごしたことによる影響だろう。山篭りをしていたつもりは無いが、確かに一生を森の中で暮らしたことは事実だ。ただ、こんなことを正直に話して混乱を招きたくない。


「本当に心当たりがない....です。山篭りなんてしたこともないですしね。」


「ほぉ....そうでしたか。では拙僧の勘違いやもしれませぬ。てっきり、密教の法術でも使えるものかと。」


 道鏡は口角をさらに上げ、獲物を追い詰めるように言葉を放った。明らかに圧が増したのだが、知らないものは知らない。僕は首を傾げ、道鏡の林檎を受け取った。


「........?」


「はぁ。ハズレですか。いえ、何でもございませぬ!どうかお気になさらず!」


 道鏡はそのままスタスタと自室へ戻り、食堂には僕だけが残った。道鏡と話して色々謎が深まったが、あながち的はずれなことを言っているとは思えない。


 僕は貰った林檎を眺めながら、その森の神格とやらについて考えを巡らせた。そうして、一つだけ思い当たる節があったことに気がついた。


「あ、刑部と金時がそんなこと言ってたような気がする。」


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