命は等しく輝いて(七)
八千七十二。私が今まで殺してきたもののけの数だ。事後報告をする際、いつも資料をまとめるのは私だから、いつの間にか覚えてしまっていた。そうして、今現在もそれは数を増やし続けている。
「あぁ....。お願いです....。娘だけは....!娘だけは殺さないでください!お願いです!」
八千七十三。書類の上では結局、生き死には数字でしかない。殺せば殺すほど生活が豊かになるし、その分胃薬の量も増える。そうやってまた、自分を慰めてお上のご機嫌取りをする。
「ママ!!うぐっ....。うわぁあああああん!誰か!誰か助けてぇ!!!!!」
八千七十四。この仕事はクソだ。最初は人を救うことに生き甲斐さえ感じていた。けれどいつの間にか、自分が殺している向こう側にも生活が広がっていることに気づいた。
「早く逃げろ!!人間が襲ってきたぞ!婆さん!おい、早くっ!」
八千七十五。一番最悪だったのは二年前の任務だ。貴族が飼っていたもののけを飼いきれなくなったからと野に放ち、そのもののけがそのまま野生化。生態系を荒らし、このままでは人間にも危害を加えるかもしれないから駆除しろとの仕事。
「おぎゃあ!おぎゃあ!おぎゃあ!!」
八千七十六。あの時は相当参った。半年分休みを貰って、毎日泥のように寝て過ごすことしか出来なかった。寝ている間はずっと悪夢を見る。もののけたちの怨嗟の声だ。耳元でずっと、なぜ殺した。なぜ殺したと囁いてくる。
「ひっ....。悪魔だ.....。お前らは悪魔だ!!!」
八千七十七。だから女とは別れた。いつ死ぬとも分からない仕事をしているから、所帯は持てないと嘘をついて強引にこちらから別れ話を切り出した。本当は、そんな資格が無かっただけなのに。私の手は穢れている。もう引き返すことなどできやしない。
「なんで....なんでこんな酷いことができるの!」
八千七十八。なんでだろうな。だが少なくとも、鬼は人を喰う。これは私が穢れていようといまいと変わらない。そういう一生に産まれた自分を恨むべきだ。それでも同じ言葉を喋り、同じように考え、同じく家族を持つ命を、私たちは奪っている。まともでいる方がもはやおかしいのだ。
「何でもする!何でもします....!だから命だっ」
八千七十九。そろそろ疲れてきた。ここの居住区もあらかた潰した頃だ、他のみんなも己の仕事を全うしているに違いない。
「オイ。こっちは終わったぜ。ったく、お前はいつでも貧乏くじだな。」
「はは。いつもの事じゃないですか。汚れ仕事はもうお手の物ですよ。あ、綱さん火貸してください。」
「ほらよ。貞光....。お前もうちょっと休んでりゃ良かったんじゃねぇか?クマ、ひでぇぞ。」
綱さんから貰った火で煙草を呑み、一服して心を落ち着かせる。肺が真っ黒に染まり堕ちて行く感覚がどこまでも心地よくて、この瞬間だけが自分を肯定できる気がする。
おぼろ豆腐のようなぐちゃぐちゃした固形物が付着した鎌をそのままに、私は綱さんと情報共有をこなした。どうやら茨木童子には逃げられたが、酒呑童子は金時くんが討伐したとの事。その他雑兵に関しても他メンバーが奮闘してくれているのでおそらくは問題ない。
「綱さん。...天国ってあると思います?」
「多分あるんじゃねえか。俺は...地獄に行くがな。」
「奇遇ですね。私も地獄に行く気がしてます。地獄で会ったら、また仲良くしてくださいね。」
「うげ〜。地獄でもお前と一緒かよ。死んでもそれはごめんだね。」
私は煙草の火を消してからその場を後にし、合流出来ていないメンバーを拾うことにした。今回の任務は大成功。見事私たちは鬼たちを殲滅し、人々に平和が訪れましたとさ。ちゃんちゃん。
「全く、クソみたいな平和ですよ。」
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僕が花丸を抱え要塞の中腹あたりを彷徨っていると、ばったり季武さんと合流することが出来た。季武さんは僕を見るなり近くに駆け寄ってきて、花丸の様子を察したのか包帯を分け与えてくれた。
「....。雑兵はほとんど処理したよ。そっちの首尾はどうだったの、春水?」
「二人.......殺せませんでした。ごめんなさい。」
僕は事の顛末を話し、自分の不甲斐なさに唇を噛んで俯いた。季武さんはそんな僕を見てそっとこちらの頭に手を置いた。
季武さんは何も言わない。フードが着いているような外套を身にまとっているせいで、表情がよく伺えず何を思っているのかさえ理解できない。失望しただろうか。それとも怒っているだろうか。
でも、今僕の頭の上に置かれた手は優しく僕を撫でた。静けさが辺りを飲み込み、必死に閉じ込めていた何かが溢れだしてしまう。
「うぐっ.....。ごめんなさい.....。ごめんなさい...。殺せなかったんじゃない....。殺さなかったんだ。怖くなった。今までは平気だったのに、急に怖くなった。殺すこと、自分が命を奪ってしまうことが。今は怖い....。」
口から出たのは、懺悔だった。自分が放った言葉が目の前の季武さんに向けたものなのか、それとも僕が京極達を殺さなかったせいで出てしまう未来の被害者たちに向けてなのか、分からなかった。
「わた....。僕が春水くらいの頃は、そんなこと考えもしなかったよ。春水は強い。けどまだ子供だ。これからずっと、まだ長い時間の中で悩んで悩んで悩み抜いて。それで折り合いをつければいい。」
そんな言葉を、僕はどこか受け入れきれずにいた。僕が悩んでいるうちに、大切なものが失われてしまったらどうすればいいんだろう。僕が殺さなかったせいで、失われていくものたちに対して、僕はどう償っていけばいいんだろう。
命はすぐになくなっていくものだ。そんなことは前世から分かりきっている。生きるために食べる、温まるために皮を剥ぐ。生活のために他者から奪う行為は、どんな生き物だってする自然の摂理。
いつの間にかそれを、仕方ないと割り切れなくなっていた。たった九年間の人との触れ合いが、僕の根幹を変えてしまったのだ。だから僕は、せめて足掻くことしかできない。自分の大切なものが手から零れ落ちてしまわないように、必死で足掻くことしか。
「.......そろそろ日暮れだ。帰ろう、きっとみんなが待ってる。」
僕は涙を拭いて、季武さんの後を着いていった。しばらく歩いてから、夕暮れの浜辺に出るともうみんな揃っていて、僕達はそこで成果を大まかに報告し合った。
細かい整理は屋敷に戻ってから貞光さんと個別にという事だったので、そこまで仔細な情報は知ることができなかったが、それでもこの仕事が大成功なのであろうことが雰囲気で伝わってくる。
夕暮れが僕の影を伸ばして、それが心にまで掛かっているかのようだった。美しい海に映った真っ赤な空の心臓を見て、命が輝いているみたいだと思った。
全く違うものを見ているはずなのに、僕はどうしてか前世で過ごした森のことを思い出す。どこまでも冷たい空気が横たわっていて、殺伐とした死の匂いが充満している野生の森。
(あぁ。そうか。怖くないなんて、嘘だったんだ。自分に必死に言い聞かせていただけで、あの時もきっと、怖かったんだ。)
思い出すのは、前世の老いた白い自分。あの時はまだ分からなかったけれど、今なら分かる。死をありふれたものだと自分に語り聞かせて、必死で恐怖から目を逸らしていた。
まだ迷いは消えていない。それでも生きようと思えた。生きなきゃいけない、それも全力で。殺してきた分、誰よりも何よりも必死で生きなきゃいけない。
空は半分紅く、もう半分青黒い。迷いと決意がごちゃ混ぜになって、もう何色なのか空自身も分かっていない。そんな空を見て、僕みたいだな。と笑いながら僕は船に揺られ続けた。




