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百鬼夜行と踊る神  作者: 蠣崎 湊太
少年篇
54/235

命は等しく輝いて(二)

 炎を裂き、銀に光ったレイピアの細い剣先が具足の合間を縫って僕に小さな傷をつける。炎をこれだけ展開していても攻めてくる姿勢には驚愕したが、それでも攻撃のキレは炎のせいで悪くなっている。


(これならまだ回避出来っ....?!)


 全身を内側から撫でられたような感覚に力が抜け、足がもたつく。視界がぐらぐらと揺れ始め、立ち上がることさえままならない。


「酩酊か.....!」


「ご名答。もう少し早く頭が回れば、まだ救いがあったのかもしれないですね。」


 蕩けた頭で情報が混濁する。三半規管が完全にやられ、あらゆる感覚が滅茶苦茶にされた。地面が砂浜ということもあって、地面を掴む度に深い地の底へ沈んでいく感覚が脳へ伝えられる。


 法輪が完全に焼失したのか、具足を守っていた炎が消える。それと同時にレイピアが具足へ無数の傷をつけ、僕は無防備な状態で地面に転がった。


「わん!ぐるるるるるる!」


 無様に這い蹲るだけの僕の前に、花丸は勇敢にも立った。どう考えても勝てぬ相手。本来であればもう逃げ出していてもおかしくは無いのに、それでも花丸は僕を守るために京極に立ちはだかったのだ。


 京極はそんな花丸を、一瞥もくれずに蹴り飛ばした。そうして、まるで最初からそんなものいなかったかのように、僕へと歩を進めた。


 そして僕まであと半歩という所で、京極は再び足を止める。僕はそれを不思議に思い、京極の足に目をやると、そこには蹴り飛ばされたはずの花丸が、その足に必死で噛み付いているのが見えた。


 京極は心底ゴミを見るような目でレイピアを自分の足元へ据え、花丸目掛けて突き刺す。小さな穴からダラダラと血を流し、今にも意識を失ってしまいそうだった花丸は、しかし突き立てた牙だけは絶対に離そうとしない。


 なぜか。その答えは当然、僕を守るためだろう。自分の命まで張った、健気な時間稼ぎなのだ。僕はそれを、ただ見ているだけだった。


「早くどきなさい。本当に殺しますよ。」


 花丸はどかない。決して諦めない。その末にあるものが、自分の死だけだったとしても。僕は、それを見ているだけか。一年間、共にあり続けた花丸との別れが、こんなに無惨なものであってたまるか。


「うおおおおおおぉおおおおお!!!!!」


 叫ぶ。己の体に向かって、魂を奮い立たせるように叫ぶ。刀は要らない、だから両の腕で立て。理屈は要らない、ただ守りたいものを守るためだけに動け。ここで立たなきゃ、僕は絶対に後悔する。今死なないために、死なせないために、立ち上がれ。


「野性が見たいんだろ。来いよ、ぶっ潰してやる。」


 純粋な怒りがそこにはあった。あとは全部どうでもいい、花丸をあんなにしたことだけは絶対に許さない。ぐらぐらの視界のまま、僕は拳を構える。


「立っているのがやっとでしょう。それとも、苦しんで死にたいと?」


 京極の言う通り、僕は立っているのがやっとだ。だから、もう感覚には惑わされない。瞳を閉じて、音を無視し、触覚だけに意識を集中させる。完全な無の中に自分を置き、痛みを今か今かと待つ。


 刺突の直前、風圧が鋭く肌を貫く。その一瞬で体を移動させ、本来心臓へ向かうはずだった攻撃を肩に当たるように調整した。


 京極は完全なスピードタイプ。軽い武器に刺突なんて技を使っているのがいい証拠だ。だから今この瞬間、肩に刺さった獲物は絶対に引き抜かせない。


 細い刀身を掴み、そのまま距離を詰めて京極の頬に思いっきり拳をめり込ませる。型なんてない、がむしゃらで無造作で、何より力任せのパンチが炸裂する。しかし、この一撃を京極は頬だけで受け止め、僕に突き刺さっているレイピアをぐりぐり動かし傷を広げようとした。


「怒りか。いや、貴方はそうあるべきだ!人間性など排し、温みなど捨て、ただ怒りのままに殺す。神とは!そうあるべきだ!」


 脳が沸騰しているように熱いからか、京極の言葉がよく聞き取れない。でも今やるべきことはたった一つ、殴ることだ。傷口を広げられようと、痛みが激しく勢いを増そうと、僕はただこいつの顔に拳を叩き込むだけでいい。


「ああああああああああ!!!!!!!!」


 拳を振ること三回。ようやく京極は後ろへよろめき、自分の獲物から手を離した。その間に僕は肩に突き刺さっているレイピアを抜き、はるか後方へと投げ飛ばす。これで完全に、拳と拳だけの勝負になった。


 ただ老体にはあれっぽっちの攻撃が効きすぎたのか、なんだかよろめいていて先程までの雰囲気がない。そうしてがら空きだった京極の体に肉薄し、アッパーで顎を上へとかち上げる。


(愉しい....!ああ、こんな。こんなにも、戦いって愉しかったっけ!!!)


 仰向けに倒れた京極に馬乗りになって、本能の動くままに敵を蹂躙する。こっちが顔面を殴り続けているはずなのに、京極は何故か目の中の光をギラギラさせてこっちを見ていた。


「貴方はいずれ、私たちの神となる!残虐であれ!無慈悲であれ!そういう貴方だからこそ、私たちは貴方に未来を託せる!」


 言葉が脳みそを滑り落ちる。会話よりも今は殴り合いがしたい。吊り上がった口角が下がりきらぬまま、僕は京極が白目を剥くまで顔をボコボコにし続けた。


「わぉん....。くぅ....くぅん...。」


「あ?......れ?」


 ふいに、手が真っ赤に染まっていたことに気づく。眼下には、もはや死にかけの京極さん。そこで僕は、ついさっきまでの愉悦の残り香がまだ胸に残っていることを感じ、途端に吐きそうになった。


 今まで消えかけていて微塵も感じなかった酩酊感が再び僕を襲い、僕は四足歩行で震えながら京極さんの体から体重を外す。


「オイオイ...。さっきまで俺を殺すって息巻いてた癖によォ。どうしちまったんだ?ええ!」


 矛盾。あれだけ鬼熊は簡単に殺そうと思えたのに、京極さんのあんな姿を見て僕は、怖くなった。人型のもののけは今までたくさん殺して来たはずだ。なのに何故、京極さんを殺す時だけこんなにも恐ろしく感じるのか。


「オエッ....。グッ....。あっ...はぁ...はぁっ...。」


 あの好々爺の笑顔を知っている。一瞬でも、微笑ましいと思える瞬間があって、敵であってもいい人だったなんて心のどこかで思ってしまっていた。


 人と全く見た目の変わらない、少なくはあるが思い出を共有している知人。友達でも、仲間でもないそれだけの関係性に、僕はここまで心を砕いていたのか。


「おやっさんの言う通り、坊主は甘ちゃんすぎるぜェ。殺してきたんだろ!今まで沢山!そいつにも家族がいただろうさ!死にたくなかっただろうさ!でも、お前は殺してきたんだ!」


 そうだ、殺してきた。でも仕方ないじゃないか。人を食う鬼や、子供を攫う蜘蛛。人々を守るためには、殺すしかないじゃないか。


(人を守るため?僕は本当に、人を守るために殺してきたのか?なんのために、僕は屋敷に来たんだっけ。)


 強くなりたい。仲間を助けるために強くなりたかった。そんなエゴで、僕は大勢の命を奪ってきたんだ。異形で、人を害するとは言え、たった一つの命だった。それを僕は、無感動に無造作に。なんの大義も無く殺して来たんだ。


「だったら俺らも殺して行けよ!じゃなきゃァおかしいだろ?怒りのまま、憎しみのまま!殺してみろ、春水!!!!!」


 酩酊効果は消えたはずなのに、腕が震える。その腕で近くに僕が落としていた刀を拾い上げて、僕は小刻みに動く切っ先を鬼熊へ向けた。


「ほら、やれよ。俺ァもう動けねェ。今まで人も食ってきたんだ、今更足掻きやしねェよ。」


 ここで殺さなきゃ、沢山の人がまた食われるんだろう。僕がトドメを刺さなかったせいで、大勢が死ぬことになる。だから僕は今、ここで殺さなきゃいけないんだ。


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