命は等しく輝いて(一)
僕達は鬼ヶ島に上陸した後、すぐさま散開の準備をして各々に与えられた役割を全うせんと動く。すると突然、この島は島の中心に向かうにつれて要塞化されているということに気づいた。
(あくまであの地図は外観からの予測地図に過ぎない。だから元々地図にはそこまで期待していなかった。が、一番の問題はそこじゃない。)
「皆さん!相手の中に結界術に優れた鬼がいます!見つけ次第、即処分してください!」
結界術とは、血界と似て非なるものである。その違いを簡単に説明するとしたら、結界は体系化されているもの。血界は完全に個人の術式の奥義と言ったところだろうか。
極論、結界は血界の廉価版だし、殺傷性で語るなら断然血界に軍配が上がる。しかし、隠蔽工作や認識阻害などといった搦手で勝負すると、結界の方が優れていると言わざるを得ない。
つまり、搦手の最たるものが結界という訳だ。そんな結界を島全土にかけて二重展開したともなれば、脅威度は語るまでもない。それも作られている二つは、隠す結界と騙す結界。
隠す結界が綻ぶ時間に、騙す結界が効果を発動させ、本土に上陸するまでこの島が要塞化されているなんて気づくことさえさせない。
こんな策を考え出すことが、果たして鬼にできるのだろうか。まずそれ以前に、ここまで高度な結界を発動。それから維持できるのか。
疑問が頭の中を駆け巡る。しかし、もたついている時間は無い。金時が島の中心へと雷の如く走り、それに綱さんが続く。
季武さんと貞光さんは、その二人の少し後方から遅れてついて行く。恐らく途中までは同行するのだろうが、島の中腹程で離脱し各々戦闘を開始するのだろう。
そんな中僕達はというと、僕は時計回り、ヤスは反時計回りに島の外側をぐるっと一周することとなった。その道のりに何も無ければそのまま島の中心へ向かい、ほか四人の援護へ行く算段を立てる。
そうしてヤスとも別れ、僕はついに花丸との海岸探索に出かけた。お互い何の異常もなく普通に歩いていれば、恐らく一時間程度でヤスと合流できるはずだ。
万が一の時のため、刀を抜いて砂浜を踏み潰していく。花丸も警戒しているのか、鼻をクンクン動かしながらあちらこちらの偵察をしている。
すると突然、僕の数メートル先を歩いていた花丸が足を止めて吠え始めた。花丸が吠えている方向には何も無い。だが、花丸は何も無い時に吠えるような駄狼では決してない。
「そこにいるのは分かってるぞ。さっさと出てこい。」
刀を向けて、何の変哲もない虚空に話しかける。反応がしばらく無かったので、杞憂かと思い刀を下げようとすると、その瞬間に空間が歪んだ。
「バレんのが早ェなァおい!よォ、久しぶり坊主。」
ドスの効いた声、黒の派手な和服、厳つい葉巻。そして極めつけは、その熊のような見た目。空間をねじ曲げて僕の目の前に現れたのは、かつて迷宮で賭け勝負を繰り広げた。あの鬼熊だった。
鬼熊はその手に小さな白い蛇を持っており、どうやらその蛇がこの結界を展開、維持しているようだった。ニヤニヤとこちらを見下す鬼熊は、着物の袖に蛇をしまって口を開いた。
「こっちにも事情があってなァ。今回ばかりは賭け勝負にしちゃやれねェんだ、悪ィな坊主。」
「別にいいよ。僕だってどの道迷宮には再挑戦する予定だったんだ。その手間が省けたね、ありがとうっ!」
言葉の途中で繰り出した僕の不意打ちを、鬼熊は右に避けて回避した。その後も追撃を数度挟んだが、どれも紙一重で回避されてしまう。どうやら鬼熊は、見た目以上に動けるらしい。
「言うようになったじゃねェの!こりゃァ狸の嬢ちゃんも泣いて喜ぶなァ!!」
その言葉を聞いて、僕は少しだけ嬉しくなった。刑部や優晏がどんな理由で、僕を助けに来なかったかは知らない。けれど、鬼熊の一言で最低限生きているということだけは把握出来た。
ならばそれだけで十分だ。もう一度迷宮に行き、自分の力でまた二人と再会する。そう強く心に想いを刻み、刀を握る手に力を込める。
(迷宮で鬼熊の術式はもう割れてる。だったら情報ではこちらの方が圧倒的に有利!攻めるならまだ手の内を明かしてない今、速攻で決める!)
「『魔纏狼・纏身』!『不動・迦楼羅炎』!東の豊穣、一番『盛馬千』!」
『魔纏狼・纏身憑夜鬽』を昼でも使えるように訓練し、効力を下げて擬似再現した術と『不動』。それに『盛馬千』と、今僕が持ち得る全力を出し切り突撃を繰り出す。
全身を燃える具足に包み、その炎を孕んだ刀で鬼熊を切りつける。膂力や俊敏性が底上げされているため、回避などできるはずもない。鬼熊は腕で太刀筋を受けるのがやっとだったようで、太い両腕に一筋の赤がたっぷりと滲む。
表皮が硬いため両腕を切断とまではいかなかったが、確実にさっきの一撃は腕を焼きダメージを与えた。その腕の痛みに鬼熊が顔を顰め、腕に意識が集中したのか砂浜に足を取られる。
回避が遅れたその一瞬、僕はノーガードとなった鬼熊の胴体に深い傷を付けた。傷跡が焼かれているので大量の血を吐き出すことはないが、想像を絶する痛みと細胞を焦がし尽くす苦痛が襲っているはずだ。
「言っておくけど、容赦はしないよ。ただその蛇を差し出すなら........楽に殺してやる。」
「.....ハッ。笑かすな坊主。まだ終わってねェよ。」
「わん!!わんわんわん!!」
花丸の叫び声で反射的にトドメを急ぐ。尻もちをつき、反撃の様子など一向に見られない鬼熊の言葉が、どうしてかブラフには見えなかったからだ。燃える刀身が鬼熊の首に向かい、その命を奪おうとする寸前、僕の太刀筋はするりと鬼熊を通り抜けた。
「また随分と...見違えましたな。春水さま。」
失念していた。鬼熊がいるなら、もう一人の相方の存在も考慮に入れておくべきだった。刀を防御に向かわせるも間に合わず、僕は初老の男の蹴りで後ろへ後ずさりさせられる。
幸い、この具足を蹴りが貫くことは無かったが、それでも衝撃が僕の腹を痛めつけた。追撃の気配が無かったのでゆっくりと体制を立て直し、レイピアを携えた京極を睨みつける。
「京極さん....。あなたも鬼だったって事なんですか?」
「えぇ、勿論。こちらとしても心苦しいのですが、貴方が引かぬと言うのなら。この酔鯨吟麗、ここで貴方を切って捨てます。」
優しい顔つきの京極さんが、その瞳を人殺しのものへと歪ませていく。和服にたすきを掛け、明らかに戦闘用といった服の袖からは、およそ酒屋の店主とは思えぬ傷だらけの腕が姿を見せ血管を浮かばせていた。
「人の姿のものは斬れぬかッ!!!その程度の覚悟で!!!この地を踏むことは私が許さないッ!!!!」
僕の戸惑う心を叱責するように、京極さんの苛烈な攻撃が僕に飛んでくる。一撃一撃は軽くとも、その速度と技巧に対応できない。確かな経験に裏打ちされた剣さばきが具足の接続部を丁寧に射抜き、外殻の具足は綺麗なまま、中身だけが血を流しているという異様な光景が生み出されていた。
「くっ...。『不動・火界咒』!」
背中にある法輪ごと炎に焚べ、技の効果時間を薪として炎の総量を増加させる。具足の炎は勢いを増し、体積が大きくなったことにより、相手を引かせて一旦は追撃から逃れる。
(だがこれもあくまで時間稼ぎ...。どうする?逃げるか....?他のみんなと合流。いや、あの速度だ。どっちみち追いつかれるな。)
「どうやら貴方は忘れてしまっているようだ。人の世に身を置き、温もりに触れ、もはや貴方に以前の野性はない。であれば、私が思い出させてあげましょう。貴方は今、死の淵に立っているのだと。『酔鯨銀嶺』」




