からくり歌舞伎の大立廻り(四)
刀から手を離し、ゆっくり立ち上がってかぐやの方へふらふらと歩を進める。かぐやはそんな僕に駆け寄って来たが、段に上がろうとする数歩手前で足を止めた。
「あ、あぁああ....。」
ガシャリと、鋼同士が擦れ合うような音が僕の後ろで発せられる。確実にトドメは刺したはずだ。じゃあなんで、上座衛門の方からこんな音が聞こえてくるんだ。
僕は冷や汗をかきながら後ろに振り返り、そして絶望を見るはめとなった。そこには、胸に突き刺さっていた刀を抜いて、それを持ちながら佇んでいる上座衛門の姿があった。
「見事....誠に、見事であった。」
だがやはり、向こうも立っているのがやっとらしい。体のあちこちにはヒビが入っていて、少し押せば今にも崩壊してしまいそうだ。それに加えて、上座衛門の体からは光の欠片のようなものが溢れだしており、僕がこれ以上何もしなくても、もはや彼の消滅は免れない。
「受け取れ。これで、最後だ。」
最初に壇に上がった時と同じく、上座衛門はこちらに刀を放り投げる。そして僕もまた、よろけた体で地面に突き刺さった刀を拾い上げた。刀を地面から引っこ抜いた反動で、後ろに倒れてしまいそうになるも、壇に登ってきてくれたかぐやが僕の背中を支えてくれる。
「私と一緒に...太陽を見てくれるんでしょう?だったら、こんなところで死ぬ訳にはいきませんね。」
ふふっと笑いながら、かぐやの小さな手が僕の背中に熱を伝える。その手は強くこちらを支えており、震えなどは微塵も感じられなかった。
どこから湧いてきたのか、刀を握る手に力が漲る。それに対し、相手も何やら最終奥義を放とうとしているようで、上座衛門はボロボロの傘を再び出現させた。
その傘を上段に構え、こちらを叩き潰すために渾身の力を込めている。傘は緋色の輝きをゆらゆらと湯気のように立ち登らせ、それは紛うことなき、上座衛門の命の輝きだった。
『魔纏狼・纏身憑夜鬽』は、まだその真価を発揮していない。なぜなら、この術式にはさらなる段階が秘められているからだ。
思い出すのは、貞光さんの話。僕が最初にこの術式を発現した際のこと。あの時の暴走状態を部分的に再現し、扱える程度まで範囲を縮小して顕現させる。
あれは満月時にしか発動できないという点で『魔纏狼・纏身憑夜鬽』よりもさらにピーキーな代物だが、そんなことを言うなら既に発動条件を無視して前述の術式を発動させている。
(できるできないの話じゃない!やるんだ!今!ここで!)
まず、刀の中に血管が通っていることをイメージする。それから僕の身を覆う金を全身からかき集め、腕へと流していく。兜が消滅し、そのほか残っていた鎧も霧散。そうして今ある全ての力をこの一振に込めるべく、纏う部分を腕ではなく刀へと設定した。
身体中が脱力感に蝕まれ、一気に刀が重くなったように感じる。でも、僕は倒れなかった。一人じゃ立てなくても、二人なら立てる。
「整ったか。では、正真正銘終幕といこう。」
上座衛門の傘から立ち上っていた煙が凝縮され、無駄なく傘のみが輝く。ただそれは、こちらも同じこと。僕の刀は黄金と純白が混ざったような、正しく満月の色をしていた。
緋色の傘と月色の刀。上座衛門は上段からの袈裟斬り、僕は下段からの斬り上げ。そしてお互い、全てを尽くした最後の一撃。スペックだとか、修練だとか。決着をつけるのはそんなものじゃなく、ただ純粋なまでの想いの強さ。
「ここに立つのは未練の亡霊。死しても絡んだ技の澱。春水よ、貴様に!断ち切れるか!」
「守りたいものを守るために!断ち切るぞ!上座衛門!」
「ならば証明して見せろ!『千龝樂』」
「『月狼牙跡』!!!!!」
光と光がぶつかり、視界は極光に呑まれた。全ての時間が停止したかのような錯覚が僕を襲い、あらゆる感覚が感じられなくなる。いや、背中の熱以外の全ての感覚が、と言った方が適切かもしれない。
その熱だけが、今の僕の中では確かに感じられるものだった。そう、この熱さえあれば、僕はどこにだって行ける。どんな敵にだって負けないと、そう思える。
「うおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
気づけば、僕は叫んでいた。焦りでは無い、自分への鼓舞でも、叱咤激励でもない。魂の叫び。そんな中、僕の叫びに、か細い他の声が混じっていることに気づいた。
「大丈夫。大丈夫なんです。春水さんなら、絶対、大丈夫ですっ...!」
『僕の勝利を、信じて疑わない人がいる』
頭の中で再生されるのは、少し前の自分の言葉。これこそが、僕の原点。期待に応えたい。誰かの役に立ちたい!失いたくないって、がむしゃらに走ってここまでやってきたんだろ。だったら、ここで勝てなくてどうするんだ!
刀を握る拳がさらに力を増す。向かってくる光よりも手元から発される光の方が眩しくなり、月の色が緋色を切り裂いた。
「絶景かな....絶景か.......な......。」
刀の軌跡は傘だけにとどまらず、上座衛門の体を両断したところでようやく動きを止めた。上半身と下半身が斜めに泣き別れし、上半身が零れ落ちて地面に衝突する。そうしてその瞬間、上座衛門は光の粒となって完全に崩壊した。
光の粒は、そのほとんど全てが空へと登った。しかし、その中でも少し大きめな光が蛍のように僕の胸へ飛来し、僕の体に染み入る。
それと同時に、攻撃の威力に耐えきれなかった刀が破裂。それに引っ張られるように、僕も意識を失ってかぐやに向かって背中から倒れ込んでしまった。
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「おやおやおやおや。これはこれはかぐや様、こんな夜分遅くに逢い引きですかな?」
「道鏡....!そんなこと今はどうでもいいでしょう!早くっ!お願いします!」
どう考えても不自然なタイミングの介入だが、今はそんなことを気にしている場合ではない。すぐさま道鏡をこちらに呼び寄せ、治療をお願いする。
「ふむ...。これなら葬式の方が早くないですか?」
「こんな時に!冗談はやめてください!」
私がそう言うと、道鏡はヘラヘラ笑って春水さんに治癒術をかけた。その腕前は凄まじく、あれだけボロボロだった体がほとんど治りかけになる程だ。
一瞬にして治療をかけ終え、道鏡は錫杖をカランと鳴らしてこちらを見下した。一瞬その表情が真顔になり恐怖を覚えたものの、すぐさままたいつものにこやかな薄ら笑いに戻った。
「いやぁ〜。あれほどの大怪我を治療したのです。拙僧疲れましたなぁ。これは一大事!特別手当があっても良いと思いますぞ〜。」
「はぁ...分かりました。京に戻った際、いくらでもどうぞ。」
「おお!なんと寛大なお心遣い。拙僧、感激のあまり目から海を創り出してしまいそうです...!」
その言葉を無視し、私は道鏡に春水さんを運ばせて武家屋敷に戻った。その帰り道、また一瞬道鏡が顔を真面目なものへと変え、私に話しかけてきた。
「貴女様の体は尊き月の一欠片。どんな事があっても傷つくことは許されません。あまり勝手な行動は控えて頂きたい。」
「分かっています...。それで、いつ頃になりそうですか?」
道鏡は春水さんを片手で担ぎ、もう一方の手を顎に当てて少し思案したようなポーズをとった。そうしてその後、再び陽気な態度で口を開き語り始める。
「ざっと三年。いや四年ですかな。何しろお父上の弟君の方がやや優勢。まあ、どちらにせよ和睦の印としてかぐや様は許嫁になるでしょうな。」
道鏡は残酷なまでに正直だ。だから実際に、現実は彼の言うとおり。私は父が勝ってもその弟が勝っても、和睦の印として事を穏便に収めるために弟の陣営のどこかの家に嫁がされる。
そこに私の意思はなく、また自由もない。私は一生、日を見ることはできないのだ。それでも、私はあの約束だけを胸に一生を生きていける。
気を失って、道鏡の腕の中で眠りこけている春水さんに目をやり、その寝顔をふと見る。それだけで、なんだか胸が熱くなってくる。
でも、私は彼と結ばれることは決してない。湧き上がりかけた淡い恋に冷水をかけ、私は自分の心をまた殺した。
「ごめんなさい。約束、守れそうにないです。」




