地獄が根差す蜘蛛の山(六)
「あ、あぁあぁあああ。あああああああ。ああああああああ....!」
ママのお腹を破って、わたしは産まれた。わたしのママは背丈がわたしよりちょっぴり高いくらいで、歳はずいぶん幼く見えた。
「ママ?」
言葉は生まれた時から喋れた。どうしてかは分からないが、それはきっと私が人間ではないからだろう。そんなわたしを見て、ママはうわ言のようにか細い声を呟き続けた。
「あたし....。弟がいるの。」
「え!わたしにおとうとがいるの?!どこ!ねぇママ、どこにいるの!」
「小さくて、いっつも後ろをついて回ってきて。」
おとうと。一体どんな子なんだろう。小さいのかな、それとも、わたしなんかよりも背が大きいのかな。
「お姉ちゃん......だから、弟を守ってあげなくちゃ...。」
大量の血を口から吐き出し、今にも死んでしまいそうなママは、どこか遠いところを眺め続けていた。そうして突然、糸が切れたように動かなくなってしまった。
それがわたしとママの最初で最後の記憶。短くて、それでいて鮮烈で。その数分にも満たない会話が、わたしの頭の中に「おとうと」という存在を刻み込むのには十分だった。
それからわたしは穴蔵の中を自由に駆け回った。ただそれでも、いるのは小さい女の子ばかりで、「おとうと」は見つからなかった。
「おとうと」は見つからなかったけれど、パパは見つけることが出来た。パパは時々帰ってきては、たくさんの食べ物を持ってきて、定期的に手下たちを使って私たちに食べさせてくれる。
時々人が変わったように優しくなったり厳しくなったりするところに目を瞑れば、わたしにとっては別段悪いパパではなかった。
そんな退屈な生活が、数年続いた。数年もこんなところにいれば、さすがに自然と友達もできる。わたしは痩せっぽちで強がりの、それでいて可愛らしい女の子と友達になった。
「あんた、ここから出ようとか思わないの?せっかく繋がれてないっていうのに。」
「おとうとを探してるの。なかなか見つからなくて...。あなたはどこにいるか知ってる?」
「知らない。でもここにいないことだけは分かるわ。外に行けば、きっと会えるわよ。」
優しい目をして、そんな風に元気づけてくれるいい子だった。でもその子は、一週間後にパパに殺された。大きくなったからだとか、そんなよく分からない理由で。
ふつふつと、よく分からない感情が湧き上がった。名前も知らないあの子。わたしにいつも話しかけてくれて、いつか見つかるといいねって、わたしを応援してくれたあの子。許せない。あんなに自分勝手に、何の意味もなく殺すなんて、絶対に許せない。
不思議だった。今までも同じように、何人も女の子が殺されていたのに。どうして今になって、突然こんな気持ちになるんだろう。
気付けばわたしは、パパに組み伏せられていた。じんじんと頬が痛み、痛みからでは無い涙が溢れだしてくる。
わたしはパパを殺しに全力で向かったのに、パパはわたしを殺さなかった。それどころか、わたしを綺麗な服や花で飾り立て、沢山褒めてくれた。
自分の中で激情がどんどん薄れていって、体が冷たくなっていくのを感じた。いや、冷たくなっているのは心の方かもしれない。
もうわたしにとって、心の支えになるものは「おとうと」だけだった。わたしは何度も「おとうと」を探しに出かけようとし、その度にパパやその手下の蜘蛛、それに加えて女の人にも止められた。
脱出が無理だと分かってからは、ただひたすらに祈った。「おとうと」が現れるのを、じっと嵐にこらえるように。
そしてとうとう、念願のその時がやってきたのだった。
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「おとうと!!!」
戦利品の黄金の剣を片手に、気絶したヤスを花丸の背に乗せて運んでいると、急にそんな声が響き僕の顔になにか温かいものが引っ付いてきた。
「おとうと!!おとうと!!!やっと見つけた!!」
何とかして引っ付いてきたものを引き剥がすと、そこには僕よりも一回り小さな女の子がたいそう嬉しそうな顔で僕を見つめていた。
そういえば、さっきの敵が土蜘蛛は幼女趣味だのなんだの言ってたっけ。なら恐らく、この子は土蜘蛛に捕まっていた子供なのだろう。
「ええっと....。まず名前を教えてくれるかな?」
「わたしはね、織って言うの!おねぇちゃんの名前なんだから、しっかり覚えてね!」
その後、お互いの自己紹介を軽く終えて、とりあえず僕が弟であるという誤解を解こうとした。しかし、どうしても織は全然話を聞いてくれない。それどころか、僕の腕をグイグイ引っ張って、どこかへ連れて行こうとしてくる。
「あのね、おねぇちゃんを助けてくれたおっきな鎌の人がね、向こうにいてね。でもきっと死んじゃう。だからね、えっと、えっと...。」
鎌の人、と聞いてすぐにピンと来た。僕は花丸にヤスを仮設基地に運ぶようお願いして、貞光さんとおぼしき人の所へ織に案内してもらい、向かうことにした。
普通なら、僕が貞光さんたちの戦いに混じっても足でまといになるだけだ。だが今この状況においてなら、少しは役に立つ。そんなことを思いながら、たっぷり蜘蛛の血を吸った黄金の剣を見つめる。
織が僕の手を引いて、獣道をずんずん進んで行く。どうしてか途中で蜘蛛は一匹も襲ってこなかったので、比較的スムーズに目的地まで進むことが出来た。草木をかき分け、急に不自然なくらい開けている場所に出たので目を凝らしてみると、そこには単独で血界の破壊を試みている季武さんがいた。
「.....春水!貞光が血界の中に!」
それを聞いてすぐ、僕は手に持っている剣を血界へと叩きつける。この剣はあの蜘蛛女が織った故か、それとも蜘蛛を直接殺したが故か、とにかく蜘蛛へ向ける攻撃の威力が向上するのだ。
蜘蛛女との戦いを終えた後、獲物が無かったので仕方なくこの剣を手に取ると、急に頭の中に情報が詰め込まれた。術式と祝詞、加えてこれがどんな性質を帯びているかなど。これらの全てが一瞬のうちに脳内に溢れ出し、剣の性能を理解させられた。
そんなことをしている最中、草むらから数匹の蜘蛛が飛び出してきた。それらを撃退するためにまずは相手の攻撃をいなそうと思い、剣を振った。すると蜘蛛たちは真っ二つ。繰り出された横薙ぎは一撃で全ての蜘蛛を両断したが、その威力とは裏腹に辺りの木や草にはほとんど傷がついていなかった。
そんな蜘蛛特攻を持った剣だ。いかに強固な血界といえど、破壊は容易なはず。僕はすぐに詠唱を開始して、血界の破壊しようと剣を振る。
「【足を削げ】『八束落』」
振り下ろした剣は見事に弾かれ、血界は依然無傷を誇っていた。そんなはずはないと、それから何度も何度も剣を振ったが結果は変わらず。僕にできたことと言えば、手がどれだけ痺れても諦めずに剣を振り続けることだけだった。
「おとうと、これ壊したい?」
「うん、助けに行かなきゃ。貞光さんは強いし、大丈夫なのかもしれないけど。それでも僕は、助けに行きたい...!少しでいいから、力になりたいんだ....!」
「そっか。......うん!わたしはおねぇちゃんだから。おとうとを手伝ってあげるのが役目なの!だから、ちょっと見ててね!『天衣無法』」
『天衣無法』
この世に完全なものなど、ありはしない。どれだけ美しい羽衣だとしても、いずれは解れてしまう。それと同じように、完全な法もまた無い。幼心に絶望を知り、それでもと諦めずに偶像に縋った少女の、そんな祈りの力。
・たった一つだけ綻びを生み出す術式。要約すると、レベルを下げるって感じです。




