妖の祭り(下)
夜はまだ明けない。どっぷりと墨を零したような黒が、空一面に塗りたくられていた。山の麓には、空の黒に負けじと煌々輝いている朱色の鳥居があった。
鳥居の向かいには石で作られている祭壇があり、そこへ向かって鳥居を潜ろうとするあと少しのところで、行列の動きが止まった。
お面をつけた影たちが、突然どこからか武器を取り出し構える。
すると、空から流星のように一人の男が地面に落ちてきた。影たちが一層警戒し、あたりの砂埃が晴れてきたころ、男はこちらを睨んで口を開いた。
「赤んぼ連れて何しようってんだよ亡者ども。最近は大人しくしてたってのによ。」
男は、夜の中に似合わない夕日色の髪を靡かせ、肩には大きすぎるほどの鉞を担いでいた。影たちが警戒するのも無理は無い、その男は人間というには大きく、前世の自分を想起させるほど筋骨隆々だった。
影たちが三者三様の刀や槍、弓を持ち出し攻勢に出る。
「やる気かい?いいぜ来なよ。第六天社の大鬼子、坂田の金時。いざ参る!」
そこから先は乱戦だった。金時は影たちの迫り来る刀を鉞一本で捌き切り、刀の合間を縫って飛んでくる槍や矢にも対応した。
しかし影たちも弱いというわけではなかった。確実に金時を倒すため、常に四方を刀部隊で囲み、その周りを槍部隊、さらに周りを弓部隊で囲む。
金時を中心に、影たちの円が生まれた。お姉さんは僕を抱く手を強め、安全な後方に避難させてくれた。そのおかげか、この戦況を俯瞰して見ることができる。
影たちの中で、最も技量の高い部隊はと聞かれれば、それはおそらく弓部隊だろう。計算され尽くした弾道とあまたの修練によって得たであろう精密な弓引きの技で、弓部隊は平射と曲射を使いこなし、味方に被弾させないことと相手への攻撃、加えて味方に向かう攻撃の牽制と、三つを同時並行でこなしている。
卓越した技術同士の戦いは、見ていて心をざわつかせた。前世では会うことのなかった好敵手。どれか一人とっても相手に不足はないと、そう思える手練ばかりだった。
見蕩れているうちに、各部隊の動きが変わった。今までは沢山の影を入れ替えて四方を代わる代わる担当させていた刀部隊が、今度は刀部隊の影全員で金時を囲んだ。
そして槍部隊が槍を天に高く掲げ、まるで祝詞のように言葉を紡ぎ始めた。
弓部隊が全て曲射に切りかえ、金時を刀の壁を突破させまいと動きを封じる。それに対して金時は、牽制とはいえ、雨の如く降り注ぐ矢を体を捻って紙一重で全て回避した。
「妖共が一丁前に頭使いやがる。仕方ねぇ。ならこっちも見せてやるよ。」
金時は鉞を宙へと投げ捨て、握りこぶしを地面に打ち付けたその時だった。
「ちょっと、ちょっと。こんなところで大喧嘩なんて、困るわぁ。ほらほら、諌めてぇな。」
まさに鶴の一声だった。仮面の影たちは武器をしまって、円を解くように辺りに散らばった。
金時は落ちてくる鉞を華麗に受け止め、最初の体制に戻った。
「お兄ぃさん。この辺のお人やあらへんな。都から来た武士さん?」
「まあそんなところだ。人斬りよりも妖斬りの方が得意だけどな。」
金時は悪びれもせず、白い歯を見せてにこっと笑った。ただ、その顔からは皮肉も悪意も感じられない、まさに青少年と呼ぶにふさわしい笑みだった。
「うちらも困っとるんよぉ。あんな、お兄ぃさんは知らへんかもやけど。今年は冷夏でな?米の実りがえらく悪い筈だったんよぉ。そこをうちらがなんとかして、この村の人達が飢饉で苦しまんよう豊穣をお祈りしたん。人も沢山苦しみ死ぬ所を、頑張ってみんなで食い止めて。それに大甕様に捧げる捧げ物だって、本当は赤ん坊ひとりじゃ全く足りひんし。あたしらかて、好きで子供攫ってるわけじゃないんよ。」
お姉さんは、そう言って哀しそうに僕の頭を優しく撫でた。細くて白い指がおでこに触れる度、胸がとくとく音を鳴らした。知ってか知らずか、お姉さんは目を細めて少しはにかんだ。
「だからって神の入れ物にするってか。確かにあんたにこの村は救われたかもしんねぇが、俺は見過ごせねぇ。」
「そうやって、力で押さえつけて。あんたら人間がどんどん力をつけるせいで、一体いくつの神がお隠れになったと思ってるん?善い神も悪い神も、みぃんな、もう居ない。物の怪どもも随分減った。最後のひと柱に縋りたいって気持ちが、お兄ぃさんにはわかります?」
影たちが頷く。恐らく、彼らが最後の生き残りなのだろう。前世の森でも似たようなことが沢山あった。人間に住処を追われた生き物たちが森へ逃げてきて、結局どうにもならず朽ちていく。
どこに行っても変わらない、人間の獣性がここに初めて糾弾された。金時は、バツが悪そうに俯いた。彼も彼なりに思うところがあったのだろう。静寂が、ただ充満していった。
「だったら。俺にその神様を降ろせばいいだろ。そうすりゃその赤んぼはもう要らねえだろ。」
「無茶言わんといてください。魂の余白が少ない人間に大甕様を降ろすなんて、不完全な神格にでもなったら。目も当てられない。」
そう言ってお姉さんは鳥居を潜り、僕を石の祭壇の上に乗せた。金時は鉞を構えたが、その姿は先程の戦闘がまるで嘘だったかのように、酷く弱々しかった。
「大甕様。天津甕星様。夜を照らし、暗き流浪の導となりて、金の天秤我らが地へ向け傾けよ。」
祈りだった。それは、悲痛なまでの祈りだった。長い旅路を歩み、同胞を失い、神を失い、力を失った。
いや、奪われたのだ。人間に全てを奪われ、それでもなお人を恨むことなく、復讐に駆られ無為に殺すことなく。ただ残った神に縋った。
この神が邪神であるということは、皆分かっていた。悪戯に自分たちが殺されるかもしれない。自分たちの願いを聞き入れることなく、ただ自らの享楽の為だけに世を渡るのかもしれない。しかし、それでも願わずにはいられなかった。祈らずにはいられなかった。
そんな力無き少女は懺悔するように手を組み、涙を流して祈った。
黒い空は、祈りに答えるように星を堕とした。